東京パラリンピックの車いすテニス・男子シングルスで金メダルに輝いた国枝慎吾選手。
かつて、世界的レジェンドがその実力を絶賛した、有名なエピソードがある。
レジェンドとは、テニスの4大大会で通算20勝しているロジャー・フェデラー選手(スイス)のことだ。
2007年に日本の記者が、フェデラー選手に「なぜ日本のテニス界から世界的な選手が出ないのか」と質問した。
すると、フェデラー選手はこう切り返したと言う。
「何を言うんだ君は?日本には国枝がいるじゃないか」
朝日新聞デジタルによると、幼い頃からフェデラー選手に憧れていた錦織圭選手もこのエピソードを記憶している。錦織選手は、同社の取材に「ロジャーにも国枝さんは知られているんだ。すごいなあと思った」と語っている。
これまでの軌跡は?
公式サイトによると、国枝選手は1984年生まれ、東京都出身。9歳の頃に脊髄腫瘍を発病し、車いすで生活するようになった。2年後、母の勧めで車いすテニスと出合った。
高校時代から国内で活躍し、海外遠征も経験するようになる。ジュニアや車いすテニス選手の担当コーチである丸山弘道氏から指導を受けるようになった。
金メダルは「来年にとっておく」
世界の大会で次々にトップを奪い、実力を見せつけていた国枝選手。
齋田悟司選手とペアで挑んだ2004年のアテネパラリンピックでは、ダブルス金メダルを獲得した。2007年にはアジア初の世界チャンピオン、車いすテニス史上初となる年間グランドスラム(当時の4大大会制覇)を達成。年間グランドスラムは過去5回獲得している。
2008年の北京、2012年のロンドンパラリンピックで、いずれもシングルス金メダルに輝いた。2016年のリオ大会のダブルスで齋田選手と組み、銅メダルを獲得。だがシングルスは準々決勝で敗退し、「当時の写真を見るだけでも心がずっしりと重くなるくらいネガティブなイメージが強いんです。それくらい苦しかった」と振り返っている。
そんな国枝選手の座右の銘は、「俺は最強だ!」。その言葉通り、2020年9月には全米オープンを制した。試合後のインタビューで、「今年パラリンピックがあったら金メダルだったんだなってシャワーを浴びながら思った。それは来年にとっておく」と自信を見せていた。