東京オリンピックのバスケットボール女子日本代表(世界ランキング10位)は8月4日、初のベスト4入りを賭けてベルギー(同6位)と対戦する。予選リーグで強豪フランス代表(同5位)から金星、五輪7連覇を目指す米国(同1位)には敗れたものの、ナイジェリア(同17位)に102―83と圧勝。通算2勝1敗としてB組2位を確定させ、2016年リオデジャネイロ五輪に続き、2大会連続の決勝トーナメント進出を決めた。
今大会、193センチの長身で国際経験も豊富な絶対的エース渡嘉敷来夢(とかしき・らむ)をケガで欠いた日本は、なぜここまで強いのか。
エースを失って得たこと
男子プロバスケBリーグ・トライフープ岡山のヘッドコーチなどを歴任し、女子選手の指導経験もある元安陽一さん(徳山大学経済学部スポーツマネジメントコース准教授)は「エースを失ったことで、以前から掲げてきたスピーディーな『全員バスケット』が色濃くなった」と語る。
元安さんが言うように、予選3試合でも日本の攻守の切り替え(トランジション)の素早さが際立った。失点するやいなや数人で相手ゴールへと疾走し入れ返す。常に先手を打って全員が流動的に動く。選手の脳内をかき回すが如く、相手を翻弄した。
例えば、チームの平均身長は日本の176センチに対し、ナイジェリアは185センチ。190センチを3枚擁する相手に対し、オフェンスリバウンドは12本とナイジェリアの10本を上回る。小さいからこそ豊かな運動量でリズム良くパスが回るため、シュートも気持ちよく打てる。
スリーポイントシュート(3P)はナイジェリア5本に対し、日本は19本を沈め得点の半分以上を稼ぐ安定ぶり。エース不在を逆手に取った、小さくても速い日本の持ち味を生かし切ったバスケットを見せつけた。
加えて、エース不在は相手に的を絞らせない利点があると元安さんは言う。
「主軸がいれば、その選手任せになりがちだ。でも、今の日本は全員が主役。どこでも守れるし、どこからでも攻められる。全員が3Pを決められる。そうなると、相手は守りづらい。逆に、(予選リーグで敗れた)日本の男子はチームバスケットを貫けなかった。(NBAプレーヤーの)八村塁や渡邊雄太頼みになる時間帯が多かったように思う。だが、女子も渡嘉敷がいたらあるいはそうなったかもしれない」
男子の渡邊、八村、そして女子の渡嘉敷が抜きん出た存在だからこその難しさ。エースとのバランスは集団スポーツの永遠の課題だが、今回の日本女子と類似したケースがある。
日本で行われた2006年男子の世界選手権。スペインは準決勝でケガをした2メートル13センチの大エース、パウ・ガソルが欠場した決勝で、全員が「パウとともに戦う」と書かれたTシャツを着て優勝した。
会場で実際に見て感動したという元安さんは「全員が動き回って勝った。会場でとても感動したのを今でも覚えている。この時のスペインを彷彿させる気迫やチーム力を女子日本代表からは感じている」と熱く語る。会場は奇しくも、東京五輪と同じさいたまスーパーアリーナだった。
強さの秘密はコーチ陣
もうひとつ、強さの秘密はコーチ陣にある。
トム・ホーバスヘッドコーチ(HC)の手腕であることはもちろんだが、選手層を厚くした貢献者のひとりは恩塚亨(おんづか・とおる)さんだろう。リオで分析スタッフを務め、20年ぶりに決勝リーグ進出を遂げた日本女子を縁の下で支えた。2017年からアシスタント・コーチに就任。監督を務める東京医療保健大学(以下、東京医療)女子バスケット部はインカレで4連覇中だ。
「お金かからなければ、参加していいってことですか?」
世界のバスケを見たい思いで、2006年に女子U21の国際大会への帯同を当時のスタッフに「ビデオを撮って編集できます」と言ってプレゼンした。まだ日本スポーツ界に分析班担当やアナリストといった役割は浸透していなかった時代だ。聞いた相手は興味を示してくれたが、当時のバスケット協会にはアナリストを採用する予算がなかった。
恩塚コーチは交通費、宿泊費合わせて数十万を自腹で支払い、「ビデオコーディネーター」という肩書で帯同した。そこから実績をあげ、09年に専任スタッフに。さらなる学びを求め、単身渡米。全米大学スポーツ協会(NCAA)男子バスケットの名門であるデューク大学の合宿を視察した。同大学はリオで米国男子を3連覇に導いたマイク・シャシェフスキー監督が指導していた。彼の指導論に大いに触発された。そのひとつがこれだ。
「よく研究しビデオを見ることで活路を見いだす」
自チームの東京医療では毎日の練習をすべて録画し、恩塚さんはノートパソコンでプレーをピックアップして選手たちに見せる映像、レビューを編集する。「レビュークリップ」と呼ばれる映像データは日本チームでも作り、馬瓜エブリンら若手の成長に大いに役立った。
早稲田大学大学院で同じ時期を過ごした元安さんは「リオ、東京とも、恩塚コーチの貢献度はかなり高いと思う。ビデオ映像を見せるのは、プレーの進化を促進する。僕も選手に見せますが、やっているつもりでもやっていない。走ったつもりだが、タイミングが遅かったなどと、可視化できるからでしょう」と話す。
下手なプレーを見ると下手になる?
筆者は拙書『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』を執筆した際に恩塚コーチを取材。加えて、恩塚コーチやシャシェフスキー監督が「研究しビデオを見ることで」活路を見いだす彼らの手法について脳科学者に尋ねたところ、科学的に理にかなっているという。
例えば、人は下手なダーツプレイヤーのプレーをみると、下手になるそうだ。人は視覚の影響を受けやすく、自分のなかに擬似的に運動モデルができてしまうからだ。
人には、動作や意図を写し取る神経細胞を活用するシステムをあらかじめ持っている。良い動作やプレーを、ライブで目の前でみるか、映像でみるなどして可視化したほうが成果は上がりやすいという。ただし、見ただけでは上達しない。「メタ認知力」と呼ばれる自分のプレーを客体視(客観視)できる能力が必要なのだ。客観的に自分のプレーや体の動きをとらえられれば、自分のイメージと筋肉の動きを一致させることができる。つまり、高レベルの観察能力を持てるようになる。
ラグビーやサッカーなど球技系の競技で、選手がビデオ映像を観る機会は増えている。例えば、ラグビーはスクラムを撮影して自分たちの組み方を研究するし、サッカーも毎日の練習を撮影しチームで共有する。だが、選手のメタ認知力を鍛えることは一朝一夕にはできない。恩塚コーチら指導者の眼と手が加えられ、フィードバックされ続けたリオ後の5年間で積み上げてきた時間の賜物だろう。
選手のイメージと現実とのギャップを埋める重要な作業にひと役買った恩塚コーチを、日本悲願のメダル獲得を期待されるホーバスHCが自分の右腕に迎えたこともうなずける。
合言葉は「日常を世界基準に」
恩塚コーチを日本女子のスタッフに招き入れたのは、日本バスケット協会技術委員会委員長の東野智弥さんだ。2016年の委員長就任以来、合言葉は「日常を世界基準に変えよう」。基準を計る物差しを「アジア」から「世界」に替え、八村が現在所属するワシントン・ウィザーズなどで8年間NBAでスポーツパフォーマンスコーチを務めた佐藤晃一さんを招聘。男女ともに一流の外国人監督を据えて強化を図ってきた。
男女のスタッフの交流が多くない他競技に比べ、バスケットは佐藤さんを中心に男女のスタッフが情報共有し学び合ってきた。
裾野にも目を向けている。2019年には中・高校生の都道府県大会や全国大会におけるコーチの選手への暴力的行為や暴言に対するテクニカルファウル調査を行い、実態を明確にした。2021年は、指導現場の実態を把握するため「保護者アンケート」を実施。練習時間や頻度といった活動の強度はもちろんのこと、練習や試合におけるコーチングについても尋ねる本格調査を敢行した。世界基準を追究し、関係者が一丸となって環境整備に汗をかいてきた。
45年ぶりの五輪出場となった男子は一歩及ばなかったが、女子にはリオからの経験値がある。さらに遡れば、1975年の世界選手権(現W杯)コロンビア大会は「忍者ディフェンス」と呼ばれたオールコートの激しいディフェンスを駆使して決勝進出。ソビエト連邦(現ロシア)に106–75と敗れたものの、当時3Pがあったら優勝していたのではという仮説もうなずける。
女子日本代表はこうして一つひとつ階段を上ってきた。気持ちよく暴れてほしい。