2030年までの温室効果ガス削減目標を大幅に引き上げ、「62%」とするように日本政府に訴えるため、若者たちが東京・霞が関の経済産業省前に集まった。4月の終わりごろのことだ。
私は当時、現場を訪ねた。5日間にわたる「ハンガーストライキ(ハンスト)」をおこなっていた2人のアクティビストに会うためだ。
気候アクティビストでモデルの小野りりあんさんと、古着ショップ「DEPT」を経営するeriさん。ハンストとは、抗議のために断食をすることだが、2人はずっと水と塩しか口にしていなかった。
「なぜハンストをするのですか?」
私の質問に対して、2人は「身体を使って声を上げることに意味がある」という独特の表現をつかって答えた。
2人は、少し疲れた表情を浮かべ、身体も細っているように見えた。気候危機とはそこまでして止めないといけないことなのだろうか?モノを食べないことで何を伝えたいのか? 気候危機時代の「ハンスト」について考えた。
「おぼろげに浮かんだ」。イマイチな日本の目標
小野さんとeriさんも参加した若者らの「抗議のスタンディング」は2021年4月22日夕方、行われた。この日、世界のリーダーたちが集まった「気候変動に関する首脳会議」で、日本の菅義偉首相は、2030年度までに温室効果ガスを2013年度比で「46%削減する」ことを表明した。
菅首相の宣言は、これまでの目標であった「26%減」から大きな引き上げになった。だが、日本が基準年とする2013年はこの30年で最も排出量の多かった年であり、「削減を大きく見せようとしているのでは」という批判もあがった。まだまだ目標の数字は足りない、という声もあった。
小泉進次郎環境相が報道番組で、削減目標とする「46%」という数字の根拠について「おぼろげながら浮かんできた」などと話した。いかにも「適当な感じ」で決めたように聞こえたとして、ネットで批判された。一方、小泉氏は「(発言が)切り取られている部分も相当ある」と説明している。
温室効果ガス削減をめぐっては、アメリカは50〜52%削減(2005年度比)、EUは55%削減(1990年比)を目標にしている。中国も積極的だ。「2030年までに二酸化炭素排出量を減少に転じさせ、2060年までに実質ゼロに」することを宣言している。
日本は世界で5番目に多い二酸化炭素の排出量(EUを除く)。その割には、国際的なリーダーシップが取れていない。世論の関心が欧州と比べてまだ低い。
そんな中、小野さんやeriさんたちはInstagramを通じて、ハンガーストライキの様子を発信。「塩と水しか口にしていない」という2人の行為は、独特の重みを持っていた。
塩と水だけ。どうしてそこまで…?
小野さんに話を聞いた。
「私はもともとやせ型。今はまったく食べてないので、結構キツい状況です。自分がハンガーストライキをすることで、『え?気候変動って誰かが身を削ってまで訴えることなの?』とみんなに伝えたい」
「文章も大切な発信手段なのですが、最初から環境問題に興味ある人が読む傾向があるような気がして…。ハンストをすれば、その切実さを、環境問題にこれまで関心がなかった人たちにも、直感的に伝えられると考えました」
2人の話を聞きながら、「そういえば今日は自分は何を食べたんだろう」と私自身は考えた。その日のお昼はサンドイッチ。食べてから2時間がたっていた。朝はご飯と納豆だった。もし自分が塩と水しか食べていなかったとしたら、身体はどうなっていたのだろう。取材をしているのに、不思議と自分の身体のことを考え始めていたことに気づいた。
これまでも、取材をする立場として気候危機にはかなりの関心を持っていた。しかし、自分がしばらく「絶食をする」ほど、個人として、真剣に考えていたのだろうか。問題を分かっていたつもりになっていただけではないだろうか。
「個人として考えて」 2人は口を揃えた
小野さんと一緒にハンストをしていたeriさんにも話を聞いた。顔には疲れが滲んでいる。唇の色も少し薄い。
「今回は日本政府に対して声をあげることだけが目的ではない。若者や市民同士の横の連帯も作りたいからハンストをやっている」
「政府だけでなく市民の皆さんにも動いて欲しい」
取材の最後、eriさんと小野さんが、口をそろえて語った言葉が印象的だった。
「こういう活動をしていると政府の人にも会うんです。ある官僚の方が私たちに『政府の中にも、様々な意見を持っている人がいる。皆さんが声を上げてくれると、自分たちも政府の中で声を上げやすくなる』と言ってくれました。だから、ハンストをすることで、組織の中の個人に声を届けたい」
「個人」が際立つ、現代のハンスト
ハンガーストライキは歴史の舞台によく登場する。たとえば、1989年の中国の民主化運動の時にも、学生がハンストをして、メディアによって報じられた。
手法としては、eriさんや小野さんがやっていることと同じだ。
だが、SNS時代においては、「誰がハンストをしているのか」という顔がはっきり見えるという点が、これまでと違う、と私は思う。
もちろん、30年以上前に北京でハンストを行っていた若者らの様子は、多くのメディアによって報道された。リアルな若者の声が世界に発信された。当時の新聞記事も調べれば見ることができる。
だが、今回の小野さん、eriさんのアクションの方が、個人の名前が際立っている。メディアを通してではなく、SNSで発信しているからだ。おそらく数年後にも、ハンストの様子をおさめた画像や動画は残るだろう。Google社が潰れていなければ、30年後に簡単に検索することも可能だ。しかも「抗議をする若者」として、ではなく「小野りりあん」さんや「eri」さんという固有名詞とともに情報は残る。
SEALDsの奥田愛基も繰り返した。「個人として考えて」
「個人として声を上げる」という言説は2000年代に入って、政治運動の一つのキーワードとなっている。
2015年、安保法について議論されている際に主に活動していたSEALDsという学生団体があった。リーダーの1人だった奥田愛基さんは、参院特別委員会で公聴人として呼ばれ、こう言った。
「どうかどうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し判断し、行動してください」
「個人として」という言葉が強調された意見陳述だった。
現代社会とは個人が際立つ時代である。1960年代以降のフェミニズム、環境問題、消費者運動のときは「個人的なことは政治的なこと」というスローガンが立ち上がった。さらに、SNSなどによって個人が、会社や組織の立場を離れて発言できる時代になった。社員が自由に発言することが、企業のPRにもつながり、むしろ経営者が歓迎する場合もある。
温室効果ガスの削減は難題だらけだ。経団連の中西宏明 前会長は「安全性が確認された原子力発電所の着実な再稼働や新増設などを実現しなければならない」とコメントしている。
東日本大震災以降、日本社会のエネルギーのあり方も答えが定まっていない。「個人が際立つ」時代とはいえ、経産省や環境省の職員らが個人として自由に発言するには複雑すぎる面もある。
しかし、ハンストを行っていた小野さんやeriさんはこう訴えているようにみえた。
「どうか個人として考えて欲しい」
ハンストなんて意味がないのか?それとも…
SDGsによって、多くの企業や働く人にとって、気候危機などの環境問題が「自分ごと」になりつつある。ただ、もしかしたらそれは不十分なのかもしれない。それは「塩と水しか口にしない」ほど切実なことだということを、小野さんとeriさんのアクションは、私たちに突きつけている。まさに身体を使って声を上げている。
「自分ごと」が「自分の身体ごと」と感じられるまで、企業や組織にいる人は考えているのだろうか。政治家は、自身が口にしている言葉を、「おぼろげながら」ではなく、全身全霊で、身体を使って発信しているのだろうか。それとも、誰かが用意した原稿を読み上げて、口を機械的に動かしているだけなのだろうか。
(編集:南 麻理江)
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小野りりあんさんとeriさんのステートメントや、水原希子さん、二階堂ふみさん、コムアイさんなどを招いて配信したトークショッセンなどは「Peaceful climate strike」のYouTubeチャンネルで見ることができます。