大坂なおみ選手が、自身のメンタルヘルスを守ることを理由に全仏オープンで記者会見をしないと表明し、議論を呼んでいる。
6月1日には、2018年から「うつ状態」を抱えていると明かし、全仏オープンの棄権をTwitterで表明。大会運営側が厳しい姿勢を見せる一方で、大坂選手の告白や行動にアスリートから賛同や激励の声が上がっている。
アスリートのメンタルトレーニングに携わるスポーツドクターで、企業の産業医も務める辻秀一氏は、アスリートは試合や活動の中で「環境・出来事・他人の影響を受けることが多いので、ストレスが高まり、心の状態に揺らぎやとらわれが生まれやすい」と指摘する。
メンタルヘルスに言及した大坂選手の行動を「スポーツ界のメンタルケアについて一石を投じるもの」と語る。
心を左右する「環境」「出来事」「他人」
メンタルトレーニングの現場では、自分を取り巻く事象がパフォーマンスに影響しないよう、心に乱れのない『フロー』な状態をどう保つかが、重要視されているという。
辻氏は、人の心の状態を左右する要因は、「環境」「出来事」「他人」の3つあると指摘する。
「スポーツで言うと、『環境』は天気やホーム・アウェイ、『出来事』は試合展開などです。そして、『他人』というのにものすごく影響を受けます。対戦相手や監督、審判やファン。その並び一つにメディアも含まれます」
「アメリカなどでは、メディアは“心を乱す存在”と位置付けられています。そのため、心が乱れてしまわないよう、アスリートはメディア対応のメンタルトレーニングも受けています。Jリーグやプロ野球など様々なスポーツでも取り入れられています」
大坂選手は世界トッププレーヤーとしての実績だけでなく、Black Lives Matterへの賛同など社会に向けたメッセージも積極的に発信している。スポーツを超えて幅広く活動もしている。
辻氏は「大坂選手は社会性のあるメッセージも発信しているので、いろんなことに興味を持たれてしまう。会見をすると、いろいろ発信している分、勝ち負け以外のことも突っ込まれるリスクが高い」と指摘する。
「競技を超えて聞かれる範囲が広いということも、(会見をしないという判断に)影響しているのではないでしょうか」
選手の間でも賛否
記者会見に応じないと表明した大坂選手の対応をめぐって当初、選手の間でも賛否が分かれていた。
同じ大会に出場している錦織選手は、大坂選手に理解を示しつつ、「やらなければいけないこと」と発言。テニスのラファエル・ナダル選手も、メディアの存在なしでは「アスリートとして今のような立場にいられなかった」と会見の重要性を述べた。
辻氏はこうした反応に触れながら「どんなことで心が揺さぶられるかというのは、人それぞれです。ただ、試合環境や審判の判定と同様に、メディア対応で心を乱されることもプロ選手の活動の範囲内と認識されているのが現状です」と話す。
一方で、テニスの元世界女王ビーナス・ウィリアムズさんは、大坂選手のSNSに「好きなようにすればいい。あなたの人生なのだから」とコメント。1日にうつ症状の告白と全仏オープン棄権の表明をした後、多くのアスリートから大坂選手の選択に賛同する声が寄せられた。
辻氏は「選手のメンタルヘルスのことだけを考えたら、『メディア対応がなくでもいいかもしれない』」と理解も示しつつ、こう付け加える。
「選手たちはメディアに答えているようで、その後ろには大勢のファンがいます。メディアを邪険にすると、ファンを邪険にしたようにも映り、反感を買ってしまうかもしれない。スポンサーの存在もあって、選手たちはメディア対応に少なからずジレンマを抱えていると思います」
アスリートは「ストレスが高まり、心が揺らぎやすい」
辻氏は、メンタル不調をきたすひとつの背景として「人間の脳は結果・行動・外界(環境・出来事・他人)に強く反応し、心に揺らぎやとらわれが生じるようにできています」と説明する。
さらに、SNSなど周囲の反応や情報に絶え間なく晒される今の世の中は、心の病を抱えやすいという。
特にアスリートの場合、試合や活動の中で「環境・出来事・他人の影響を受けることが多いので、ストレスが高まり、心の状態に揺らぎやとらわれが生まれやすいのは事実」と指摘する。
「その背景は、アスリートは常に結果が求められ、パフォーマンスの良し悪しが目に見えてしまい、ダメな行動をすれば負けにつながります。勝つための練習はもちろん、日常の生活も律しないといけません。環境の影響、1つ1つの出来事、そして何よりも多数の他人と関わります。常に知らない人からも評価やコメントを受け続けなければなりません」
それを踏まえて、メンタルトレーニングの役割について「自ら心を整え、ストレスの波に溺れないための、自己防衛システムを育んでいくということです」と語る。
大坂選手の表明は「一石を投じるもの」
大坂選手のようなトップアスリートが、このような形でメンタルヘルスに言及することについて、辻氏は「スポーツ界のメンタルケアについて一石を投じるもの」と歓迎する。
メンタル不調は様々な外的要因が大きく影響していることを念頭に、本人の問題としてだけではなく「指導者や大会運営側、メディアも含めて、社会として受けとる必要があります」と語る。
「特に日本のスポーツ界はいまだに気合と根性という風潮が根強く、理解が遅れています。プレッシャーが大きいのはトップ選手だけでなく、中高生の部活でも、さまざまなハラスメントや過度な緊張、怒られたりして、メンタル不調で競技をやめてしまう人も少なくありません。 スポーツ界が向き合う需要な社会課題の一つとして捉えなければいけません」