「今さらこういう判断を裁判所が出すのか」
そう語ったのは、原告側の経済産業省に勤務する性同一性障害の女性職員。戸籍上の性別を変えていないことを理由に職場で女性用トイレの利用を制限されるのは違法として国を訴えていた裁判で、5月27日に東京高裁で控訴審判決があり、職員側が逆転敗訴した。
勤務するフロアから2階以上離れている女性トイレを利用するよう求める制限などは違法と認めた2019年の地裁判決が覆された。控訴審で職員側が主張していたアウティングの違法性も認められなかった。
今回の判決はどんな内容だったのだろうか。
北澤純一裁判長は判決で「自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは、法律上保護された利益である」と示した。
しかしトイレ使用制限に関しては、経産省は「先進的な取り組みがしやすい民間企業とは事情が異なる」などとし、違法性を認定しなかった。
また、健康上の理由で性別適合手術を受けていない職員に対して「なかなか手術をうけないんだったら、もう男に戻ってはどうか」という上司の発言のみが違法と認められ、国側に11万円の賠償を命じた。
判決後の記者会見で、原告弁護団の山下敏雅弁護士は判決を「法律家の書く文書として極めて雑」と評した。
「一審の判決は原告の状況や経産省での職場の状況、そして日本国内外の状況をきちんと考えて緻密に判断をしていました。それと比べて今回の高裁判決は『国家公務員なので民間企業と違う』、経産省の人事は漫然としていたわけではないなどと、国家賠償法上の違法性のハードルを非常にあげています」
「日本や世界のセクシャルマイノリティの権利を保障するための議論が進んでいく中で、人権保障の砦である裁判官がこんな極めて雑な内容の判決を出たことに対しては強い憤りを感じています」
民間企業では、トランスジェンダーの社員が自身の性自認に沿うトイレを自由に使用できるといった事例がある。しかし裁判所は、経産省は「先進的な取り組みがしやすい民間企業とは事情が異なる」と示した。
山下弁護士は、民間企業で先進的な取り組みができるが国の省庁はできないと裁判所が判断したのは問題だと述べ、20年以上前の「府中青年の家」事件訴訟で東京高裁が示した判決と逆だと指摘した。
「府中青年の家」事件訴訟とは、同性愛者の団体が東京都が管理する施設で宿泊を拒否されたことをめぐり、1991年に東京都を訴えた裁判。
1997年の控訴審判決では、一般国民が性的マイノリティに無理解であったり差別偏見があったとしても行政には許されないと東京高裁が判断。東京都側は上告せず、団体側の勝訴が確定した。
平成二年当時は、一般国民も行政当局も、同性愛ないし同性愛者については無関心であって、正確な知識もなかったものと考えられる。しかし、一般国民はともかくとして、都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心であったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。(「府中青年の家」事件・1997年9月高裁判決より)
山下弁護士は「先進的な取り組みができている民間企業はおいといて、国の省庁はできませんというのは20年以上前に高等裁判所自身が言ったことと真逆です。LGBTという言葉も無かった時代に裁判所が正しい判断をしていたのに、今回は全く逆のおかしい判決」と話した。
職員側は控訴審で、経産省が職員の性自認に関する情報を暴露(アウティング)したのも違法だと主張していた。女性用トイレの利用をめぐり省内でヒアリングを実施した際、同僚2人に職員が性同一性障害であることを本人の同意なく知らせていたことが、一審の審理で分かったのだ。
裁判所はヒアリングが職員の要望に対応するために実施されていたとして、違法と判断しなかった。
これに対し弁護団の立石結夏弁護士は「いかに本人のためという善意があろうと、アウティングは本人の重大なプライバシーの侵害です。一度そういったことを知られてしまうと、もう元には戻れない。アウティングが違法であるということはしっかり伝えていきたい」と話した。
一橋大学の大学院生がゲイであることを同級生に暴露され、その後転落死し、遺族が大学側を訴えた「一橋アウティング事件」では、2020年の控訴審判決で東京高裁がアウティングは「人格権・プライバシー権等を著しく侵害するもので、許されない行為」と判断している。
また、今回の控訴審では一審と同様、職員が女性用トイレを使用することに他の女性職員がどういう意見を持っているかが中心的な論点だったいう。
一審では国側が主張していたような、他の女性職員が不快だと明示的に述べた事実はなかったと認定された。しかしそれが二審では触れられず、他の職員が有する性的羞恥心や性的不安に考慮し責任を果たす為に制限を施したと裁判所は判断した。
「誰が何を言ったかに触れずに、他の職員がおそらく感じるであろう性的不安や性的羞恥心があげられた。他の女性職員にいったい何をするんですかと、私は怒りを覚えています」(立石弁護士)
記者会見で、職員側は上告する方針も明らかにした。
山下弁護士は「今セクシャルマイノリティについての裁判例が積み上がっている中で、今回の高裁判決のこんなひどい判断をしたということをきちんと最高裁で是正し、社会に向けて正しいメッセージを出してもらいたい」と話した。
原告の職員も最高裁で主張を続ける意気込みを示した。
「性同一性障害者や、トランスジェンダーの方が働く場において不平等な扱いを受けているという事実を私も複数知っています。民間企業であるような事例は、本来あるべき当たり前の処遇であると考えています。最高裁においてはこういった事実の評価についても主張していきたいと思っています」