【おちょやん】脚本家・八津弘幸氏に聞く、伏線回収の秘けつ

「花籠の人」は「最高の伏線回収」と絶賛、SNSで大きな話題となりました。
連続テレビ小説『おちょやん』公式サイトより

【おちょやん】脚本家・八津弘幸氏、伏線回収の秘けつは?「ブレずに、狙わずに」

 女優の杉咲花が主演を務めるNHK連続テレビ小説『おちょやん』(月~土 前8:00 総合ほか※土曜は1週間の振り返り)は10日から最終週(第23週)が始まり、本編は14日に最終回を迎える。幼くして母を失い、継母に家を追い出された主人公・千代が、ラジオドラマへの出演で全国的に名を広め、「大阪のお母さん」と呼ばれるまでを描いた作品。人生をひたむきに生きる人間の哀歓や苦衷を重くなりすぎないように描き出し、時に視聴者の予想を超え、「最高の答え合わせ! ここまで観てきて本当に良かった!」と、“伏線回収”で楽しませてくれた脚本家・八津弘幸氏が、執筆秘話を明かした。

 八津氏は、1999年に脚本家としてデビュー。大胆な構成力とエンターテインメント性をベースにした重厚な人間ドラマだけでなく、笑って、泣ける人情ドラマを手がけてきた。主な作品に、土曜ドラマスペシャル『1942年のプレイボール』、ドラマ10『ミス・ジコチョー~天才・天ノ教授の調査ファイル~』(NHK)、『半沢直樹』『陸王』『下町ロケット』『ルーズヴェルト・ゲーム』(以上、原作・池井戸潤)(TBS)、『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日)など。

 「最高の伏線回収」と絶賛されたのが、「花籠の人」だ。第8週・第40回(1月29日放送)、京都の撮影所の大部屋女優となった千代が初めて映画で主要な役を務め、看板やチラシに名前が載った後、撮影所に匿名で花籠が届いたのがはじまり。貧しい家庭で育った少女が芝居の才能を開花させ、成長していく過程を描いた漫画『ガラスの仮面』(作:美内すずえ)に登場する「紫のバラの人」と同じ行為に、視聴者が即反応。その後も、ことあるごとに千代に花籠が届いていることがわかるシーンやせりふがあり、そのたびにSNSで大きな話題となっていた。

 「花籠の人は誰か?」という予想合戦は、撮影現場でも繰り広げられていたようで、千代役の杉咲は「演じている私たちもこの週の台本を手渡されるまでは、送り主が誰か分かりませんでした」(公式ホームページ)。一方で、“正解”である栗子役の宮澤エマだけは、「最初にディレクターさんから言われたことだった」(同)と明かしている。

 八津氏は、「花籠の人」を仕込んだ狙いについて、「観ている人たちにどうしたら楽しんでもらえるか、それだけを考えてのことだった」という。「朝ドラは半年間も放送される長い作品。観続けてよかったと思えるものが一つあった方がいいんじゃないか、と思ったのがきっかけでした。視聴者の方々が『紫のバラの人』を引き合いに出して、注目してくださって、本当にありがたかったです」(八津氏)。

■『ガラスの仮面』はなんとなく知っていた

 問題は「花籠の人」を誰にするかだった。「最後に、突然、奇抜な人を用意して『この人でした』ということにすると、上滑りしそうというか、単なる出落ちになってしまいそうだったので、やるからには視聴者の方はもちろん、登場人物たちも幸せになれるような答えがあるといいな、と思って栗子さんのエピソードを考えました。うまくいってよかったです」(八津氏)。

 振り返ってみれば、第1週、幼い千代を追い出すなんて、ひどい仕打ちのように見えたけれど、結果、千代の人生を大きく動かすきっかけになった。その後ぱったり消息不明だった栗子が、第21週・第101回(4月26日放送)に突然再登場。天海一平(成田凌)と離縁して、劇団を飛び出した千代の新しい居場所になっていた。

 行くあてもなく、雨をしのいでいた千代に、「あんたを探していた」と声をかけた栗子。その唐突感も、花籠の送り主であることが明らかになったことで解消した。「償いで花籠を送っていたんじゃない」「千代から元気をもらっていた」と栗子は言う。千代が舞台上で泣き出してしまった千秋楽(第20週・第100回=4月23日放送)の客席に栗子もいたのではないか。そんな想像をするだけで彼女の空白の年月が浮かび上がってくる。ひどい継母は、「“推し”を第一に想うファンの鑑」に大逆転したのだった。さらに、栗子との再会は、ラジオドラマ「お父さんはお人好し」の出演にもつながり、千代の人生をまたも大きく動かすことになった。

 念のため『ガラスの仮面』の愛読者なのか、を確認したところ、八津氏は「実は僕、ちゃんと読んだことがなくて…。ざっくりとしたことは知っていたので、全く意識していなかった、と言ったらうそになるんですけど…」と、答えた。

 『おちょやん』では、花籠の人のほかにも、終盤になって「あぁ、あの時のあれはこのことだったのか!」と思える展開があり、放送後にSNSがたびたび盛り上がった。

 第11週で鶴亀家庭劇の新作として上演された「マットン婆さん」の「うちはあんたらのほんまのお母ちゃんにはなられませんけど…」というせりふが、第16週から劇団に加わった身寄りのない松島寛治(前田旺志郎)との同居を経て、第22週の栗子と千代、千代と春子(毎田暖乃)の関係に重なり、「最初から、ずっと伏線として示唆してたの、凄い」と、感嘆の声が。

 「人形の家」もその一つだ。第18週・第89回(4月8日放送)で、戦争は終わったが、愛する者を失った人々を前に、自分は何ができるのか…と苦悶する千代は、おもむろに「人形の家」のせりふを唱え始める。「私はただ、しようと思うことは是非しなくちゃならないと思っているばかりです」と。これが、「千代の原点がまさかこんな形で帰着するとは」「終戦のこのタイミングにマッチしすぎていて鳥肌が立つ」などと話題になった。

 道頓堀の芝居茶屋「岡安」で奉公をはじめた千代が初めて観た芝居が「人形の家」だった。高城百合子(井川遥)が演じる姿に憧れ、字を学び、劇場支配人の熊田(西川忠志)からもらった台本をすべて暗記するほど繰り返し読んだ。

 「『人形の家』は、第2週に出した時点で、第18週の第89回のシーンを考えていたのか、と聞かれたら、想定していなかった、というのが正直な答え。第18週は、千代が役者としてやってきたことのすべてを入れ込もうという裏テーマがあって(サブタイトルも「うちの原点だす」)、『人形の家』がうまくはまりました」(八津氏)。

 バラバラだと思っていたものがすべてつながったとき、おもしろさが倍増するのが、伏線回収の醍醐味だが、八津氏は「花籠のように狙ってやってうまくいくものもあるんですけど、あんまりやるとあざとくなって、滑ってしまうこともあるんです。一番良いのは、物語の最初の頃から、キャラクターやテーマをブレずに書き進めていったら、狙わずとも自然と過去のエピソードが伏線になるというもの。『人形の家』はこのタイプですね」。

 「人形の家」の台本は、道頓堀を飛び出した時も手放さなかった数少ない千代の所持品の一つ。栗子の三味線とも符号する。しかも、「人形の家」は、夫から一人の人間として対等に見られていないことに気づいた主人公が、新しく人生をやり直すために家を出る話でもあり、千代の生き方とも重なる作品だった。

■『おちょやん』はヒロインのサクセスストーリーにあらず

 また、千代のことを本当の家族のように見守ってきた岡安(岡福)の人々、鶴亀家庭劇(新喜劇)の団員、栗子や春子、ラジオドラマ「お父さんはお人好し」の共演者たちなど、登場人物のほとんどが“血のつながらない家族”として一本の線でつなげることもできる。

 「これまでの朝ドラと『おちょやん』の一番違うところは、血のつながった家族が主人公の拠り所にならない、というところ。一方で、千代は血のつながった家族であるテルヲやヨシヲを原動力にして生きている。そのあたりのことをきれい事にしないように、ご都合主義にならないように、すごく気を使いました。ついつい、テルヲのこともいい人に書きたくなっちゃうんです。もちろん、人間の嫌な部分を朝から見せて、視聴者を不快にさせるつもりはみじんもなかったのですが、人生の非情さから逃げずにしっかり向き合って、そこからどうやって人は再生していくのか、やり直せるのか、許せるのか、を描きたかった。ダメ人間でも頑張って生きていかないといけないし、どこかで許してあげられるような、もうちょっとやさしい世の中になってほしいな、という思いも僕の中にありました」(八津氏)

 2019年10月の制作発表会見時に「やるからには爪痕を残したい」と発言していた八津氏に手応えを聞くと、「今、思い返すとよくそんなこと言ったな、と思いますが、やはり脚本家として何年経った後でも人々の記憶に残る作品を書きたい、という思いがあります。そういう意味でいうと、この『おちょやん』に関してはいい意味で爪痕を残せたんじゃないか、と思っています。撮影が始まって数日で、新型コロナウイルスの感染拡大によって撮影がストップしてしまい、『おちょやん』はなくなってしまうのではないか、という不安の中で書き続けるのはしんどいことでしたが、形として皆さんに届けられたことはすごく幸せに思いますし、たまたまこういう時期でしたが、少しでも皆さんの力になれたのだったら不幸中の幸い。僕としてはうれしいかぎりです」。

 最終回(5月14日放送)に向けては、「もともと主人公が女優として大成功するのがゴールのサクセスストーリーをやりたかったわけではなく、幼少期から苦しい人生を歩んで、孤独と闘い続けてきた彼女が最後どういうふうに救われるのか、というお話しを書きたかった。そういう意味でいうと最後まで一貫して書くことができたんじゃないかと思っています。千代と一平の関係はどう決着するのか、千代はこの先どう生きていくのか、皆さんと一緒に見守れたらいいな、と思っています。本当にたくさんの人からにいろんなご意見をもらって、現場のスタッフさん、役者さん含め、もう僕だけの『おちょやん』じゃない、みんなの『おちょやん』になったな、と思っています」と、話していた。

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