生き方が多様化しているとはいうけれど、いざ女性が自分らしい道を歩もうとすると、いまだ様々な壁が行く手を阻む。
結婚や出産、ジェンダーバイアスや女性らしさというレッテル…。でも、そうした壁に向き合い、時に乗り越え、しなやかに生きている人たちはたくさんいる。そんな女性の姿がもっと表に出てきたら、私たちが生き方に迷った時の参考になるんじゃないか。
そう考え、ある知人の存在に思い至った。彼女は北海道出身・在住で、長年バスガイドとして勤務しながら子ども二人を育て上げ、最近独立した。
都市部以上に女性の生き方も制約も多い気がする地方で、彼女はどんなふうに仕事と家庭を両立し、独立にまで至ったのか。どんな葛藤や工夫があったのか。
北海道を中心に「観光クリエイター」として活躍する原田カーナさんに話を聞きました。
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原田カーナさんの仕事の約半分は絵を描くことだ。焼きたてのサンマ、雪原で冬を越すツル、広大な釧路湿原、原田さんのペンにかかるとすべてが生き生きと踊りだす。
といっても、彼女は画業を専門とするわけではない。絵も描ける、しゃべりも出来る、写真も撮れる、観光ガイドも出来る。自分のスキルを生かして地域の魅力を伝える「観光クリエイター」だ。北海道釧路市出身・在住。二人の息子の母でもある。元々、北海道のバス会社に勤めるバスガイドだった原田さんの人生には、いつも旅と、秘められた反骨精神が共にある。
学校を休んで「旅」をした子ども時代
原田さんの実家は自営業。父親は無類の旅好きで、原田さんを連れてあちこち旅に出た。一番の思い出は、函館で車中泊して、朝、公園の水道で顔を洗った時の冷たさ。ディズニーランドを超える思い出だというから、よほど冷たく強烈だったのだろう。
一方で、彼女は子どもの頃から好んで絵も描いた。でも、絵を仕事にしようと思ったことはないという。
「絵描きで生計を立てるのは難しいと親から聞かされていました。なので、絵がダメなら観光を仕事にしようと子どもの頃から決めていました」と彼女は言う。
絶たれた夢。生まれた想い
高校生になった原田さんは観光の仕事に就くべく、大都市や東京にある観光系の学校に進学するつもりだった。でも、計画はあっさり崩れる。実家の家業が傾き始め就職せざるを得なくなったのだ。せめて観光関連の職に就こうと選んだ仕事が「バスガイド」だった。
「バスガイドになろうと思ったことは一度もありませんでした。バスガイドって、なんだかキラキラしているし、喋りっぱなしだし、身体が弱かった自分には無理な仕事と思っていたのです。
でも、就職先を決める頃には体力もついていて、観光に携われるのであればバスガイドでもいいかなと思うようになりました。とはいえ、あくまで一時しのぎで、お金を貯めたら退職して観光系の学校に行くつもりでした」
そして、3年後には進学に必要なお金が貯まる。
「でも、その頃にはバスガイドの仕事が面白くて仕方なくなっていたんです。一度は辞表を提出したのですが、提出後、涙がボロボロ止まらなくなってしまいました。その時改めて、バスガイドの仕事が自分にとってどれだけ大切なものか気づいたんです」
周囲も彼女の葛藤には気づいていた。結局その辞表は無効となり、彼女は第一子の産休を挟みつつ、第二子の出産まではバスガイドを続けた。その後、一旦は育児のために、出張が多いバスガイドを引退してJR北海道が運行する観光列車「ノロッコ号」の車内ガイドに転身。子育てが一段落したタイミングで、再びバスガイドに返り咲いた。
元々、原田さんには夢があった。それは、子どもの頃に見たJR東海のテレビコマーシャル「そうだ 京都、行こう。」に由来する。誰もが知っている、観光業界の名コピーだ。
「衝撃を受けたんです。私にとって旅は何よりも重要なものでしたが、あのコピーによって世の中には旅行に行きたくても行けない人がいることに気づかされたんです。だから私は、誰もが思いついたときに旅に行ける社会を実現したいと思うようになりました。バスガイドの仕事はまさにそれなんです。お年を召した方や障がいを抱えていらっしゃる方、旅慣れていなくて不安を感じている方、そういう方に寄り添って最高の旅のお手伝いをする。バスガイドは私の夢そのものだったのです」
このコロナ禍で旅がしづらい環境になった今、彼女は地元自治体と協力してオンラインで観光を楽しむプロジェクトにも携わっている。誰もが思いついたときに旅に行ける社会を、今の時代に即して実現している。
仕事の使命と、母としての葛藤
原田さんの長男は高校を出て今年から地元で就職し、次男は札幌の高校に進学して寮生活をスタートする。これまで子育てとの両立で葛藤はなかったのか聞いてみた。
「葛藤は常にありました。観光って趣味・娯楽というイメージがあるので、子どもを差し置いてまで続ける仕事なの?と言う人もいて辛かったです。本来観光は、地域経済を支えたり、文化や風習の理解を進めたり、地域にとって重要な役割を果たしています。地域が栄えれば、子どもたちの未来にもつながります。子育てと両立してでもやっていく仕事だと、私は考えています。
きっと職種は違えど、同じように苦しい思いをしている子育て中のお母さんたちが全国にいると思います。でも、どんな仕事も必要があるから存在するし、尊いものなんです。それを周りに理解してもらうためにも、結果を出していくしかないと思っています」
とはいえ、子どもたちに寂しい思いをさせるのは忍びない。家庭と仕事を両立する上で、原田さんなりに様々な工夫をしてきた。
「仕事優先で一方的に家に置いていくというより、一緒に頑張っている気持ちになれるように工夫してきました。子どもたちにも観光の素晴らしさを知ってもらうために小さいうちからなるべく旅行に行ったり、観光施設に行ってガイドの様子を見せたり。“ママはこんなふうにガイドの仕事を頑張っているから、二人も頑張ってお留守番をお願いね”と伝えたり。
幸い夫婦ともに釧路に実家があって協力を得やすかったのもよかったです。ママ友にも協力してもらい、私がいないときでも保護者がたくさんいるような環境を築くことができました。あとは、家には男三人なので出張前はカレーを20皿分作ったりしました。買い出しだけでひと苦労でした」と、彼女は懐かしそうに笑う。
1枚の絵が人生を変えることもある
そんな彼女に転機が訪れるのは2017年、40代も目前という時期だった。
「ガイド先で食べた夕食をなんとなくボールペンで描いてSNSにアップしたんです。そしたら大反響で、全国展開する飲食チェーンを持つ札幌の企業さんからメニューのイラストを描いてほしいとご相談が来たのです」
しかし、当時の原田さんは企業に務めるバスガイドだ。独立はおろか副業すら考えていなかった彼女はその誘いを断る。
「でも、先方は諦めずに1年間も私にお願いし続けてくれたのです。そこまで言うなら1回きりと思ってイラストを描かせていただきました。で、その経験を友人に話したところ、観光への情熱やイラストの件を地元の起業家や起業準備中の方のためのピッチコンテストで話してほしいと誘われました。別に起業したいわけではないけれど、自分の経験が何かの参考になればという軽い気持ちで参加したところ、どういうわけかグランプリを獲ってしまいました」
グランプリ受賞は、翌朝地元紙の朝刊1面を飾った。しかし当の本人はガイドの仕事で出張中。朝刊を見た会社の社長から連絡を受けてことの大きさに気づいたそうだ。
そこから、観光に関する様々な仕事の相談が原田さんに来るようになった。そして決定打は格安旅行会社「Peach」の大阪/関西〜釧路線就航。原田さんはこの就航に関するプロモーション活動を依頼され、いよいよ独立を決意した。夫や子どもたちも原田さんの背中を押してくれて、2020年に「観光クリエイター」として独立する。
家族を足かせに感じないために
日本では、一般的に女性は男性に比べて家庭内における家事や育児等の役割を担うことが多く、女性の自己実現の難しさやキャリアの築きにくさが度々話題に上がります。原田さんはどのように自分の夢と家庭を両立してきたのか聞いてみました。
「女性は結婚や出産などのライフスタイルの変化を受けやすいですし、心身の変調もありますから、家庭とキャリアの両立はなかなか難しいものがあります。それでも観光の仕事に情熱を注ぎ続けられるのは、家族を理由に夢を諦めたら、そのうち家族が足かせに感じられてしまうと思ったからです。
家族のためにと思った選択が、家族を疎ましく思う結果を引き寄せたら元も子もありません。だったら、どんなに大変でも全て抱える覚悟で同時に取り組んだほうがいいって思ったのです」
とはいえ、地方在住の彼女が自分のキャリアを切り拓くのは、都市部の女性以上に大変なのではないか。
「今はネットのおかげで地方にいても努力次第でチャンスをつかみやすいです。
一方で、そのネットのおかげで都市の暮らしが垣間見える分、地方の暮らしに生きづらさを感じることもあります。
でも、自分で試行錯誤していく中で、東京に行ってもチャンスを掴めない人は掴めないし、地方でも活躍することは出来るし、場所は関係ないのでは? と思うようになりました。
それに、“地方にいるから出来ない”を理由にしてしまったらそこで負けなんですよね。私も、思うように進学できずに打ちひしがれたことがありますが、地方に生まれたことをバネにして、反骨精神を持って精一杯人生に向き合っていこうと思います」
最後に、もし目の前に自己実現に悩む女性がいたらどんなアドバイスをするか聞きました。
「私自身もまだ道半ばなので偉そうなことは言えませんが、どんな環境でも諦めないで欲しいです。強く長く願うことがあるなら尚さら想いを昇華させてほしい。一度きりの人生ですから、納得のいく生き方をしてほしいです。私も、いかなる状況も自分らしく、生きていく勇気と努力を忘れず、思いっきりやりきっていきたいです」
(取材・文:落合絵美)