「早く結婚して子どもつくった方がいいよ。産めなくなるよ」と同級生は言った。
出産年齢の「カウントダウン」に焦りを感じ、33歳の女性は卵子を凍結することを選んだ。
「お金で安心を買っている」と感じている。
キャリアを優先したい女性や、パートナーがいない女性などの間でいま、「卵子の凍結保存」が注目されている。凍結保存を公表する著名人も出てきた。
「卵子の老化」を食い止めることができ、妊娠や出産の適齢期から解放される――。
技術に希望を託す女性がいる一方で、メリットが強調される動きに危機感を抱く医師がいる。
東京都立墨東病院の産婦人科医、久具宏司さん。著書『近未来の<子づくり>を考える 不妊治療のゆくえ』(春秋社、2021年2月)の中で、卵子凍結が女性個人や社会にもたらす光と影について言及した。
「リスクもあると知った上で選択してほしい」と訴える。
(この記事での「卵子の凍結保存」は、がんなどの治療に伴って緊急的に必要とされるケースではなく、医学的な理由のない個人の希望による「ノンメディカル」な凍結保存を指します)
「魔法の技術」に思えた
千葉県の女性(33)は2020年11月、病院で卵子を凍結保存した。
20代後半から、生理の経血の量が徐々に減ったように感じたという女性。婦人科で「特に異常なし」と診断されても、「この先子どもを産めなくなるかも」と不安をぬぐえなかった。
いつかは産みたいと、漠然と思っていた。
30代になり友達は結婚、出産でライフスタイルが変わる中、自分は20代と同じまま。
「早く結婚して子どもつくった方がいいよ。産めなくなるよ」と言ってくる同級生もいた。
「卵子の老化」が叫ばれる中、焦りが募っていった。
現在交際相手はいるが、結婚の見通しは立っていない。
ある日、未婚でも卵子の凍結保存ができるとネットで知り、病院紹介サービスを利用して不妊治療専門の病院を見つけた。高額な費用や健康に与えるリスクの説明を受けたが、女性は「老化を食い止めたい。絶対やる」と決めた。
排卵を誘発するための注射を1週間ほど、毎日自宅で打った。
生理痛に似た腹部の違和感や胃の痛みが数日続いたが、体調を大きく崩すことはなかった。
採卵費や凍結保存費を含め、かかったお金は計約90万円。すべて自費で支払った。年間の保管費は卵子1個あたり約1万円で、15個の卵子が採れたため一年で15万円ほどになる。
卵子凍結で、子どものいる将来が100%保証されているわけではない。それでも、結婚に対する焦りは薄れた。
女性は「お金で安心を買っている。卵子凍結は、年齢が上がっても出産の可能性を残せる魔法の技術」と感じている。
★卵子の凍結保存とは?
卵巣から卵子を採り出し(採卵)、特殊な保護液に浸した上で、ストロー状のチューブに入れて、超低温の液体窒素に入れて凍結する。ほぼ機能を保った上で、半永久的に保存できる。妊娠する際は、体外受精または顕微授精が必要となる。
女性にもたらすメリットは何か
この女性が話すように、卵子凍結保存の最大のメリットの一つは、卵子の老化にストップをかけた状態で長期保存できることだ。
年齢が上がるにつれて卵子の質は低下し、妊娠する能力(妊孕能、にんようのう)が下がる。若い頃に採取した卵子を使う方が流産のリスクが減り、妊娠成立の確率は高まる。
それは、女性がある意味で妊娠・出産に適した「生殖適齢期」から解放されることでもある、と久具さんは説明する。
「若い頃に卵子を採っておけば、『急いで妊娠しなくても良い』と考えられるようになる。妊娠や出産の時期を、適齢期に追われることなく女性の意思で決められることになります」
卵子凍結は、女性が望む生き方を実現するための選択肢として広がりつつあることは事実だ。
ただ、久具さんは「女性個人にとっても社会にとっても、リスクとデメリットがあります」と強調する。
潜むリスク
久具さんはまず、採卵が女性の体に与える負担を挙げる。
「できるだけ多くの成熟卵子を採取するため、薬による卵巣刺激が必要になります。卵巣がふくれ、お腹や胸に水がたまるなどの症状が出る卵巣過剰刺激症候群を発症するリスクがあります」
さらに、凍結卵子を用いたとしても、高年齢になるほど妊娠時の妊娠性高血圧症などのリスクが高まる上、子宮筋腫などの疾患を発症する可能性も上がる点は変わらない。こうした意味では、「生殖適齢期」から完全に解放されるわけではないのだ。
久具さんによると、スペインなどでの研究では、多くの卵子を凍結保存したとしても、年齢を重ねるほど出産できる確率が下がっていくことが分かっているという。
研究結果のグラフからは、凍結保存時の年齢が36歳未満であると、確実に子ども1人を出産するのに約30個の凍結卵子が必要であるのに対し、36歳を迎えた後に凍結保存した場合は、その卵子の数を増やしたとしても、出産を確実にはできないことが読み取れる。
「凍結した卵子に望みを抱いても、妊娠が成立しなかった場合の落胆は計り知れない。卵子凍結に過度な希望を持ってしまうことを懸念しています」
久具さんは加えて、「長期にわたる凍結保存が卵子に与えるダメージもまだ解明されていない」こともリスクの一つに挙げる。
日本生殖医学会は2013年、40歳以上の卵子採取は推奨できないなどの条件付きで、健康な未婚女性が、卵子凍結保存を行うことを認める指針を発表した。
一方で、日本産科婦人科学会(日産婦)は、女性の健康へのリスクや妊娠率が高くないことなどから「推奨しない」との立場だ。
海外でも対応は分かれている。
欧州ヒト生殖医学会の調査報告書(2017年)によると、オーストリア、フランス、マルタはノンメディカルな卵子の凍結保存を禁止しているのに対し、ドイツ、イタリア、オランダなどは推進している。
妊活の「前倒し」 民間サービス始まる
卵子凍結を、企業が後押しする動きもある。
アメリカでは、大手IT企業のアップルやフェイスブックが女性従業員を対象に、卵子凍結にかかる費用の一部を補助する福利厚生制度を取り入れた。
国内でも2月、卵子凍結保存サービスを提供するグレイスグループが、大手福利厚生プラットフォーム「ベネフィット・ワン」と連携。ベネフィット・ワンの会員を対象に、凍結保存のサービスを優待価格で提供し始めた。
凍結保存が「当たり前」になった未来は
こうした推進の動きを背景に、久具さんは「女性と女性が働く企業にとって、卵子凍結は一見Win-Winなのです」といい、それがリスクにもなり得ると考えている。
どういうことなのか?
「キャリアを積みたい女性と、仕事を中断してほしくない会社の望みは一致しています。流れを止める理由はない。ですが、2者のうち女性本人にとって本当にWinなのかは、子どもが生まれるまでわかりません」
だからこそ、女性本人がリスクや妊娠・出産の可能性について納得した上で選択できるようにするべきだと話す。
卵子凍結を企業などが推奨する動きが今後拡大したとき、どんな社会が待っているのか?
久具さんは、若年で出産したい女性への「圧力」になりかねない、と警鐘を鳴らす。
「若いうちに妊娠出産し、仕事も両立させたいと考える女性にとって、『卵子凍結をするべきだ』というプレッシャーになる可能性があります。こうした懸念は、海外の研究でも指摘されています」
少子化対策の「切り札」にはならない
さらに久具さんは、卵子凍結は「少子化対策の切り札にはならない」と主張する。
「卵子凍結で妊娠を先送りにしても、子どもの数は増えません。それどころか、一度広まったら後戻りできなくなる『禁断の果実』です」と言い切る。
「例えば、第一子を出産する年齢が45歳の場合、25歳の場合と比べて世代間の年齢差が大きくなります。そうすると働き手の数も、全体の人口も減少していくでしょう」
「重要なのは、『どんな年齢で妊娠・出産しても安心して産み育てることができる社会の構築』に尽きます。キャリアを一時中断した人が、復帰後に会社で不利に扱われないよう企業が適切な方策を取ること。そういった企業の取り組みに行政がインセンティブを与えること。そして、今なお女性に大きく偏る家事や育児の負担が解消されることも同時に進めていかなければいけません」
<久具宏司(くぐ・こうじ)>
東京都立墨東病院 産婦人科部長。1957年生まれ、福岡県出身。
東京大附属病院などで勤務後、富山医科薬科大(当時)や東京大の講師、東邦大教授を経て現職。2009年から8年間、日産婦の倫理委員会副委員長を務めた。