3月の雨が降った土曜日、6歳になるウチの息子は保育園の卒園式を迎えた。
このご時世、全員マスク着用でおじいちゃんおばあちゃんの列席は叶わなかった。卒園生はみな慣れない礼服を着ておとなしく座っている姿が、かわいらしい。
思えばウチの子は、3歳のときこの園に転園してきた。転園初日のことは、今でも覚えている。環境が変わり、周りは知らない子と大人ばかり。園庭にいるお前は誰かに声をかけることもできずに、隅っこでひとり遊んでいたな。俺、ずっとそばから見てたんだよ。心配で。転園初日から3日間ぐらい、ずーっと園庭のそばから。よく通報されなかったもんだ。
それが今では顔に傷つくるくらいのケンカをするほどお友達とも仲良くなったし、女の子からは「○○サマ~」とモテてるのかイジられてるのかわからないけど、まあ人気者になった。でも残念ながらお前は俺と顔がそっくりだから、今がモテのピークかもしれん。その辺は諦めるか、自分の力で何とかしてくれ。
修了証書授与。名前を呼ばれるも、息子の声は…
卒園式が始まった。
園長先生の挨拶では、まず保護者への謝辞が送られた。「まずはお父さま、お母さま、お仕事がお忙しいのに毎日毎日園への送り迎え、本当にありがとうございました」。
いやいや、恐縮です。そりゃ送り迎えはずい分やりましたけど、それと同じくらいよくサボった。夏の朝ピカーッと気持ちよく晴れてるともう子どもと遊びたいとうずうずしちゃって、保育園とは反対方向に自転車のハンドルを切り、じゃぶじゃぶ池に直行。
また、朝その欲望を我慢して園に送ったとしても、昼過ぎに「やっぱ遊びたい!」となって、午後2時くらいに早お迎え。そのままスカイツリーにお台場、花やしき、上野動物園にand more……。時間の調整ができるフリーランスだからできたことではあるけれど、もうお前が嫌っていうくらい、散々遊び倒した。俺はお前と遊ぶことが生きてて一番好きなことだから、いろんなところを連れまわした。
ママも知らない、俺とお前だけの秘密の時間。ママが「もう置くとこない!」って怒ってるのに、毎週ゲーセンのクレーンゲームででかいぬいぐるみゲットしたりしてな。楽しかったなあ。「そんな不謹慎な」と眉をひそめるヤツもいるだろうけど、そんな声が届かないくらい楽しかった。
いろいろ付きあってくれてありがとうな。小学校に入ったら、もう平日の連れ出しなんてできないもんな。それがとても寂しい。
…などと考えていると、園長先生の挨拶を神妙な面持ちで聞いている息子と目が合った。いたずらしたくなり、俺は思いっきり変顔をやると息子は思わず「プッ」と吹きだした。やりぃ、俺の勝ち! 続けて別バージョンの変顔を決めると、息子は「パパやめてよ、はずかしい」とばかりに目をそらした。何だよ、もうちょっと付きあってくれてもいいじゃねえか。
式は粛々と進み、「修了証書授与」に移った。ウチの子の順番となり、「村橋○○さん」と園長先生が呼びかけると、蚊の鳴くような……いや、瀕死の蚊の鳴くような小声で「はい」と言うと、すっくと立ちあがった。声、小っさ。頑張れ。
思えばお前は気が小さく、そしてとても手がかかる子だった。オッパイ飲むのが下手で、ママは「私のオッパイの出が悪いんじゃないか?」と相当悩んだ。ほどなくしてお前にはアレルギーがあることが発覚。母乳とミルク半々で育てていたため、以来ママは小麦粉・乳製品・大豆・いも類を絶った食事を続けた。ママは肉か魚に塩だけふって焼いたものだけを毎食、口に運ぶだけ。味噌汁もパンもパスタも許されない。ママは本当に頑張っていた。
あんなにママが頑張っていたのに、あのときのお前はママに懐かなかったよね? パパが抱っこするとすぐ泣き止むのに、ママが抱っこするとギャン泣き。すべてを捧げて育てているのに、お前に拒否されていたママ。ママは産後ウツになり、500円玉大のハゲを何個もつくっていたんだ。今じゃ「ままとけっこんするぅ」とママから離れないけど、あれは本当に何だったんだろう?
そういうパパも育児に頑張りすぎて、育児うつになったことがあるんだ。父親が「育児うつ」なんて何だか変だけど、それだけお前をを心底愛したからだと思うんだ。でもそのせいで、ママとお前にはずい分と迷惑をかけた。育児うつになってしまったら、信じられないけどお前とママが憎くて仕方なくなってしまったんだ。大声で罵り、手をあげそうになったこともあった。とっても苦しかったけど、そこから抜けられたのはお前とママのおかげだ。心からごめんね、そしてありがとう。
怖がりだった息子が『うっせえわ』を熱唱するまでに
「はい」。瀕死の蚊の鳴くような声を絞り出したお前は、それでも一歩一歩踏み出し、壇上へ。園長先生から証書を受け取ると「ありがとうございました」と、これまた瀕死のミジンコのように小さな声だったけど、めちゃくちゃ早口だったけど、ちゃんと挨拶できたじゃないか! 凄いよ!
そこから右足を一歩引き、Uターンして自席へ戻る……が、緊張のため軽いイップス(緊張などが原因で、今まできていたことができなくなること)になってしまい、息子がそこで固まってしまったのだ。頑張れ! すると息子はやっと右足を引くことを思い出すと華麗にターンを決め、自分の席に戻っていったのだった。椅子に腰を落とすとこちらを見て、一瞬笑った。練習通りできたじゃん、やったな! 思わずサムズアップして、笑顔に応えた。
2520グラムと小さく生まれてきたお前だけど、今じゃクラスでも1番背が高くなった。「チュンチュン怖い」とスズメすら怖がっていたお前が、今じゃ電動自転車の後部座席で、俺のスマホでYouTubeを勝手に開き『うっせえわ』を街中で熱唱してるもんな。成長って凄いよ。
39歳で不妊治療を始めて、42歳で授かった奇跡の子。遅咲きのパパとなった俺は、そりゃあお前の成長に合わせていくのに必死だったよ。幼稚でだらしない俺が2014年8月17日を境に急に「パパ」になって、1歳になるぐらいまではそれこそお前を死なさないために必死だった。どんどん成長するお前に追いつこうと、頑張ってきたこの6年間。世間一般の「お父さん」みたいにまともじゃないけど、少しは父親っぽくなれたのかな?
卒園式のメインイベントで息子がまさかの発言
式次第に目を移すと「保護者へのメッセージ」とある。これは親子で立ち上がり、園児が親へのメッセージを伝えると、コール&レスポンスで親がそれに応えていく、というもの。いわば、卒園式のメインイベントだ。子どもたちは各々「パパへのメッセージなのか、ママへのメッセージなのか」を事前に選んでいて、我が子はなぜか俺を指名していた。
名簿の「あ行」から始まり、ある子は「まま、いつもごはんをありがとう」だったり、「まま、いつもおしごとがんばってくれてありがとう」だったりと、園児たちのメッセージが続く。ウチの子は何と言うのか?「ぱぱ、いつもあそんでくれてありがとう」。これが第一候補だ。もしくは我が家は炊事も僕が担当しているため、「ぱぱ、いつもごはんありがとう」とくるかもしれない。そうきたらこう返そうと、ある返事を用意して、待った。そして我が子の番に。すると、
「ぱぱ、いっぱいおもちゃかってくれてありがとう」
ええっ、そこ!? そこへの感謝!? 同じようなことを周りの保護者も思ったのだろう、クスクスと笑い声が会場に広がる。そんな会場の雰囲気と想定問答集からかけ離れた息子のメッセージに僕は一瞬パニックになり、思わず
「て、てめえ、勉強しろ! 勉強!!」
すると会場のクスクスは「ドッ!」という爆笑に変わってしまった。見れば、当の息子も大ウケにウケている。オメエが変なこと言い出すからじゃねえか! 見れば先生方も腹を抱えて笑っているし、息子の隣りにいた女の子も「○○くんのパパ、おもしろい!」と叫んでいる。何なんだよ、この状況は!
いっつもこうだ。良かれと思っていろいろやっているのに、最後の最後に変な結果に終わってしまう。変なパパでごめんな。10数年後にお前がこの文章を読むことがあったら、最後に聞いてほしいことがあるんだ。あの「保護者へのメッセージ」のとき、俺はお前にこう返そうと用意していた言葉があったんだ。最後にそれを言うよ。
「お前、本当にかっこいいお兄さんになったね。パパとママはお前のことが世界一好きだよ。卒園、おめでとう」。
(文:村橋ゴロー)