「読み聞かせをしている時間は、子どもたちと交流していることを一番実感できるひとときなんです」
内田也哉子さんは、そう語る。
子どもの頃、本棚に並んでいた絵本がクリエイティビティの原点だった話から、ユニークな母親(俳優の故・樹木希林さん)の背中を見て育った内田さんの母親としての顔まで広がっていったインタビューに続いて、ライフワーク的に取り組んでいる絵本の「翻訳」と、子どもたちとの大切な読み聞かせの時間について、話を聞いた。
新刊絵本『こぐまとブランケット 愛されたおもちゃのものがたり』(L・J・R・ケリー著/早川書房)は、也哉子さんの翻訳絵本としては5作目にあたり、少年が生まれた時からずっと一緒だったこぐまとブランケットと離れ離れになってしまう物語。
絵本作者との不思議な縁
『こぐまとブランケット』は、最初、日本の出版社から、イギリスにこんな絵本があるのだけど、私が訳したら合うのではないかとご提案をいただいたんです。
初めて読んだ時に感じたのは、物語が時空を超えてやってきたかのような、懐かしさでした。作者がかのロアルド・ダールさんのお孫さんだからでしょうか。それも、最初に読んだ時には知らなくて、あとになって腑に落ちたことなのですが。
ロアルド・ダールさんは、『チョコレート工場の秘密』などで知られるイギリスの国民的作家です。
私は数年前までイギリスに暮らしていましたが、ロアルド・ダール美術館にも行ったことがあり、さらに、長女がイギリスで通っていた学校はなんと彼の娘さんやお孫さんたちが通った学校だったのです。
ですから、長女も授業でロアルド・ダール作品をたくさん読む機会があって、私も一緒になって作品をいくつも読んでいました。
『こぐまとブランケット』が、お孫さんであるL・J・R・ケリーさんが書いたお話だと知って、とても不思議なご縁を感じました。
意味よりも響きを大切に
原文の英語は、韻を踏んでいる文章が多く、イギリスに古くから伝わるマザー・グースの歌のようです。直感的に、その魅力にひき寄せられました。
翻訳の段階では、原文の韻の響き(ライミング)を日本語の響きに近づけるようにしました。出版社からは一字一句違わずに訳してほしいとは言われなかったので、文のリズムを重視したり、原文が奏でる旋律を日本語に載せていったりするような感じで訳していきました。
難しかったですが、思えばエッセイを書く時でも意味より響きを優先する癖が自分にはあって、いまだに、編集者さんから「こういう日本語はないですよ」と指摘されて、はっとすることもしばしばなんです。そのくらい、私は言葉を完全に音で覚えているんですね。
コンプレックスは「中途半端な言語」
私はインターナショナルスクールに通っていたこともあり、12歳までは英語中心の生活で、小学6年生から高校1年の半分くらいまでが日本の学校、16歳からはフランス語が習得したくてスイスの学校に行きました。その都度、言語が切り替わって、言葉は全部、音で覚える感覚で身についてきたんです。
今も家庭内では、子ども同士はみんな英語です。母親の私は日本語で答えようとするんですが、英語につられて混ざっちゃったり。日本にいるときの会話はなるべく日本語にしたいんですけれどね。もどかしさはあります。
自分の言語が中途半端というか、ずっとコンプレックスなのですが、でも裏返せば、言葉を国境なく地続きの心の音で楽しめている一面があると自覚しています。
学業や結婚や仕事に決まった順序はない
16歳から行ったスイスでは、お小遣いをためて日本ではまだ翻訳されてないような絵本を集めていました。
その頃、出会った一冊『The Important Book』を知り合いに見せたら、「あなたが翻訳すれば?」と言われたことが、のちに最初の翻訳絵本『たいせつなこと』が出版されるきっかけになりました。
その時もそうでしたが、私は昔から「こうしたい、ああしたい」というのがないのです。
エッセイを書くことになった時も、映画に出演させてもらった時も、音楽活動の時も、人に言われてとか誰かに勧められるままにとか、まるで“漂流する”がごとく。
これでいいのかなぁと感じなくはありませんが、人生の色んな諸先輩方が「何をするにも、こうと自分で決めないほうがいい」とおっしゃっているのも聞いてきたので、肩の力も抜けてきました。
その時その時の巡り合わせに感謝して、とても光栄な「めっけもん」と思って取り組んできました。こんな幸せなことはないなと感じています。
母からこんなふうにいわれたこともありました。
私が19歳で結婚する時、フランスで通っていた大学を結局休学することになり、遠慮がちに相談したんですね。すると、「勉強なんて一生涯するものなんだし、色んな人生があるんだから。人生はこうじゃなくちゃいけないとあなたが決めてかかる必要はないんだよ」と。
学業や結婚や仕事に決まった順序はないのだと。母が気楽に言っていたそんな言葉にも、背中を押してもらいました。
今、こうして文章を書くお仕事をさせてもらっていますが、対談だったり、取材だったり、また、絵本を通してだったり、色んな人や人生と出会いがあることはとても大きな喜びですね。
子どもたちとの大切な時間は読み聞かせ
そんな私がこれだけはと思ってやってきたことが、子どもたちへの絵本の読み聞かせです。
毎晩、私が好きな一冊、子どもたちが好きな一冊を選ぶところからはじまって、会話もはずんでくるし、ずっと楽しんできました。
今、上の子たち二人は成人しているので、読み聞かせはずいぶん前に卒業してしまいましたが、一番下の子が10歳で、最近は私に読み聞かせしてくれることもあります。
読み聞かせをしている時間は子どもたちと交流していることを一番実感できるひとときなんです。
あの時の父との濃密な瞬間
『こぐまとブランケット』の絵本は、たなかようこさんの柔らかなタッチの絵で、こぐまとブランケットが長年連れ添った持ち主の少年と離れ離れになってしまった物語です。少年は成長すると、いつしかこぐまとブランケットを大切にしていたことなど忘れてしまいます。
こぐまは、そのことに大変ショックを受けますが、持ち前の明るさを取り戻して、新しい仲間たちのいる楽園で元気に人生を楽しみ、焚き火を囲いながら思い出語りをしている様子が描かれています。
これは私の想像ですけれど、少年も大人になったらいつかふとした瞬間に、こぐまとブランケットのことをきっと思い出すのでしょう。そうして、失った何かに思いを馳せるのです。
たとえば、私は、父親(ミュージシャンの故・内田裕也さん)とは人生のうちにほんのひとときしか一緒の時間は過ごせなかったのですが、その分、共有した時間は濃密で、生き生きとした瞬間が鮮明な記憶で胸に残っています。「あの日、父はこんな服を着ていたな」とか、「ちょっと嬉しそうだったな」とか、「あの時イラついていたな」(笑)とか。
だから、大事なのは共有した時間の長さじゃなくて、濃密な瞬間だったんだと、今になって思えています。それは『こぐまとブランケット』にも描かれていることかもしれません。
お子さんだけでなく大人の方も、いろんな年齢の人がそれぞれの想いで読みとれるのではないかなと思います。
(取材・文:堀あいえ 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)