「学校に行きたくない」娘と通った通学路。それはぼくの子ども時代の追体験だった

4月2〜8日は発達障害啓発週間です。発達障害のある人は環境の変化への対応が苦手といわれています。娘との登校で自身の小学生時代を追体験したライター・遠藤光太さんが「あの時の自分に伝えたいこと」。
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春と発達障害は相性が悪い。  

発達障害の当事者であるぼくが春になると思い起こすのは、不安だ。

通う教室が変わる。クラスメイトが変わる。担任が変わる。リセットされる環境にいちから適応しなければならないと思うと、体がすくむ。

もとより、幼稚園のテラスでは、みんなの居る部屋に入れずに泣いていた━━。これはぼくの最も古い記憶だ。

小学校低学年では不登校になっていった。春の連絡帳には、母が担任に対して「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と書き連ねていた。

MILATAS via Getty Images

逃げ場をなくした小学校時代

ぼくが24歳で父親になってから、7年経った。7年の間にぼくはうつになり、発達障害の診断を受け、娘は小学生になった。

2020年、桜の咲く季節の登校が叶わないまま、一斉休校が続いた。入学式は6月にずれ込んだ。

6月から年度末までの10カ月間、ぼくは娘とよく小学校に通った。クラスの保護者のなかで、最も学校に行ったのはぼくだろうと思っている。理由は娘が「学校に行きたくない」と訴えかけるからだ。

マスクをつけて、換気の効いた学校に向かう。

手をつないで歩いていると、娘の汗で、緊張の高まりが伝わってくる。ぼくは「休んでもいい」と伝える。

校門を抜け、徐々に歩く速度がゆるまっていき、引き返して実際に休む日もある。それでもやる気を出して教室に向かう朝は、下駄箱のあたりから、ぼくは教室がざわざわしていることに気づく。

小学生の頃のぼくは、聴覚過敏(雑音まで拾ってしまう脳の特性)の影響もあり、教室で過ごすだけで疲れてしまっていたのだろうと想像できる。登校した日には、過呼吸のようになって教室を飛び出し、トイレに逃げ込んだ。トイレの個室に入ってみても、逃げ場がなくておさまらなかった。

学校はぼくにとって、区切られた閉鎖的な空間だった。親や先生から切実に登校を迫られ、本当の気持ちを言えなかったぼくには「換気」の悪い場所だったのだ。娘と学校に行くことで、ぼくは子ども時代を追体験しているようだ。 

居場所は学校だけではない

YOSHIKA SUZUKI/鈴木芳果

ある日、娘が学校を途中で切り上げて帰ってきた。

先生に「今日は帰りたい」と訴え、相談の上で帰ることを決め、帰宅した。学校は区切られた空間のようだが、娘は「きちんと意思を伝えれば外とつながれる」と体感できた。この1回の体験がもたらす心理的安全性は、大きなものだっただろう。

それは子ども時代のぼくが必要としていた体験だった。

トイレに逃げずに、家に帰れていたら、学校はぼくのなかでひらかれた場所になっていたかもしれない。校門を入って、校舎に入れずに校庭で泣いていたとき、家に電話して帰れたら、別の日には安心して学校に行けたのかもしれない。ひいては、大人になってからうつになるリスクを下げられていたかもしれない。 

外とつながっている。居場所は学校だけではない。学校に行けないことは、自分が尊重されない理由にはならない。教育を受けさせる「義務」は保護者の側にあり、子どもには学ぶ「権利」があるだけだ。娘にはそうしたことを伝えられるよう、寄り添っている。 

「がんばってるね!」と言われているのは

筆者提供

新宿御苑に行く機会があった。舞い散った花びらが土の上に広がっていた。いくつか拾い上げてよく見てみると、桜の花びらはグラデーションになっている。ほとんど白に近い部分もあれば、濃いピンクの部分もあり、カンザクラやソメイヨシノといった種類によっても異なる。

教室の扉、昇降口、校門はそれぞれ、学校が苦手な子どもにとって厚く分断されているように感じられる場所だ。しかし、実は外とグラデーション状につながっている。教室と家は、分断された別の場所ではない。

そのことを知るには、先生たちや地域の人々と関係を築くことが適当だった。

娘は、一日の途中から登校する日もある。通級教室の信頼する先生のところに寄って、気持ちを落ち着かせてから教室に行くこともある。周りの保護者から声をかけてもらい、気持ちがやわらぐ朝もある。毎日の積み重ねで、娘を取り巻く環境はやはりグラデーション状につながっていくことを、10カ月間娘とともに学校に通ったぼくは体感した。

ボランティアとして通学路に立ってくれているおじいさんに、「おはようございます」と挨拶する。「がんばってるね!」と言われているのは、娘だけでなくぼくもなのかもしれない。

いまは親子で学校に通い詰めて、ともに淀んだ空気を循環させていく。閉ざされているように見える場所を、桜の花びらのように、グラデーション状にひらいていく。

弱い紐帯をたくさんつくろう

家はどうだろうか。

油断すると、閉鎖的になってしまうことがある。公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんは『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(角川新書)のなかで、「法は家庭に入らず」という明治民法の精神を紹介している。信田さんによれば、それは戦後の民法にもそのまま引き継がれているという。

法さえも入れないほど、家の扉は閉ざされやすい。「親密な関係の危険性」(同書)があるからこそ、ぼくたちの家には外からの風を入れたい。

地域の人々と、ちょっとでもコミュニケーションを取ってみる。担任、学童の先生だけでなく、通級の先生や教頭先生、医師、教育センター、親の友人、地域の保護者コミュニティなど、頼れる人はみんなちょっとずつ頼る。

娘から「親になって気づいたことある?」と不意に聞かれたとき、ぼくは「親も完璧じゃないってこと」と答えた。

子どもの頃は完璧だと思っていた「親」になっても完璧じゃないぼくたちは、社会学者のグラノヴェッターが言う「弱い紐帯の強み」を参考にできるだろう。

家族や親友、同僚といった強いつながりよりも、ちょっとした知り合いのほうが価値ある情報を提供してくれることがあると提唱したものだ。顔を合わせたら挨拶できる程度の、弱い紐帯をたくさん持っておけると、大人も子どもも少し生きやすくなることは、ぼくもこの10カ月間で実感しているところである。

扉をひらこう。風通しをよくしよう。弱い紐帯をたくさん作ろう。学校も家もひらいて、古民家の縁側のような、あいまいな領域を持っておこう。

娘は学校に行かない日もあるが、絵や工作が好きで、そんな自分を尊重していると感じられる。学童の帰り道に、家まで待てずにその日の「作品」を出して見せてくれるときの笑顔を備えたまま、育ってほしい。

娘の作った作品
娘の作った作品
筆者提供

毎年4月2日は自閉症啓発デー、4月2日から8日は発達障害啓発週間である。

春は試練だ。しかし、ひらいていくことで、不安を和らげられたらいいと思う。 

(文:遠藤光太 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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