千葉県に住む13歳(当時)の自閉症の少年によるエッセイが原作となり、イギリスで映画化された『僕が跳びはねる理由』が公開中だ。
その原作とは、東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)だ。自閉症のある人たちは、ともすると「感情がないのではないか」「奇声を上げる怖い人だ」などと偏見を持たれる。
しかし、外からは見えづらくても、当然ながら彼・彼女らの内面には思考、感情、記憶がある。発声によるコミュニケーションを取るのが難しい東田さんが、13歳の若さで自身の内面を豊かに描いた本書は、世界で驚きをもって迎えられた。
イギリス人のベストセラー作家デイヴィッド・ミッチェルさんも、そのひとりだった。ミッチェルさんには、自閉症のある息子がいる。妻のケイコ・ヨシダさんとともに英訳を手がけたことをきっかけに、『自閉症の僕が跳びはねる理由』は世界に広がっていった。現在では、世界30カ国以上で出版され、累計販売部数は117万部を超えている。
自閉症当事者の繊細なまなざしを再現
シャボン玉、花火、風の音、トランポリンのきしみーー。映画『僕が跳びはねる理由』が切り取る「世界」は、自閉症の当事者たちが持つ感覚の過敏さや独特さを観る人に知らせる。
自閉症を描く映画は多いが、内からの繊細なまなざしを描写する作品は貴重だ。世界4カ国(インド、イギリス、アメリカ、シエラレオネ)、5名の当事者とその周囲の人々を映し出す本作は、観る人に新鮮な驚きをもたらしてくれるだろう。
東田さんの原作を翻訳し、映画にも出演している作家、デイヴィッド・ミッチェルさんに話を聞いた。
彼・彼女らには「声」がある
「なぜうちの三歳児は床に頭をがんがん打ちつけるのだろう?」
「『ピングー』のDVDが傷だらけになって再生できなくなったとき、四十五分間も悲嘆の吠え声をあげつづけるのはどうしてか?」(文庫版『自閉症の僕が跳びはねる理由』「解説にかえて」より)
ミッチェルさんは、息子の行動を理解できないことに「罪悪感を持っていた」という。そんな彼が、映画の原作にあたる東田さんの著書に出会ったときの思いを語ってくれた。
「自閉症があっても、彼・彼女らには『声』があるのだと改めて感じ、驚嘆しました。
そして、自分の息子のことをより理解できる本を書いてくれたことに感謝の気持ちを持つとともに、ホッとしたような気持ちもありました。息子が立ち向かっている挑戦が、決して息子だけのものではなく、他の自閉症のある方も同じだと知ることができたからです」
東田さんは、ひらがなの並ぶ紙の文字盤を使って本書を書き上げたが、映画のなかでも当事者が文字盤を使う様子が描かれる。
文字盤を介して発せられることばは、ときに詩的で、論理的で、直感的ーーつまり、自閉症でない人と区別できるものではなく、彼・彼女の内面はただ単に見えづらかっただけだと知ることができる。
呼び方は、当事者たちが選ぶべきもの
「自閉症(Autism)」「自閉症スペクトラム(ASD)」「障害者」「障害のある人」。
彼・彼女らを表す呼称はさまざまだ。ミッチェルさんは翻訳にあたって、当事者たちの希望する表現を使うことを重視したという。
「当事者たちが選んだ呼称を他の人も使うべきではないか、というのが僕の考えです。
当初、『自閉症と生きる人』を意味する“person with autism”を主に使っていましたが、『自閉症者』という意味合いの“autistic person”の呼称もあります。ある当事者から『自分は自閉症であることを誇らしく思っているんだ。“person with autism”ではなくて“autistic person”だと自分は思っている』と言われたこともあります」
自閉症は劣った存在ではない
また、ミッチェルさんは日本語の「自閉症」について、文庫版『自閉症の僕が跳びはねる理由』の「解説にかえて」でこう記す。
“〈自閉症〉という日本語に使われる三つの漢字は、「おのれ」「とざす」「やまい」を意味する。私の想像力がこれらの漢字を変換すると、独房に閉じ込められ忘れられたまま、誰か、誰でもいいから誰かが、そこにいることに気づいてくれるのを待っている囚人、というイメージになる”
しかし、彼・彼女らは「囚人」にさせられるべきではなく、コミュニケーションの回路が通されることによって、他者からも豊かな内面を知ることができる。ミッチェルさんは、“本書は、その壁から煉瓦をひとつ、打ち抜いてくれるのだ”と続ける。
ミッチェルさんらが翻訳したことをきっかけに、東田さんの著作は世界に広がった。当事者の保護者たちにも、本書は手渡されている。
「3年ほど前、イギリスの学会のコーヒーブレイクである医師と話していたら、『翻訳してくれて本当にありがとう。何冊も自分の診療所に置いてるんです』と僕に伝えてくれました。彼女は、自閉症の診断を伝える際、親御さんにこの本を1冊渡しているそうです。
かつては、自閉症のある子どもは『感情がないのではないか』『(親や周りの人を)愛することができないのではないか』と言われていたわけです。でも『診断を受けたからと言って、あなたのお子さんが感情のないロボットに置き換えられたわけではありませんよ』と。
自閉症があることは劣った存在なのではなく、彼らには創造性もあるし、ユーモアもあるし、何より人々のつながりの一部でありたいと彼らは思っています。その証明として、この本や映画があると僕は思っています」
自閉症でない人のためにデザインされた世界で生きている
映画には、ミッチェルさんも出演している。
完成した作品を観た、イギリスの自閉症協会で働いているレオさんは、「自閉症の見せ方のバランスが取れている。決してメロドラマになりすぎず、上から目線になることなく、でもネガティブなことばかりでもなく、ましてや『エルム街の悪夢』みたいなトーンでもない、全てのスペクトラムを見せているところが、バランスが良くて素晴らしい」と彼に伝えたそうだ。
「完成した映画を観て、僕は非常に感動しました。ジェリー・ロスウェル監督のスキルとビジョン、イマジネーションに感服しました。また、4カ国にわたって当事者たちを追っているので、自閉症は、直樹と日本の家族だけ、あるいは英国の中流階級だけの話ではなくて、コスモポリタン(全世界的)な現象なのだと改めて感じることができます」
そして、ミッチェルさんは、最後にこう付け加えた。
「自閉症の子どもがいる親として、自閉症でない方々がこの映画を観て自閉症の方々をより理解しようとしてくれることに、ありがとうと言いたいです。
そしてもうひとつ、先にありがとうを言っておきたい。
街で自閉症の人と会ったときに、もしかしたら見慣れていない行動をするかもしれませんが、彼・彼女らは別に自己中心的でないし、失礼をしたいわけではないし、悪気があってやってるわけではない。
彼・彼女らは、自閉症でない人たちのためにデザインされた世界のなかで、自閉症として生きているわけです。だから、少しの忍耐と少しの寛容と少しの思いやりをもっていただければと思います」
毎年4月2日は、国連総会で定められた「世界自閉症啓発デー」だ。国内では、毎年4月2日から8日が「発達障害啓発週間」とされている。映画『僕が跳びはねる理由』を観ることで、隣にいる人々の「声」が聴こえてくるかもしれない。