加害者家族バッシング、なぜ起きる。880の回答が示す『日本特有の“個人”の捉え方』【アンケート調査】

回答結果をもとに、加害者家族が困難や生きづらさを抱える背景や要因を、専門家と一緒に紐解いた。
イメージ画像
イメージ画像
erhui1979 via Getty Images

親や子供、配偶者が事件や事故を起こすと、なぜその家族も同じように厳しい視線に晒されるのか。

ハフポスト日本版は、加害者家族のインタビュー記事の読者らを対象にアンケート調査を実施し、加害者家族の「責任の有無」「批判やバッシングへの賛否」についての考えを2択で尋ねた。

寄せられた880件のうち、いずれも加害者家族を擁護する回答の割合が大きく上回る一方で、全体の3割超が責任を求める考えで、1割余りが批判・バッシングを容認するという結果になった。

犯罪心理やネット中傷に詳しい駿河台大学の小俣謙二教授(社会心理学、犯罪心理学)は、こうした家族への厳しい態度の背景として「十分な個や個人が確立されていないという日本の特殊性」を挙げる。

回答結果をもとに、加害者家族が困難や生きづらさを抱える背景や要因を、小俣教授と一緒に紐解いた。

駿河台大学の小俣謙二教授
駿河台大学の小俣謙二教授
本人提供

アンケート結果、数字

調査の実施期間は昨年12月2日〜今年1月26日で、加害者家族について2択で聞いた。

▽家族の一員が他人に危害を加えた場合、加害者家族の責任についてどう思いますか?

▽事件の加害者家族が批判やバッシングされることがあります。どう思いますか?

寄せられた884件の回答結果は次の通り。

責任の有無

「責任がある」328件(約37%)

「責任がない」556件(約63%)

 

批判・バッシングへの賛否

「賛同する」109件(約12%)

「反対する」775件(約88%

責任について6割以上が否定し、加害者家族を擁護する回答が多数派だった。

批判・バッシングに対しては9割弱が反対。そもそもバッシングを許してはいけない。加害者家族に責任があるかどうかに関わらず、第三者による批判の的になるべきはない。

大多数の人がそう考えていることが、この結果に表れている。

加害者家族の責任、どう思う?

加害者家族についてのアンケート調査
加害者家族についてのアンケート調査
Huffpost Japan

次に、各設問の回答理由をみていく。

◇「責任ある」理由

《加害者の家族の一員だから、連帯責任がある》

 

《予兆があったはずで、それを見てみぬふりをしていたり対応をしていなかったりしたから、 事件が起こったのではと考えるから》

 

《被害者が拠り所がなくなってしまうから》

 

《加害者が未成年の場合は親に監督責任があると思うから。加害者が成人の場合は家族に責任はないと思う》

回答の傾向として、家族の連帯責任や、加害行為を止められなかったこと、被害者感情などを挙げる人が目立った。

加害者が未成年の場合のみ、親としての責任があるという意見も多かった。

◇「責任ない」理由

《加害者家族と加害者は別人格であり、連帯責任は無いと考えているから》

 

《堂々と「自分はこれから犯罪をする」と公言して犯罪を犯す犯罪者は少ないと思うので、 家族が犯罪を犯していることを知っていないのは普通だと思うから》

 

《被害者への償いに協力するという立場であって、 「責任」という言葉を使われることには反発する》

 

《自分も加害者、加害者家族になり得ると感じているから。加害者家族も被害者だと思うから。 親や配偶者の努力で加害行為がなくなると思っていないから》

回答者の大半が、家族と個人は別物という理由。他人の行動をコントロールできないことや、「加害者家族も被害者」という意見もあった。

家族は加害者を止められるのか

家族は加害者の行為を止めることができるのか。

「責任がある」と答えた人たちは、「止める義務がある」「予兆があったはず」などと理由を説明。家族が加害行為を防げるという前提で、怠った責任を問う形だ。

「責任がない」と答えた側は、家族の努力でどうにかなるものでなく、加害行為をしていること自体に気づくのも困難だと考えている。

この認識の差について、犯罪心理やネット中傷に詳しい小俣教授は「家族というものの捉え方が背景要因にある」という印象を持つ。

「一緒に住んでいるから止められる、だから家族に責任があるという意見は、加害者個人と家族を一体化して捉えています。これに異を唱えるのは、加害者個人と家族は別の独立した存在という認識を持った人たちです」

加害者家族になった途端、周囲が冷たい態度を取るようになるのも、家族と個人を同一視する心理が表れているという。

「あの人は犯罪者と同じと、グループで括ってしまう。人格も何も違う存在なのに、あの人のそばによってはいけない、となる。そこに、犯罪に関係している人と関わり合いたくない、と忌み嫌う心理も合わさっているのだと思います」

加害者家族への眼差しは、アメリカでは日本と180度異なる。

例えば、1998年にアーカンソー州で銃乱射事件を起こした少年の母親が、実名・顔出しでテレビのインタビューに応じた際、励ましの手紙が多数寄せられた。

この違いについて、小俣教授は日本とアメリカの「個の確立」に着目する。

「個や個人が確立していると言われるアメリカではむしろ、加害者家族を支援する態度になるのだと思います」

その点「成人の場合でも、十分な『個人』『個』の確立がなされていないというのが、日本の特殊性です」と付け加える

日本は、「連帯責任」のように個人と家族(集団)を同一視する一方で、個人に「自己責任」を強く求める風潮も混在する。

「日本の『個の確立』は自立。自立というのは、なんでも自分でできるというニュアンスで捉えられています。本来の自立は、他の人に支えられて立つことで、自分をコントロールすること。人間は社会的な動物で、一人で何でもはできません」

加害者家族への批判・バッシング、どう思う?

加害者家族についてのアンケート調査
加害者家族についてのアンケート調査
Huffpost Japan

続いて、批判・バッシングへ賛否の理由に移る。

「賛同する」回答は全体の1割余りとはいえ100件を超えた。どんな理由からなのか。

◇賛同の理由

《性犯罪や凶悪犯罪を犯した人間の家族が「自分は関係ない、自分も被害者」は間違っている》

 

《バッシングされることで犯罪抑止となるなら良いと思う》

 

《加害者本人の責任意識を認識させるのに必要》

 

《被害者からしたら加害者家族も加害者で、当然だと思う》

 

《加害者の子供には同情するけど、事件によっては仕方ないとおもう》

主な理由は、犯罪抑止被害者感情加害者への責任追及の一環など。事件の内容や家族の態度次第といった条件付きの賛同が多かった。

◇反対の理由

《バッシングしている人たちは単に自分の憂さ晴らしのためだと思うからです》

 

《加害者家族を批判したところで、その先には何も良いことは生まれないと思います。事件とは直接関係のない人を責めても、次の事件が防げることもないでしょう。 批判するだけ悪意のある言葉によって傷つく人が増えるだけとも思います》

 

《自分の意思でコントロールできないことで責められるのは理不尽だと思うから》

 

《加害者家族も、ある日突然環境が変わってしまう点で、被害者家族と変わらない》

バッシングする動機や効果への疑念や、家族への批判自体を問題視する意見が多くを占めた。一方、「被害者側からのバッシングは受け止めるべき」という意見も目立った。

バッシングへと駆り立てるもの

「責任がある」が3割超(328件)に対して、批判・バッシングへの賛同は1割余り(109件)。

今回の調査で、加害者家族についてネットやSNSに書き込んだ経験を尋ねると、「ある」と答えたのは63件で、そのうち厳しい内容や態度を示したのは20数件。自分の書き込みが「誹謗・中傷にあたる」という認識を示したのは7件だった。

厳しい態度や批判・バッシングへと駆り立てるものは何か。

「加害者家族にも責任があるという認識の下で、怒りや不公平感が抱いた時、行動を後押しするのではないか」と、小俣教授は回答理由から分析する。

責任追及とバッシングへの賛同理由として共通する『被害者感情』への配慮について、こう指摘する。

「加害者側だから被害者のことを考えろ、ということだと思います。被害者はつらいのに、加害者家族が平気では、不公平に感じる。それで『お前も一緒に苦しめ』という形になるんじゃないでしょうか」

イメージ画像
イメージ画像
wenjin chen via Getty Images

「公正世界信念」とは

小俣教授は『「公正世界(正当世界)信念」』の影響にも触れる。

いい行いは報われ、悪いことは罰せられる公正な世界に私たちは属している、という考え方を指す社会心理学の言葉だ。

「この考えが強いと、加害者家族が楽しむ姿を目にして『何をしてる、不公平だ』となる。居眠り運転事故の遺族の『加害者家族が幸せに暮らすことは許せない』という回答にも表れているように思います」

「ただ、悪いことをしたのは加害者で、加害者家族ではありません。そこを一緒くたにしているのが問題。ここには、個が家族の中に埋もれていることを表す『家族の連帯責任』といった考えが影響しているのでしょう」

個の確立が不十分なため、加害者と家族が同一視される。さらに、加害者側に対して不公平感や悪いことは罰せられるという考えを強く抱くと、バッシングという形で表れる。

加害者家族への厳しい態度が生まれる流れや背景のひとつとして、そう捉えることができる。

Scale of justice and ancient world map
Scale of justice and ancient world map
aluxum via Getty Images

「当事者」の間でも分かれる意見

調査には、加害者家族や被害者だと自ら名乗り出る人たちからも回答が寄せられた。確認できた「加害者家族」は15件、「被害者」は2件。こうした当事者の回答は以下の通り。※()は被害者の内数

責任

「責任がある」6件

「責任がない」11件(2)

 

批判・バッシング

「賛同する」3件(1)

「反対する」14件(1)

それぞれ回答の一部を紹介する。

【責任について】

◇ある

加害者家族:《自分も、夫がわいせつ行為で仕事を辞めたことがあります。示談で済み、周囲に知られることはありませんでしたが、なぜ主人の不可解な行動に気づけなかったか、 主人は私に不満があってそのような行為に及んだのでないか、など考えてしまうからです》

 

被害者:《私も交通ひき逃げ事故で被害者になった。刑事裁判でふざけた言い訳ばかりしている加害者。 それを家族にしている人も被害者にとって真摯に対応してほしいから》

 

◇ない

加害者家族: 《事件の内容によっては責任があるのかもしれませんが、司法で裁かれていない限りは加害者だと見なされるのはおかしいと思います》

 

加害者家族:《責任は本人だけです。家族は本人を死なせないことで精一杯です。本人を守りたい気持ちが強いです》

【批判・バッシングについて】

◇賛同

加害者家族:《仕方の無いことだと思います。今回うちでは人様に軽度の危害をくわえた…まだ幸いに双方死人が出ていませんが、許されることではありませんし、当初は本人を残して心中することも視野に入れていました》

 

被害者:《私自身居眠り運転によって家族を殺されていて、その加害者家族が幸せに暮らすことが許せないから》

 

◇反対 

加害者家族:《加害者家族を批判してもなにも変わらない》

 

加害者家族:《犯罪を犯した本人が法で裁かれる、そして家族は経済的、社会的に制裁を受ける。事件と関係のない人たちが報道だけをみて家族まで批判することは間違っていると思います》

編集後記

アンケートを通じて印象的だったのは、「加害行為」に至る過程や家族の役割に対する捉え方がそのまま、責任が「ある」「ない」の回答を分けていたことだ。

家族が本人の加害行為を察知し、防ぐことができるのか。

可能と考える人は家族に「責任ある」、そう思わない人は「責任がない」という回答で、はっきりと傾向が分かれていた。

筆者が過去に取材した2組の加害者家族は、どちらも逮捕の知らせで初めて家族の加害行為を知ったと答えていた。

アンケートではまた、家族の加害行為に気づけなかったことに責任を感じる加害者家族もいた。

被害者側からの意見には向き合わなくてはいけないが、家族という理由だけで第三者からの責任論や批判にさらされ、不幸になる人が増えるのは、誰のためになるのか。責任や批判の声をあげる前に、立ち止まって考えてほしい。

注目記事