廃部の危機を乗り越えた日本最北の高校ラグビー部を応援しようと、OBや地域の人たちがスクラムを組みクラウドファンディングに取り組んでいます。
厳しい環境の中で頑張る生徒たちを支援するだけでなく、そこには過疎化や高齢化が進む「地元」を元気づけたいという思いも込められています。
部員がわずか3人に…廃部の危機乗り越え
北海道の北部、日本海に面した苫前(とままえ)郡羽幌(はぼろ)町は、国定公園に指定される天売島、焼尻島をはじめ豊かな自然に恵まれた地域で、全国トップクラスの「甘エビ」の漁獲量を誇る人口6700人ほど(2021年)の町です。
この小さな町にある北海道羽幌高校ラグビー部が〝日本最北の高校ラグビーチーム〟です。
1976年の創部以来、冬の厳しい気候や、ラグビー部がある最寄りの高校まで車で2時間半以上かかるといった遠隔地のハンデを抱えながら活動してきました。2013年には、「花園」の愛称で知られる全国高校ラグビー大会の北海道予選北大会で決勝に進出。5点差で敗れ、あと一歩のところで全国への切符を逃し、涙をのんだこともあります。
かつては羽幌炭鉱を有し、人口が3万人を超えたこともあった町の人口は4分の1以下になりました。
同高の生徒数も現在は170人を割るなど人口減少は深刻で、どの部活動もメンバー確保には毎年悩まされています。ラグビー部もこの数年は野球部などから助っ人を集めても単独チームを編成できず、旭川市の高校などと合同チームをつくって大会に参加してきたそうです。
そんな綱渡りで存続してきたラグビー部に最大の危機が訪れたのは2019年の秋。
3年生部員が引退すると、残った部員は主将と女子部員、マネジャーの1年生3人だけになってしまいました。もともと2年生はいません。さらに翌年春には、ラグビー経験があり、ずっと指導してきた監督が転勤で学校を離れてしまいました。
W杯が追い風に。新入生男子10人が入部
「正直、厳しい状況になったな、とは思いました」と、2017年から顧問を務めてきた酒井雄大先生(26)は振り返ります。
関係者の間でも、廃部は時間の問題かというあきらめムードが流れていたといいます。しかし、2020年春に「奇跡」が起きます。なんと新入生10人が入部、女子マネジャー2人も加わり、部員は一挙に15人になりました。
追い風になったのはラグビーW杯での日本代表の活躍でした。
「新入生の間で『高校に入ったらラグビーやろう!』と声をかけあっていたようです。とはいっても27人しかいない1年生男子の中から、10人が入部してくれるとは思いませんでした」と酒井先生は話します。
ラグビーをやりたい! 伝統ある部を自分たちの手で存続させたい! と部員たちが放ったパス。これをしっかりと受け止めたのは、部のOBや地元の人たちでした。
早速「羽幌高校ラグビー部を応援する会」を結成し、活動資金の援助や指導に乗り出しました。
OB「ラグビーを選んでくれた生徒たちの熱量に動かされた」
応援する会の代表に就任したのは部OBで、明治大学ラグビー部前監督の丹羽政彦さん(52)=札幌在住=です。
「厳しい環境の中、ラグビーを選んでくれた生徒たちの熱量に動かされた」と話します。
丹羽さん自身、ラグビーとの出会いで人生が大きく変わった一人です。羽幌の隣の苫前町出身。高校在学中、たまたま北海道遠征にきていた明治大学のラグビー部と練習試合をすることになり、そこで丹羽さんのプレーが、当時の故北島忠治監督の目にとまり、スカウトされました。
進学した明大ではウィングとして活躍し、4年生の時には大学選手権で優勝。卒業後は清水建設に就職し、社会人ラグビーでも活躍し、2013年から5年間、明治大学ラグビー部の監督を務めました。
2020年はコロナ禍で練習もままならない時期もありましたが、丹羽さんも羽幌町に出向いて指導にあたっています。
今はまず、ご飯をたくさん食べて、体を大きくすること、ウエイトトレーニングで筋力をつけることが大事だと指導しているそうです。
「これは努力すれば、必ず力になることです。やれることはたくさんあるんだよ、ということを伝えています」
「自分たちもやれるんだという自信を持ってもらいたい」
今回のクラウドファンディングで集まったお金は、創部以来、実施したことのない本州への遠征費や、専門の指導者不在の中、外部から招くコーチの交通費の補助などに使いたいといいます。
「小さな町で刺激も少なく、困難なことが多いと、どうしても気持ちが内向きになってしまいます。だからこそ、遠征や練習試合など、いろんな経験を通して、自分たちもやれるんだという自信を生徒たちには持ってもらいたい」と丹羽さんは言います。
「自分たちがラグビーをやれるのは決して当たり前のことじゃない。多くの人たちに支えられているからこそ。そうした感謝や、誰かのためにという気持ちは、〝ここぞ〟という時に大きな力になるんです」
丹羽さんによれば、羽幌はもともと漁師町で、炭鉱で栄えた時代もありました。かつては剣道なども盛んで、羽幌炭鉱の全盛期には野球部やスキー部など実業団チームが全国レベルで活躍していました。
1970年の閉山でそうした活気は失われてしまいましたが、40年を超える歴史を重ねてきた羽幌高校ラグビー部の歩みは、スポーツの町という羽幌のイメージを引き継いでいくものといえるかも知れません。
「誰かを応援することで、地域も元気に。スポーツにはそういう力がある」
小さな町にラグビー部があるということは、それだけラグビーを愛する土壌も豊かだということにつながります。今回の取り組みが発表されると、様々な場所でラグビーを続けるOBたちや、羽幌のラグビーと関わった人たちから熱いメッセージが次々と寄せられ、応援する会のFacebookページで紹介されています。
クラウドファンディングには、ラグビーの国代表やプロチームのユニフォームを手がける大手スポーツウェアメーカーや地元の水産加工会社が協力しているほか、地元企業が直接ラグビー部にチームのポロシャツを寄贈するなど、支援の輪がじわじわと広がっています。
「誰かを応援することで、地域も元気になってもらいたい。スポーツにはそういう力があると思います。支援をうける私たちも高校生も、恩返しのためにより一層頑張ることができる。課題や問題は山積みですが、みんなで弱みを強みにかえていくような取り組みを続けていきたい」と丹羽さん。
クラウドファンディングによる支援は、3月31日まで受け付けています。詳細はこちら。
(朝日新聞社デジタル・イノベーション本部 山内浩司)