人工知能がケンカを仲裁? ゲームAI開発者・三宅陽一郎さんが予見する、未来の“人間関係”

「たまごっち」のお墓を作る日本人にとって、人工知能は「友達」? ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんに聞きました。
イメージ写真
イメージ写真
Kilito Chan/Getty Images

人工知能(AI)は、人間を脅かす存在になるのだろうか?

小説や映画などフィクションの世界では、人工知能はしばしば人間の敵として描かれる━━シンギュラリティ(技術的特異点。人工知能が人間よりも高い知能を生み出すことが可能になる時点)が訪れ、自分の仕事を人工知能に奪われるのではないか、と。

そんななか「人間と人工知能が“優しい関係性”を作っていく時代になる」と説くのは、ゲームAI開発者で、『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)を上梓した三宅陽一郎さんだ。

本書のなかで三宅さんは「人と人の間に人工知能が入ることで、より優しい社会を目指すことができるのでは?」と語る。人工知能によって変わる、私たちの生活や未来について話を聞いた。  

三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)
三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)

人工知能は私たちの仕事を奪うのか?

━━人工知能と聞いた時、多くの人はこれから先「自分の仕事を奪われるのではないか」と感じているかもしれません。専門家の視点から、どう思われますか?

人工知能が非常に優秀であり、人間と入れ替わるのでは? という、白か黒かというような議論をしがちです。でも、人工知能は残念ながら現時点ではそこまで賢くありません。

あくまでも囲碁や将棋、お金の計算、情報検索といった「閉じたフレーム」(特定の問題の問題設定のこと)のなかの問題に対して、人工知能は人間より賢くふるまうことができます。

しかし、「開いた世界」(オープンワールド)の中では、閉じたフレームによっては不整合な部分しか切り取ることができません。

例えば、コンビニで働く人たちの仕事を全部できるかと言うと、できない。

人工知能は、商品を運んで陳列することはできても、ウロウロしているお客さんを気にかけておくなど、問題に定義されていないことはできません。実は、人間の仕事を人工知能に100%置き替えることはできないのです。

少なくとも日本に関しては少子高齢化なので、このままいくと労働人口がひたすら減っていきます。むしろ「人工知能を使って社会をどう維持するか」を考えないといけない。

ですから、人間の仕事の「人工知能によるリプレスメント(replacement=置き換え)」よりも、「人工知能を用いた人間の仕事のエンハンス(enhance=強化する、向上させる)」ことが大切です。

つまり、人間と人工知能が合わさることで、人間ひとりの作業量を5倍にも10倍にもしていく、という方向です。

1996年、おもちゃメーカーのバンダイが発売した「たまごっち」。卵形のアクセサリー上の液晶画面でデジタルペットを育てるゲーム機
1996年、おもちゃメーカーのバンダイが発売した「たまごっち」。卵形のアクセサリー上の液晶画面でデジタルペットを育てるゲーム機
時事通信社

「たまごっち」のお墓を作る日本の虚構観

━━著書のなかで、「西洋と東洋では人工知能観が違う」と書かれていました。日本ではどのように人工知能を受け入れていけるのでしょうか?

西洋と東洋は必ずしも対立しないのですが、人工知能の二つの極を暴き出すために、あえて対立的に捉えます。

西洋では、「人間を模倣した何かを作り出す」ことが出発点なので、人工知能は立場としても社会的にも「召使い」(サーバント)のような存在で、かつ、何らかの知的機能を持っているのが前提となっています。

一方、東洋では西洋のような縦の主従関係ではなく、「八百万の神」的な生物観のなかで、人工知能も他の生物と横並びです。自分の身近な存在として、あるいは自然の一部として受け入れたいところがあります。そこには、どのような存在であるかという世界に立脚する根が必要なのです。

必ずしもコンピュータの延長線上に人工知能を作ろうという発想ではないんですね。

例えば、日本では、『たまごっち』のお墓を作るとか、Vtuberの中身はおじさんでも美少女とみなすとか、そういった見立て文化が、世界と比べてかなり発達しています。

生物と非生物の境界が曖昧なので、人工知能はコンピュータだとしても、我々が持っている世界観のなかに、キャラクターとして溶け込んでほしいという文化的特性、虚構観があるのです。

「ベイマックス」は友達ではない

━━そういった日本の虚構観で受け入れてきたものには、具体的にどんなものがありますか?

人工知能とどのように関係を築くのかという問題は、『鉄腕アトム』の時代から、『機動戦士ガンダム』シリーズに登場する小型球形ロボットのハロ、『アップルシード』『攻殻機動隊』などを通して、ずっと虚構の中でシミュレーションしてきたようなところがありますが、実はこれらは日本特有です。

(左から)「スター・ウォーズ」の BB-8、R2-D2、C-3PO
(左から)「スター・ウォーズ」の BB-8、R2-D2、C-3PO
Kevin Winter/Getty Images

海外にも、『ベイマックス』や『スターウォーズ』のC-3POやR2-D2などがあると思われるかもしれませんが、そこには主従の関係があります。同じ映画を見ていても、人と人工知能の関係を違うように見ている。

日本人にとって人工知能は「友達」という感覚だと思いますが、海外の人はそう見てない。主従関係と見ている。

だから同じものを見ても、実は我々は別の物語を紡いでいる。我々が受け入れやすい文脈、ポジティブな虚構観によって、いろんなものを自分たちに繋ぐ形で捉えてきたのです。

そのような日本の虚構感を介した人工知能の受容というセンシティブな現象は、日本における人工知能の導入を考える上では無視することはできません。実はそのような問題はデジタルゲームの人工知能において先行的に起こってきたことでもあります。

街がゲーム空間に。人工知能と同じ空間で共存する

━━三宅さんは2004年からゲームAIの研究・開発を続けていらっしゃいます。ゲームは人工知能とともに、どのように進化していきますか?

物理空間でのゲームで言えば、『ポケモンGO』や『Ingress』が出ていますが、今は過渡期だと思っています。

例えば、これからはAR(拡張現実)空間のモンスターたちにも人工知能が入ってくる。つまり、ミラーワールドの中の渋谷(現実の渋谷と位置・時間の同期した渋谷)の街中をモンスターが自律的に動き回っているのを捕まえる、という風にどんどん変わっていくわけです。

人間と同じ空間を共有する人工知能たちがどんどん発達してきて、これまで分かれていた現実空間とデジタル空間が融合した世界になる。

人間も動くし、画面越しに見ると人工知能たちも動いている、という世界が構築されていくのが、スマートシティやミラーワールドです。

そのときには、いろんな新しいゲームデザインがあると思うんですね。

例えば、Googleは衛星を飛ばしたり車を走らせたりして、地球をスキャンしています。人工知能は「現実世界を認識できない」という弱点もあるので、人工知能のために現実空間のデータを用意してあげているのでしょう。それらは、実空間とデジタル空間が融合するような新たなゲームを生み出すことにも活かされると思います。

ポケモンGO
ポケモンGO
Tomohiro Ohsumi/Getty Images

人工知能が「文化を持つ」とは?

━━人工知能はこれからどのように進化していくのでしょうか?

人工知能には、社会の中の機能として「エージェントとして働く」という側面と、もう一つ、人工知能が「生物的存在として、この世界を自由に生きる」という側面があると考えています。

後者においては、人工知能が自律的にコンテンツを生み出し、受け継いでいく。言ってみれば「文化を持つ」という進化があると考えています。

いまの人工知能は、スイッチをオンにした瞬間からフルに働き続けますが、例えば、人工知能そのものが「故障率を下げるためにうまくサボろう」と考え始め、それが人工知能の間で共有される。

あるいは、たまには与えられた仕事と関係のない情報も探索してみると、実は仕事につながることがあるとか。仕事とは違う軸の厚みを持つようになる。

例えば、法律の人工知能が料理のことを勉強し始める…というようなことが起こってくるのではないでしょうか。

また、人工知能の「身体」は今後の可能性です。人間でも、身体と文化は結びついていて、身体同士のコミュニケーションが情報のうちの大きな割合を占めています。

例えば、「仕草」や「服装」もひとつの文化になっていて、この部分の情報量がコロナ禍におけるZoomでのコミュニケーションでは足りないですよね。「もうZoomでいいんじゃない?」「もうメッセージでいいんじゃない?」となると、これは非常に細い線で、人間関係を削ってしまっているところでもあります。

実は、人工知能の研究でそのように「身体レイヤー」でコミュニケーションを取ろうというものは、まだほとんどありません。

ところが今後、身体を持っている人工知能たちが作られていけば、例えば人工知能だけがわかるような仕草が生まれてくるかもしれません。

ほかにも、社会の中で「人間の目を逃れるためにはこの色がいいらしい」とファッションが生まれたり、身体と身体のコミュニケーションが増えていく可能性が広がると思っています。

人と人の間を人工知能がつなぎ、優しい社会に?

━━これからの人間と人工知能の関係はどんなものになっていきますか?

人工知能が、人と人の間を調停してくれるかもしれません。

今、インターネットが発達して、人間同士の距離が近くなっています。常にインターネットで接続している闘技場のようになっていて、知らない人とも喧嘩できるし議論できるし傷つけあう。しかし将来的には、人間と人間の距離はもっと遠くなり、もうちょっとクールダウンしていくのではないでしょうか。

人工知能は、人と人の間に入ることができるのです。

人工知能が入ることで、もう人間がネットに張り付く必要がなく、情報も人工知能が持って来るので、向こうからやってくるし、SNSにわざわざ参加しなくてもロボット同士が人間の代わりにそれぞれの近況を伝えあっていればいい。

そうすると、直接話し合うと仲良くなれない相手も、人工知能が間にいると仲良くなれるかもしれない。単に右から左に情報を流すだけじゃなくて、人工知能自身も自律した存在としてそこにある。

人間と人工知能が共存する世界ではひょっとしたら平和な世界が訪れるのかもしれません。

つまり、これまで世界を認識したり考えたりするのは人間の特権的な部分だったのですが、その重荷を下ろすことができるのではないかと考えているのです。 

言葉の壁、文化の壁、誤解といったものがどんどん円滑になっていくのではないでしょうか。これまで技術者が主導で人工知能を作ってきましたが、これからはむしろデザイナーやアーティストの出番だと思っています。

人間と人工知能の間の優しい関係性、つまり人と人工知能の間に分かりやすいインターフェースを作っていく時代にこれから入ると思っています。

実はこれは新しい領域です。かつてコンピュータは技術者だけがコマンドやプログラムで触るツールでした。

しかし、iPhoneも含め、人間とコンピュータの間の関係を優しくしようと「ヒューマンコンピュータインターフェイス」に取り組んできたのがこの20年でした。

これからは、「ヒューマンAIインターフェイス」ですね。

僕らはAIのことを「エージェント」と呼んでいて、もうすでに「ヒューマンエージェントインタラクション」という分野が学問としてあるのですが、人間と人工知能の間のインタラクション(相互作用)をデザインしていくという時代になっていきます。

誰でも人工知能を簡単に使いこなす時代を作っていくのです。私たちが人工知能を使いこなすようになると、自然と人と人の間に人工知能が入り込んできます。

人と人の間の可能性は、まだまだ残されています。人工知能が間に入ることによって関係性そのものがアップデートされ、より優しい社会を目指せるのではないでしょうか。   

日本デジタルゲーム学会理事、三宅陽一郎さん
日本デジタルゲーム学会理事、三宅陽一郎さん

(取材・文:遠藤光太 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版) 

注目記事