渋沢栄一は、ノーベル賞受賞の可能性もあった。『青天を衝け』で吉沢亮さん演じる主人公の知られざる足跡

1926年と27年に連続してノーベル「平和賞」にノミネートされていました。その理由とは?

NHKの大河ドラマ『青天を衝け』の放送が2月14日から始まる。

主演の吉沢亮さんが演じるのは、物語の主人公・渋沢栄一。

江戸時代から昭和にかけ、激動の時代を生き抜いた91年のその生涯。最終的に日本の実業界で大きな功績を残した彼は、新1万円札の“顔”になるが、意外にもあまり知られていない事実もある。

今回は大河ドラマの物語の展開とともに、渋沢に関する豆知識を紹介する。

主演を演じる吉沢亮さんと渋沢栄一
主演を演じる吉沢亮さんと渋沢栄一
©︎NHK/時事通信社

大河ドラマ『青天を衝け』 どんな話?

物語の主人公・渋沢栄一の役を吉沢亮さんが演じる
物語の主人公・渋沢栄一の役を吉沢亮さんが演じる
©︎NHK

まずは、『青天を衝け』の物語の展開を紹介する

時は江戸時代。天保11年(1840年)、現在の埼玉県深谷市にあたる武蔵国・血洗島村で藍玉づくりと養蚕を営む百姓の家に、渋沢(吉沢亮)は生まれる。小林薫さん演じる父の市郎右衛門の背中に学び、次第に商売の面白さに目覚める。

そんなある日、渋沢は理不尽に罵倒されたことをきっかけに官尊民卑がはびこる身分制度に怒りを覚え、武士になることを決意する。

その後、橋本愛さん演じる尾高家の千代と結婚した渋沢は尊王攘夷の思想に傾倒。江戸で仲間を集め、横浜の外国人居留地を焼き討ちする攘夷計画を企てるが、従兄の猛反対により実行を断念する。この事で幕府に追われる立場となり、京へ逃げる。

窮地に立たされた彼を助けるのが、草彅剛さん演じるのちの徳川15代将軍・一橋慶喜の側近である堤真一さん演じる平岡円四郎だった。渋沢は「幕府に捕らわれて死ぬか、一橋の家臣となるか」という選択を迫られる。この選択が、渋沢のその後の人生を大きく変えることとなる。

草彅剛さん演じるのちの徳川15代将軍・徳川慶喜
草彅剛さん演じるのちの徳川15代将軍・徳川慶喜
©︎NHK

渋沢はその後、一橋家の財政改革で手腕を発揮。しかし、慶喜が将軍となったことで「倒幕」を目指すどころかいつのまにか幕臣になってしまう。

そんな彼の転機となったのは、フランス・パリへの留学だった。

万国博覧会の随員に選ばれ慶喜の弟とパリに渡った渋沢は、株式会社とバンク(銀行)の仕組みを知ると、民間が力を発揮する社会に衝撃を受ける。しかしその折、日本から大政奉還の知らせが届き、帰国の途に着く。

帰国後、静岡に隠居していた慶喜を支えることを決意するが、新政府から大蔵省への仕官を命じられ上京することに。

その後、租税・鉄道・貨幣制度など次々と改革を推し進めること3年半。この時33歳だった渋沢は、決意を胸に辞表を提出。さらなる民間改革を進めていくことになる。

主演の吉沢さんは渋沢の役について、「今回の大河の主人公・渋沢栄一さんは“ちゃんと生き抜く人”です。いろんな波に飲まれて、下手したら死んでいたかもしれない瞬間が何度もある人生を歩んでいますけれど、そのたびにちゃんと生き抜く判断をする。その決断の瞬間みたいなものは特に意識をして演じたいと思っています」と意気込みを明かしている。

今の時代にも通じる、渋沢の考え

ここからは、ドラマではなく実際の話だ。

2024年度の上半期を見込んでいる1万円札のデザインの刷新で、新たな“顔”となる渋沢。

新1万円札の見本(表面)。財務省提供
新1万円札の見本(表面)。財務省提供
時事通信社

1873年に当時の大蔵省(現・財務省)を辞め「脱・官僚」し実業家に転じた後は、日本最初の商業銀行となる第一国立銀行を開業。自ら総監役を担い、2年後の1875年に頭取となった。その後はこの第一国立銀行を拠点に株式会社の創設などに注力し、約500もの企業の設立・経営に関わった。

これらのことは、渋沢が唱え続けた「道徳経済合一説」とともに、すでに広く知られている。

説で説いた「企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない」という主張は、現在の「企業の社会的責任」やSDGs(持続可能な開発目標)にも広く通ずる考え方であった。

渋沢栄一
渋沢栄一
時事通信社

意外にも知られていない事実たち

渋沢の功績に関して注目されるのは実業界に関することばかりだが、実は「平和」にも熱心な思いを抱いていた。

渋沢は1926年11月11日にラジオ放送を通じて、平和への訴えを行っている。その26年と翌27年にはノーベル平和賞の候補となっているのだ。

候補となった理由には、「カリフォルニアでの日本人労働者の法的地位に関する日米関係の改善に取り組んだ」ことが挙げられている

平和賞について、日本人では有賀長雄氏が初の候補となっているが、2年連続で候補になったのは渋沢が初めて。

平和賞はその後、第二次世界大戦後の1974年に元首相の佐藤栄作氏が受賞しているが、渋沢は「戦前」に受賞の可能性があった数少ない人物の1人だった。

もし2度の機会のいずれかでノーベル賞を受賞していれば、1949年に物理学賞を受賞した湯川秀樹に先んじて、「日本人初のノーベル賞受賞者」になっていた。

1926年と翌27年に渋沢栄一はノーベル平和賞の候補となっていた
1926年と翌27年に渋沢栄一はノーベル平和賞の候補となっていた
THE NOBEL PRIZE公式サイトより

さらに渋沢は日本初の洋風劇場であり、ミュージカルや演劇ファンらに愛される帝国劇場の開場や「日本の迎賓館」として誕生した帝国ホテル開業の発起人となっている。この記録については『渋沢栄一伝記資料』第47巻などに残っている

「日本資本主義の父」とまで呼ばれた渋沢。1年間かけて大河ドラマでどのように描かれるのか。初回放送に注目が集まる。

大河ドラマ『青天を衝け』

初回放送日時:2月14日(日)

[総合]夜8時

[BSP] [BS4K]午後6時

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