筆者の暮らすドイツでも、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長の発言が大きく報じられた。
「女性は話が長い」とし、その理由が「競争意識が強いから」と、女性をひとくくりにした。のちに撤回したが、女性への差別的な考えは記者会見でも透けて見えた。ドイツの各メディアがこの件を取り上げたが、ドイツの政治家がこのような発言をしたら辞任は免れないだろう。
森会長も結局辞任を余儀なくされたが、性別を問わず非難の声が上がり、市民がボランティアを辞退したほか、国内外から多くの抗議を受けての判断だったように思う。日本における男女格差の構造が浮かび上がる会見だった。
女性リーダーが活躍するドイツ
話は変わるが、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(66歳)は夫婦別姓である。
実はメルケルという名字は、東ドイツ時代に23歳で学生結婚したときの元夫の姓。5年後に離婚したが、物理学の博士号を持つ研究者としてキャリアを積んでいたため、旧姓に戻さなかった。
その後、1989年に東西ドイツの壁が壊れたのを機に、政治の道に入る。1998年に現在の夫と結婚し、夫婦別姓を選んだ。互いに40代での再婚だった。
日本のように選択肢がない状態ならば、業績ある量子化学者の夫ザウアーか、政治家として躍進中のメルケルのどちらかが名字を変えなければならなかった。
メルケルがもし名字を変えていたら、今のキャリアが築けただろうか。再婚後、旧姓使用での首相就任などありえただろうか——。筆者はそうは考えない。姓の変更はキャリアに大きな影響があるからだ。
世界経済フォーラムが発表した2019年版「ジェンダーギャップ指数」において、ドイツは世界153カ国中10位に入る。16人の閣僚のうち女性が7人を占める。EUトップであるウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長も、ドイツ出身の女性政治家だ。
女性のリーダーが活躍するドイツでも、以前は結婚すると男性の姓を名乗ることが義務づけられていた。
今回はドイツにおける選択的夫婦別姓の実現までの歩みを紹介したい。
プロイセン時代の法律により、男性の姓に
まずは、ドイツの「家族の姓」をめぐる歩みを振り返りたい。
もともとドイツでは、プロイセン時代(18世紀から20世紀初頭)の法律により、結婚すると自動的に男性の姓が「家族の姓」とされ、女性が男性の姓に変えることが義務付けられていた。
その後、1957年から、女性は自分の姓の後ろに夫の姓をつけた「複合姓」が許されるようになり、さらに1976年の婚姻権改革によって、女性の名字を「家族の姓」とすること、つまり妻の姓での同姓婚も可能となった。
しかし、その後も「家族の姓」について夫婦で合意できない場合、男性の姓が「家族の姓」とされてきた。
1991年、連邦憲法裁判所は「自動的に男性の姓を家族の姓とするのは、男女平等を記した基本法第3条に反する」との判断を下し、夫婦別姓への道が開かれた。
その3年後の法改正により、 正式に選択的夫婦別姓が認められるようになった。 男女平等の視点が、夫婦別姓を可能にしたのである。
同姓、別姓、 複合姓が可能
現在、ドイツでは結婚の際は、名字について、1.夫婦同姓、2.夫婦別姓、3.自分の名字に相手の名字をつける複合姓、の3種類の選択肢がある。
例えば女性マリア・ダンさんと男性ハンス・シュミットさんが結婚した場合、次のようになる。
1.夫婦同姓:名字はダン、またはシュミットに統一
2.夫婦別姓:それぞれ名前の変更なし
3.複合姓:マリア・ダンとハンス・シュミット-ダン、またはハンス・シュミットとマリア・ダン-シュミット
複合姓といっても、正確には「家族の姓」として共通の姓を決めるため、「家族の姓」となった名字を持つ人の名前は変わらず、複合姓となるのは片方のみである。自分の名字が先にくるのが一般的だが、「家族の姓」を先にすることもできる。
実際に結婚したらどうなる?
実際は、選択肢があっても、結婚するカップルの4分の3は夫の姓を選んでいる。
ドイツ語協会が2018年に発表した調査よると、男性の姓で同姓としたのは74%、女性の姓で同姓としたのは6%、別姓は12%、複合姓は8%だった。
複合姓の場合、男性の名字を「家族の姓」とし、女性が複合姓にする場合が88%を占める。つまり複合姓8%うち、女性の名字を「家族の姓」としたのは1%にすぎず、残りの7%は男性の姓を「家族の姓」としている。
なお、日本のような「旧姓使用」はない。
私の周りでも男性の名字を選ぶ女性が多く、その理由は「結婚したのだから一緒の名字にしたい」「それが普通だから」「自分の名字より響きがいい」などさまざまで、中には「結婚することによって、新しい人生を始めるのだ」という人もいた。
別姓を選択した人からは「名字を変える手続きが面倒」という声や「仕事上の妨げになる」「そもそも、なぜ名字を変える必要があるのか理解できない 」という意見を聞く。
複合姓は「相手の名字にするのは抵抗があるけれど、結婚しているのだから、相手の名字も自分の名字としたい」という際に、よい選択肢になっているようだ。
旧姓宛てに郵便物が届いても受け取れるなど、日常生活で便利な面もある。もともとドイツでは下の名前を複数持つことが一般的なため、名字が複数になっても違和感はない。
旧姓使用のないドイツで、選択肢がありながら男性の姓を選ぶカップルが4分の3というのは多くも感じられるが、法改正直後の45年前(1976年) の98%に比べたら、徐々に意識が変化しているのがわかる。
家族内で姓が違うのは、多様さの表れ
筆者はドイツに住み、ドイツ人と結婚したが、名字を変更する理由が思いつかず別姓とした。
相手はギリシア系の名字で発音しにくかったため、子どもが生まれたとき「タグチの方が短くて言いやすいね」との実際的な理由から私の姓にした。このように別姓のときは、子どもが生まれてから名字を決めることができる。ただし、子どもが複数いる場合、子ども同士は同じ名字にしなければならない。
夫が子どもと二人で飛行機に乗るとき、名字が違うことからパスポートでは親子と証明できないため、住民票も携帯する。書面で身分を証明するのは当たり前のことであり、特に不便はない。
周りにも別姓婚やひとり親世帯、ステップファミリー、事実婚などいろいろな家族形態があり、家族内で名字が違うことは珍しくない。
「別姓で子どもがかわいそう」「どうしてパパと名字が違うの?」という人もおらず、日本でよく懸念される「家族の絆が薄まる」という話も聞いたことがない。
選択肢がある中で、みなそれぞれ事情を鑑みて、二人で決めている。ドイツでは、夫婦の考えが第一で、親戚や親が口を出してくることが少ないせいもあるだろう。
重要なのは「はじめに結論ありき」ではなく、オープンに話し合って決められることだ。どのような結論になっても、お互いに納得していれば揉めることはない。
ジェンダーギャップ指数121位、日本の現状
一方、日本のように選択的夫婦別姓が認められておらず、「夫婦同姓」が必須の社会では、議論さえ難しい。市民の7割が「選択的夫婦別姓を望んでいる」という調査もあるが、なかなか実現しない。
選択的夫婦別姓・全国陳情アクションの事務局長・井田奈穂さんは「夫の実家から女性が改姓すべきと圧力がかけられるとよく聞く。また、夫の名字になった途端、夫が妻を所有物とみなし家庭内DVが始まった例もある。女性蔑視を少しでもなくすために、性別を問わず同じ権利を持って結婚に臨める制度は、改善への第一歩になる」と、現実的な面と心理面の両方から選択的夫婦別姓の必要性を説く。
上記の2019年版「ジェンダーギャップ指数」で、日本は世界153カ国中121位だった。政治家や管理職、専門職、労働所得などの男女間の差が特に大きい。
メルケルのエピソードからも実感するが、やはり選択的夫婦別姓の実現は、キャリアの男女格差を埋めることにつながるのではないだろうか。
選択的夫婦別姓は、男女平等への第一歩
もちろんドイツとて完璧ではない。企業の経営陣の3割を女性とするクオータ制は大手企業にしか適応されておらず、依然として男女の賃金格差も問題となっている。
それでも、ドイツはジェンダーギャップ指数で世界10位。筆者は20年以上ドイツに住んでいるが、女性を年齢や外見で評価するようなことがなく、個々が多様であることが受け入れられている社会だと実感する。
日本は、明治時代にドイツから夫婦同姓を輸入したとされるが、そのお膝元のドイツでは30年前に撤廃した。
男女平等の社会は、女性の選択肢を増やしていくことが大切だ。選択的夫婦別姓の実現は、その第一歩であろう。
田口理穂(たぐちりほ)
日本で新聞記者を経て、1996年からドイツ在住。在独ジャーナリスト、ドイツ法廷通訳。ドイツの環境政策や教育、社会などさまざまな分野で執筆。近著「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)で、ドイツのメルケル首相のコロナ対応を紹介。
著書「なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか」(学芸出版社)、「市民がつくった電力会社 ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命」(大月書店)、共著に「『お手本の国』のウソ」(新潮新書)など。
(文:田口理穂 編集:笹川かおり)