昨年のことになるが、「不登校」に変わる新しい名称をつくって「負のイメージ」を変えようと活動されている方のことがニュースになった。
新名称は公募の結果「スクール・ノマド」となったそうだ。
ノマドとは「遊牧民」の意味で、最近では「ノマドワーカー」などと使われる場合がある。特定の場所を持たずに働く人々のことである。
「スクール・ノマド」は定着していないものの、当時はそこそこの話題になった。
また、「不登校は不幸ではない」というキャンペーンをされている方がいる。自分は学校へ行かないことでむしろ元気に明るくなった。だから、不登校は不幸じゃないし「不登校は不幸じゃない」というポジティブなメッセージを社会に発信したいという。
「不登校というレッテルが子どもたちを苦しめている」「ポジティブなものに変えたい」という意見を定期的に見聞きする。学校へ行かないことは悪いことではないのに、不登校というネガティブで暗い名付けをしまうことが問題である、という意見だ。このような意見には、一定の賛同や支持があり、それゆえ話題になるのではないかと思う。
ところで私は、不登校にポジティブな「印象」を与えようという戦略・活動には意味を感じられない。不登校をした個人が制度的にも社会的にも差別的に取りあつかわれ、負担を感じ、自分を否定せざるをえない現実があり続けるからである。
意味を感じられないだけではなく、むしろ問題も感じている。「不登校問題」における、「社会の制度の問題」が置き去りにされ、個人の選択の問題、明るい・暗いという感覚の問題に置き換えられてしまう。人によっては「不登校は明るいはずなのに、明るくない自分はダメな自分だ」と思ってしまう可能性もある。
まるごとの私を
本紙『不登校新聞』を見ればわかるように、不登校を生きる人たちは、いつもみんながんばっている。なるべく明るく振る舞おうとするだろう。
でも実際の私たちは、ときに明るくときに暗く、ときに幸福でときに不幸だ。そんなまるごとの私を、私は否定せずに生きていきたい。
人を制度に合わせることを求めて、合わせられない人を責めるやり方ではなく、制度を人に合わせるやり方に変えていく必要がある。印象だけ変えても人は楽にならない。
不登校をめぐる社会運動にとって、2020年は非常に大きな転換点となる出来事が相次いだと感じている。そのようななかで、不登校の社会問題を解決するために、あらためてどう力を合わせ、どう動いていくのか。その話し合いの環境が整うことを切に願っている。
筆者略歴/信田風馬(のぶた・ふうま)
中学1年で不登校。その後、不登校の仲間で立ち上げた会社に加入、現在はデザイナーとして活躍中。
(2021年02月01日の不登校新聞掲載記事『不登校への印象を明るくするだけで、はたして不登校は解決するのか』より転載)