東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会のトップ、森喜朗会長による問題発言に対し、国内外から批判が殺到している。
2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)の会合での女性蔑視発言、そして4日に行われた逆ギレ釈明会見。
もはや失言のオンパレードだが、これらの森氏の発言には大きく2つの問題がある。
一つは、女性差別的な発言を大会のトップ自らがオフィシャルな場でしたこと。そしてこの発言を誰も咎めなかったことだ。言わずと知れた問題だが、性差別はオリンピック憲章にも違反していることを指摘しておきたい。
二つ目は、「会議が長い」「わきまえている」発言に、異論を許さない上下関係への意識が隠されているという点だ。
「わきまえている」 発言、女性はもっと怒っていい
森氏の3日の主な発言は以下の通り。
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
「女性っていうのは競争意識が強い」
「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが」
「私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。(中略)我々は非常に役立っております」
いずれも「朝日新聞」より
「女は話が長い。話が長い女がいると会議が伸びる。女を増やすなら発言時間を制限すべき」という三段論法も無茶苦茶だ。
話が長いか短いかは性別によらないし、「女性を増やすなら発言時間を制限すべき」という発言は信じがたい。
「誰かが言っていた」と、責任を棚上げしているのもたちが悪い。
どちらもジェンダーギャップ121位の国の現在地点を象徴したような言葉だが、一番の問題は、自分がトップを務める大会組織委の女性を評した「わきまえている」という言葉だと思っている。
「わきまえている」という言葉の裏にあるのは、男性優位主義を丸出しにしたマウントだ。
つまりは、会議に入るならしゃしゃり出るな、立場をわきまえて発言しろ、ということなのだろう。
相模女子大学特任教授の白河桃子氏は、「会議に入る女性は『わきまえろ』と言っているとも取れます。ジェンダーステレオタイプによる偏見、差別発言を公人、しかもトップが公の場で発してしまう。女性はもっと怒ってもいいんじゃないでしょうか」と指摘する。
誰も抗議せず、笑いさえ起きる。周囲の反応に見る、問題の根深さ
さらに根が深いのが、「わきまえている」発言の際、周囲が笑ったという点だ。
朝日新聞の記事を読むかぎり、森氏の発言に対して抗議したり、否定したりする人はいなかったようだ。
JOCの公式サイトを見ると、評議員のメンバーは全部で57人(2020年7月28日時点)。そのうち女性はたった1人。
白河さんは著書『ハラスメントの境界線』の中で、次のように指摘している。
「ハラスメントは『個人の問題』で片付くものではない。『組織の問題』だからです。ハラスメントをしやすい人はいますが『それが容認される風土』があるから、やるのです。どのような組織かで、ハラスメントへの認識はまったく違います」
『ハラスメントの境界線』(中公新書ラクレ)より
大会トップの性差別発言に、誰も反論せず、笑いが起きる。大会組織委にもJOCにも、性差別を容認する風土があるのだろう。森氏個人の問題ではなく、組織の問題だと思う。
組織の風土を変えるために重要なのが、女性の数を増やすことだ。
そのために、「あらゆる分野の指導的位置に女性が占める割合を少なくとも30%に」という政府目標は設定されたのだ。( 現在は「2020 年代の可能な限り早期に30%」に延期)
白河氏は言う。
「よく言われることですが、3割は魔法の数字。3割いて初めて、多様な意見が出ます。多様性が何のために必要かと言えば、同質性のリスクを減らすためでもあります」
白河氏「同質性は不祥事を起こしやすい組織の特徴」
「森氏の発言は問題だ。でも、女性の話が長いのも本当だ。こういう会議は事前に話が固まっていて、会議自体は形式的なものだから、あまり話を長びかせるものではない」
もしかすると、こんな風に思っている人もいるかもしれない。
だが、白河さんは「同質性のリスクは組織のリスク」だと指摘する。
「同調圧力がかかった同質性の高い集団の中で物事が決められると、『グループシンク=集団浅慮』がおきます」
集団浅慮とは、①リスクを楽観視する、②集団の実力を過度に評価する、③都合の悪い情報を遮断する、④社会ではなく集団内の規範を重視するーーことなどを指すという。
「今起きている様々な事象に照らせば、思い当たることばかり。同質性は不祥事を起こしやすい組織の特徴です」
女性が参加した会議で次々と発言し、結果的に会議の時間が長引いたとして、それがマイナスであるかどうかは、また別の問題だ。
わきまえて、奪われてきた女性たちの声
そもそも、「立場をわきまえろ」という無言の圧力によって、これまでどれだけ女性たちが言葉を奪われてきたことだろうか。
女性が初めて参政権を行使した日から、まもなく75年。職場における性差別を禁止した男女雇用機会均等法が施行されてからは、35年の月日が経過する。
この間、表向きには男女平等が実現したことになっている政治の場でも仕事の場でも、女性差別は存在してきた。
「コミュニケーション」だといってセクハラを受けたり、女性だからと初任給から男性と差をつけられたり、制服着用やお茶汲みなどの“仕事”を求められたり…。
声をあげれば「面倒臭い女」と扱われ、仕事がやりにくくなるし、キャリアにも響く。女性たちは「面倒臭い」と思われることを恐れて「わきまえて」きたのだ。
女性たちがようやく声をあげることができるようになった背景には、着実に女性たちの数が増えていったことがある。
『ハラスメントの境界線』には、「組織の中では、女性が少数派であればあるほど、その目線は男性社会に適したものにカスタマイズされていきます」とある。
JOCや組織委の女性たちも「わきまえない」でいい
ツイッターでは「#わきまえない女」というハッシュタグも広がっている。
元女子アイスホッケーのカナダ代表でIOC(国際オリンピック委員会)のヘイリー・ウィッケンハイザー委員も、公式Twitterで「オールドボーイズクラブ」というハッシュタグとともに、痛烈な皮肉を投稿している。
<必ず朝食ビュッフェでこの男を追い詰めてやります。東京で会いましょう‼︎>
「わきまえておられる」と評された女性たちは、今何を思うのだろう。
自分たちのリーダーの発言をどう受け止めているのか。ぜひ、わきまえずに声を出してほしい。