年末年始、遠方に暮らす家族との交流を控えた人は少なくありません。一昨年までは上京した義理の家族とともに過ごしていたタレントのLiLiCoさんも、年末は夫婦で巣ごもりをしていたそう。
世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回のテーマは「家族観」です。
18年間をスウェーデンで暮らしたLiLiCoさんは、母国と日本の家族観は「まったく違う」と話します。LiLiCoさんに根付くスウェーデン流の家族観は、義実家との交流にも活かされています。夫である小田井涼平さんの両親に対する思いも聞きました。
母の葬儀の日から“家族”が大きく変わった
私の両親は、母が葛飾出身の日本人、父親がストックホルム出身のスウェーデン人。バックパッカーをしていた母が、スウェーデンで父と出会い、結婚しました。
両親は私が9歳のときに別居し、私は母と弟との3人暮らしに。母は、私たちが父と会うことにいい顔をしなかったので、父とはあまり会わなくなってしまいました。
しかし、2012年に母が亡くなり、再び父との交流が始まりました。そこから、私たち家族の関係は何もかもが変わりました。
私たちをつないでくれたのは、父のパートナーのブリット。母の葬儀の後に紹介され、今では「お母さん」と呼ぶほどに親密な間柄です。
ブリットは、本当にすてきな人! 明るくおしゃべり好きで、父のことを愛してくれている。彼女がいなかったら、お父さんと何を話すか困っていたかもしれません。
ブリットとの出会いを通して、母は亡くなってしまったけれど、何歳になっても家族関係は修復できるのだと思うようになりました。
離婚、再婚も当たり前の国・スウェーデンの家族観
スウェーデンと日本の家族観は、まったく違います。
スウェーデンの婚姻制度には、「結婚」のほかに「サンボ」という事実婚のような選択肢があります。どちらを選択しても法的、社会的に同等な権利を得られて、産休や育休も同じようにもらえます。
別居や離婚、再婚も珍しくありません。ただ、パートナーシップの形が変化しても、家族同士は太いパイプでつながり続けます。
例えば、両親が離婚した子どもは、今週末は片方の家庭で、来週末はもう片方の家庭で、というように交互に行き来をします。子どもが親と引き離されることはないのです。どちらかが再婚したら、新しいパートナーやその家族も含めた付き合いが始まります。
私の親友カッティスは、23歳と25歳の子どもを持つ母親。過去に3人のパートナーがいましたが、1回も結婚したことはありません。
子どもたちは、どのパートナーに対してもお父さんとして接します。二世帯住宅で一緒に暮らす彼女の両親は、すべてのパートナーに家族として愛情を注いできました。カッティスのパートナーは、子どもたちからすれば母親の大切な人だし、両親から見たら娘を愛してくれる人だからです。
これこそが、スウェーデン人の感覚。私も、母と離婚しても父は父だと思ってきました。そして、父を愛してくれるブリットも、ブリットの大切な娘さんも、その彼氏もやはり家族なのです。
ブリットの元パートナーとも親交があります。彼は、ブリットの娘の父親。私にとっては、“ボーナスお父さん”みたいな感じかな。スウェーデンの私のマンションの修繕をやってくれるんですよ。
家族の名字はどうなるの?
スウェーデンでは、家族だからといって同じ名字を名乗らなければいけないという決まりはありません。
結婚後に結婚前の名字を使い続けてもいい。パートナーの名字を使いたい場合、自分の名字とパートナーの名字の両方を名乗りたい場合は、役所で申請すればいい。
日本では、結婚したら妻が名字を変えるのが一般的ですよね。好きな人と同じ名字になること自体は、すてきだと思うんです。新生活を始めるには、名字を変えて心機一転するのもいい。自分の名前が嫌いで変えたい人もいるでしょう。
ただ、必ずしも夫婦が同じ名字になる必要はありません。選択的夫婦別姓の議論があるように、個々のカップルが納得できる形を選べるようになればいいなと思います。
とはいえ、私には「名字に強いアイデンティティーを感じる」という感覚がわかりません。なぜなら、スウェーデンでは申請すれば姓どころか名前全体を変えることができるから。
スウェーデン人にとっては、個々の名前は個々の物という感覚なのかもしれません。
事実、私は生まれ持った下の名前が大嫌いで、本名に「LiLiCo」をミドルネームとして加えています。弟は、母親の旧姓とあだ名の「Taro(太郎)」をミドルネームに入れたと話していました。
義理の両親もれっきとした家族
スウェーデンの感覚を持つ私からすれば、愛する夫の親である義理の両親もれっきとした家族。いつも夫は「俺の親も大事にしてくれる」と話すけど、私は自分の親として接しているだけなんです。
彼らはとても優しい人たちで、小田井のお母さんは、膝の怪我をしたときは毎晩、電話をくれました。70代という年齢にもかかわらず、国際結婚に反対したり、(外国人の)私を偏見の目で見たりすることもなくて、ラッキーだったと思っています。
いまの私の目標は、「“外国人の嫁”が来たら楽しくなった」と感じてもらうこと。歳を取っても楽しく生きられることを知ってほしいんです。
小田井のお父さんは元家具職人。私はその能力が生きがいにつながると思って、「時間があるときに何か作って。私のWebショップ『LiLiCoCo』で売るから」とお願いしているんです。お父さんが作るぬくもりのある木の雑貨は、いまや数時間で売り切れる人気商品。
お母さんも作品作りや梱包を手伝っているので、一緒に作業をしながら刺激しあったり、会話が生まれたりしてくれたらうれしい。退職後は、お小遣い稼ぎにもなったらいいな。
前回の対談のとき、夫が初めて「売れてない時代、両親に連絡できず疎遠になっていたけれど、LiLiCoのおかげで以前より親と仲良くできている」と打ち明けてくれて、すごくうれしかった! 私が家族を再びつないだということですもんね。
結婚して生まれた新しい自分の役割
映画「Song to Song」(アメリカ/2017)で、主人公が「彼に愛されたいから、私はこういう人間なのかな? それともこれが本当の自分?」と自問するシーンがあって、ドキッとしたんです。
同時期に、雑誌『婦人公論』で中村メイコさんの家族対談を読んだんです。娘さんたちは、メイコさんが“母”“妻”の「役」を演じていたと話しているのが、すごくかっこよかった。
「役」を演じていても、それが時間が経つと自分自身になるんです!
そもそも人間は、役割のおかげでできあがっているもの。仕事があるから面倒でも準備をするし、リハビリの予約を入れているから眠くても病院に行く。
小さいときに憧れていた明るいキャラクター「LiLiCo」を演じ続けてきたら、それは私の一部になっているんです。
新しい自分と出会うきっかけを作ってくれる人たち。もしかしたら、それが新しい家族なのかもしれませんね。