発達障害と生きる人は、仕事が続かないと思われがちだ。
しかし「障害」の表れ方は環境や人間関係によって大きく変わることもある。周囲と良い関係を築き、本人が長く力を発揮できる環境があれば、企業にとってもポジティブな効果が生まれる。
ぴーちゃんは発達障害があるが、「実家よりもホーム」と感じる勤務先のWebメディア「パレットーク 」でイラストレーターとして活躍し、2021年1月にはコミックエッセイ『ぴーちゃんは人間じゃない?ADHDでうつのわたし、働きづらいけどなんとかやってます』 (イースト・プレス)を出版した。
過去には、作中にも描かれているように、虐待やうつ、アウティングなどの経験があり、そんな辛かった過去を「話してはいけないことだ」と感じていた。そこから、ぴーちゃんが本を出版するほどの力を発揮できるようになる過程で、「障害」のあり方はどのように変化してきたのだろうか。
当事者であるぴーちゃんは周囲に何を伝え、迎え入れたパレットークの人たちはどんな風に接したのか。
『ぴーちゃんは人間じゃない?』著者でADHD(不注意や衝動性などを特性とした発達障害)当事者のぴーちゃんと、パレットーク編集長の合田文さんに話を聞いた。
辛かった過去は「話してはいけないこと」になった
「母から手を上げられていたことを話しても、信じてもらえないんですよ。虐待する人って、世の中的には男性のイメージが強いみたいで。
小学1年生のとき母が家を出て行ってからも、父子家庭自体が珍しいし、『自分の家庭がこうだった』みたいな話をすると、場の空気が重くなってしまったり、『私かわいそうでしょ』みたいなニュアンスでとられてしまったり、『映画にしたら?』とまで言われてしまったこともあって、『いやいやいや』と。次第に、自分の過去は『話してはいけないことだ』と感じ始めていました」(ぴーちゃん)
高校時代には、うつの相談をした先生により、周囲にアウティング(同意なく公表してしまうこと)されてしまったこともあった。SOSを出すことに挫折した経験は、思春期から成人期にかけて大きく響き、ぴーちゃんは家族や学校、恋愛のさまざまな苦労を1人で抱え込むようになる。不登校、自殺未遂、退学などの経験も「話してはいけないこと」になっていった。
「発達障害を伝えるのに、うつむかせなければいけない社会でごめんね」
「メモが苦手」「優先順位がつけられない」といったADHDの特性もあり、アルバイトをしても長続きしなかったなか、友人からの紹介でパレットークに出会ったのはぴーちゃんが大学2年生のときだった。
イラストレーターを募集していたパレットークは、「多くの人が漠然と抱えている”普通”や”こうあるべき”を考え直すためのエピソードや考え方について、さまざまな角度から発信するメディア」 だ。ぴーちゃんは、幼い頃から好きだった「絵を描くこと」を仕事にできるかもしれないと感じた。
面接で意を決してADHDやうつについて明かすと、編集長の合田さんが「教えてくれてありがとう」と受け止めてくれた。インターンとして入社し、働くなかで困りごとが噴出した時期には、周囲からのアドバイスもあり、社内で自身の特性をプレゼンテーションした。
合田さんは、面接時に申し訳なさそうに小さくなり、下を向きながら「実はADHDなんです」と伝えたぴーちゃんの姿を忘れることができず、後に「発達障害であることを伝えるのに、そんなにうつむかせなければいけない社会でごめんね」と言葉を投げかけた。
「パレットークはLGBTQやフェミニズムについて発信するメディアなので、そもそも社内で『人に寄り添う』『誰かをいないことにしない』ができていなかったら、外に発信をしていけないですよね。
それに、会社の経営ではまずは事業に目を向け、ダイバーシティ&インクルージョンについてはその後で…となりがちですが、私たちのような小さな企業は、1人抜けるだけでも影響が大きい。だから、せっかくご縁のあったその人にとって働く場所が居場所・セーフスペースであったほうがいいなと思っているし、うつむくような気持ちの人を減らしていけたらいいよね、と」(合田さん)
「障害を持っている自分が悪い、弱者になってしまう自分が悪いと思ってしまっていたけれど、実際そうじゃないことも多いな、ということも見えてきました。居場所を得て、過去を振り返って見直したら、障害の見え方が全然違うと感じています。
パレットークの編集部で自分の過去を話したときに、今まで話してきた人たちとはまったく違うリアクションで受け入れてもらえた感じがしました。『この話で救われる人はいると思う』とも言われて、誰かのために描くことに価値を見出せたときに、自分の経験や障害について『描いてもいいかもしれない』と変わっていきました」(ぴーちゃん)
ゆっくりと時間をかけて、話せなかった過去の経験を外へ発信していくモチベーションがぴーちゃんのなかに生まれていった。もとより、口頭ではうまく伝えられないことも、得意のイラストを使えば、思考が整理され、うまく伝えることができた。自身の体験をマンガに描き、Web連載が始まると多くの反響を呼び、書籍化に至った。
「どうしたら怒られないか?」から「人間として付き合う」へ
「パレットークに入ったばかりのときは、元からの癖で『どうしたら怒られないか?』にしか目がいかなかったので、恐怖で動けなくなることがありました。編集部の人たちとのやり取りや一緒に過ごす時間を経て、今はそういう考え方はまったくしないし、『どうやったら仕事で成果が出るか』を冷静に考えられるようになったのは、大きな変化です」(ぴーちゃん)
Web連載やSNSでの発信への反響には、ぴーちゃん自身と重なる悩みも寄せられているという。
「『どうやったら自分らしく生きられるか』ではなくて、『どうやったらみんなと同じになれるか』といった声が多かったです。障害の有無に関わらず、社会がそうさせている部分があって、ちょっと悲しくなります。
例えば、体調不良は職場においては見せちゃいけないタブーのように私は感じていて、特に発達障害のある人は特性によって体調不良になりがちだったりします。私も聴覚過敏で、自宅の外壁工事の音で体調が悪くなりました。でも、それを言っても理解されづらくて、『仮病でももうちょっとうまい嘘つけよ』と言われそう。特性は言い訳に聞こえやすいんですよ」(ぴーちゃん)
合田さんは「悪いときにちゃんと悪いと言えたほうが、体調って良くなりませんか? 経営者の私にとっても、うそをつかれるより全然マシです」と合理性を語る。副編集長の伊藤まりさんも「合田さんはビジネスパーソンとしてたのもしい上司、リーダーなんですけど、人間的な面も恥ずかしがらずに全部出してくれるので、みんなも出しやすくなるんですよね」と信頼を寄せる。
自分を「人間じゃない」とさえ感じていたぴーちゃんの出会った居場所は、「人間」を尊重していた。
職場が自分の「ホーム」になった
障害のある人は、かつてのぴーちゃんがそうだったように、1人でそれを背負って、自己否定し、気づけば周囲との間に高い壁が築かれていることがある。その壁が「障害」なのだとしたら、本人と周囲がその壁を両側から壊し、視界を広げることも選べるのではないだろうか。
自分の話を信じてもらえない経験をしてきたぴーちゃんは、今では風通しよく生きることができているそうだ。
「まず否定はされないし、受け止めてくれるので、全部心置きなく話せます。ちゃんとキャッチボールできている感じがして、安心して球が投げられます。私にとって職場は、実家よりも実家、ホームですね」(ぴーちゃん)
合田さんは「目を向けるべきは環境や社会の構造だ、というのは編集部のまりから教えてもらったことだし、本当に教え合いだな」と頷く。
「家族や家を居場所と思えない人はたくさんいると思うんですけど、居場所は身の回りから探さなきゃいけないわけではないので、Twitterで出会った仲間を居場所と言ってもいい。
自分のことを大切にしていければ、『居場所』に出会ったときに、気持ちの変化があって、自分でもわかると思うんですよね。そういう感覚を大事にしていけたらいいなと思います」(ぴーちゃん)