東京オリンピックに出場する日本代表は史上最多の500人を超える。そのうち、子育てをするママの顔も持つ選手は、5人程度といわれている。
寺田明日香さんは、31歳になったばかりの100mハードラー。そして、6歳の女の子の母親だ。
高校時代にインターハイを3連覇、2008~2010年には日本選手権を3連覇するなど、10代からトップアスリートだった寺田さんは、怪我や生理不順などの体調不良により2013年、23歳で陸上を引退。
大学進学、妊娠・出産を同時期に経験した後、26歳で7人制女子ラグビーに転向する形で現役に復帰した。
2019年、20代中盤がピークだといわれる陸上短距離の世界に復帰。同年、29歳で100mハードルの日本新記録を樹立した。
「ラグビーをなめるな」「陸上をなめるな」「ちゃんと子育てをしろ」
寺田さんのもとに、そんな厳しい声が聞こえてきた時期もあったという。
一度は自ら閉ざした道に、なぜ戻ってきたのか。いま、最初の引退時よりも力を発揮できるのはなぜか。 “ママアスリート”を自ら名乗る理由、女性がアスリートを続ける困難についても聞いた。
陸上を引退してラグビーに転向するまで
「転職するみたいな感じですよ。そのときに、もっとも自分を生かせる道を選んできたんです」
寺田さんは、大きく健やかに笑う。嘘のないまっすぐなまなざし。
その経歴は、とてもユニークだ。
小学4年生で陸上人生をスタートし、高校時代には100mハードルでインターハイを3連覇。卒業後も、日本選手権3連覇、アジア大会入賞など、数々の記録を残した。
しかし、怪我や体調不良などにより、2012年のロンドン・オリンピック出場を逃し、2013年に23歳で競技を引退。
その後は心機一転、大学で児童福祉を学びながら、一般企業で働いた。同時期に結婚、そして妊娠・出産も経験した。
ふと「7人制女子ラグビーでオリンピックを目指さないか」とオファーが舞い込んだのは、大学4年、26歳のとき。娘はまだ2歳だった。
「もう戻らないつもりで競技を辞めたのに、そのときは『オリンピックのチャンスを何度ももらえる私は幸福だな』と思えたんです」
「海外では、別のスポーツに転向して活躍する選手は少なくない。現時点で自分の能力をもっとも生かせるのがアスリートの仕事なら、と挑戦を決めました」
走るのが嫌になって陸上を辞めたのに……
個人競技から一転、チーム競技へ。女子ラグビーの世界は、寺田さんの視野を大きく広げた。
「ラグビーは、体格や得意分野の異なる選手たちが、補い合い、助け合いながらプレーする競技。自分が何を求められているのかが見えるようになると同時に、人に頼ることの大切さもわかりました。常にチームメイトと時間を共有する経験から、コミュニケーションについて多くのことを学びました」
ところが間もなく、右足の腓骨骨折という半月の入院を伴う怪我を負う。このままラグビーを続けていいのかと迷っていたとき、ある発見があった。
「走るのが嫌になって陸上を辞めたのに、ラグビーで一番楽しいのは走っている瞬間だなと気づいたんです。最初は思い通りに動かなかった体が前に進むようになり、むしろ足が速くなった感覚もありました」
それならば、いま自分をもっとも生かせるのは、陸上競技なのではないか。
寺田さんは、28歳でラグビーを引退し、再び陸上競技の道へ。
「目標は、オリンピックで活躍すること」。周囲からは「無理だ」という声も聞こえていたが、寺田さんには「いける」という確信があった。
果たして、2019 年の日本選手権では100mハードルで9年ぶりに3位入賞。7月には100mで自己ベストを更新。9月には100mハードルで史上初めて13秒の壁を突破し、12秒97の日本新記録を樹立した。
海外のアスリートは子連れで選手村を歩いているのに、なぜ?
寺田さんは、26歳のときにラグビーで現役復帰したときから、もう一つの目標を掲げている。それは、女性アスリートのキャリアの選択肢を広げることだ。
日本には、女性アスリートが競技を続けるために結婚・出産を諦める風潮がいまも残る。
「妊娠、出産は、女性の心身に大きな負担を与えます。体の変化に敏感なアスリートにとって、ベストな状態の体を崩すのは怖いんです」
だが海外では、トップか否かに限らず、産後に競技に復帰することは珍しくない。
「10代の頃から国外の大会に出場していたので、海外の選手が子どもを連れて選手村を歩いているのをよく見ていました。当時から、なぜ日本ではそうした光景を見ないのだろうと不思議だったんです」
例えば、リオ・オリンピック出場したアメリカ代表選手には、子育て中の女性アスリートが10人いた。
寺田さんも出場した2019年のドーハ世界選手権では、100mで優勝したシェリー=アン・ フレーザー=プライス(ジャマイカ)と100mハードルで優勝したニア・ アリ(アメリカ)は、ともに子育て中の女性アスリートだ。
海外では、アスリートであっても、その前に一人の人間であるという意識が強いという。産後の復帰プログラムも含め、子育てをしながら競技ができる環境が整っているのだ。
一方、日本では多くの選手が、子どもの預け先に頭を悩ませているという。
陸上などのアスリートは個人事業主のケースも多く、会社員と比べて認可保育園に入るのが難しい。認可外保育園やシッターなどを利用すれば月々の保育料がかさみ、競技復帰をためらうことになる。
「私はいま、娘を認可保育園に預けながら、共働きをしています。前例のないことに挑戦するのは怖いし、事実、大変な面もある。それでも、私が育児と競技を両立する姿を見て、若い世代の不安が少しでも取り除けたらと思うんです」
だからこそ、積極的に名乗っているのが、“ママアスリート”という肩書きだ。
「特別扱いされることに違和感はあります。でも、名乗らないと、存在することすらわかってもらえない。それが現実です」
「だからこそ、東京オリンピックに出場して、活躍したい。私が結果を残すことで、若い世代の女性アスリートが『私にもできるんだ』と思ってほしいんです。12秒台で走ることも、産後に競技復帰して活躍することも」
生理とPMS……“女性の体”に悩まされた一度目の陸上人生
妊娠・出産に限らず、女性アスリートは女性であるがゆえの困難を抱えがちだ。
寺田さんは、高校時代から重いPMS(月経前症候群)と生理痛に悩まされてきた。生理中の体調不良で練習にならないこともあり、監督には強く叱責された。そういう時代だった。
「それをきっかけに、しばらくは低用量ピルで生理をコントロールしていました。ただその頃、鉄欠乏症貧血を発症して、練習中に力が入らなくなったり、吐き気やめまいがしたりといった症状が出るように。鉄剤や食事療法で治療するほか、練習量も減らさざるを得ませんでした」
体調は一時的に改善したが、21歳頃には生理が止まり、再び鉄欠乏症貧血を発症。同時期、第二次性徴の影響も遅れてやってきた。
「体に肉がつくタイプではなかったのに、同じ生活をしていても太るようになってしまったんです。当時の監督からも『太った』と指摘されるようになり、『コントロールします』としか言えず、食事の量を減らすようになりました」
食事を減らせば、脂肪は減る。だが痩せていけば「ちゃんと食べていないからだ」と怒られた。監督とともに食事をする機会の多かった寺田さんは、監督の前では大量に食べ、その後で吐くことを繰り返すようになってしまった。
摂食障害だ。結果、心身のバランスを崩し、「もう観られながらスポーツをするのは嫌だ」と、寺田さんは現役を退くことになる。
「今だったら『太った?』『そうなんですよ~』なんて言えるんですけど、若いと軽い言葉でも真っ正面から受け止めて『やばい、どうしよう』ってどんどん深みにはまっちゃう。そういう選手は多いと思います」
寺田さんは、そう当時をふり返る。海外ならば、選手とコーチの関係は、体重や食事の管理にも及ぶのだろうか。
「海外なら、男性コーチが女性アスリートに『お前、太ったからコントロールしろ』なんて言ったら即刻クビです。そんなことを口に出すのは、選手を信用していないとみなされるし、セクハラにもあたります」
「日本のスポーツ界では、選手がコーチに言われたことさえやっていれば評価される傾向にある。そうすると、選手は誰かの『作品』になってしまうんですよね。私は、選手は主体的であるべきだと思う」
現在、寺田さんは子宮内避妊具を装着して月経をコントロールしている。海外では、アスリートが低用量ピルや子宮内避妊具を利用するのは一般的だ。
「根性論が根付いている日本では、低用量ピルですら抵抗のあるアスリートが多い。避妊法として知られていることもあり、大学生でも『使っちゃダメだと思っていた』と話します。我慢すべきことではないと、理解が広まってほしいですね」
選手は、周囲の望む姿でいなくてもいい
寺田さんは、一度目の陸上時代は、「私は『作品』に近かった」と述懐する。
周囲の望む「強い寺田明日香」でいなくてはと人に頼らず、思いを飲み込み、心身を壊してしまった。
しかし、いくつもの“転職”を経験し、多様な世界を知った寺田さんがいま試みるのは、さまざまな人と意見を交わしながら、自ら考え、取り組んでいく生き方そのものだ。
コーチやトレーナー、管理栄養士などとチームを組んで競技と向き合い、夫やその家族、保育園などと協力しながら子育てをする。
「一人ひとりの選手が、周囲と助け合いながら、自分の人生の一部としてスポーツを頑張れるようにしていきたいですよね。どれぐらいの犠牲を払ってすべきことなのかは、個々が常に考える必要があると思う」
「そもそもスポーツは、人生を豊かにするためのツールですから」。そう言って、寺田さんはまた大きく笑った。
(取材・文:有馬ゆえ 写真:川しまゆうこ 編集:笹川かおり)