『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が異例の大ヒットを記録している。
観てみたい気持ちはあるが、コミックやアニメを「履修」する時間と気力がない――。
きっといるであろうそんな人たちに向けて、ここでは、劇場版を観賞するに当たって知っておきたい最低限の情報を解説する。
まず、どんな話なのか。あらすじは単純だ。
舞台は大正時代の日本。主人公の少年、竈門炭治郎(かまど・たんじろう)は、鬼に大切な家族を惨殺され、唯一生き残った妹の禰豆子(ねずこ)も鬼にされてしまう悲劇に見舞われる。炭治郎は妹を人間に戻すため、鬼を討伐する剣士の組織「鬼殺隊」に入隊。仲間と力を合わせ、次々に襲いかかる鬼たちとの死闘を乗り越えていく。
特徴的な主人公像
炭治郎は、少年漫画らしい戦う主人公だ。しかし、例えば強い相手に会って「オラ、ワクワクしてきたぞ!」とテンションを上げる「ドラゴンボールの悟空」タイプではない。「海賊王に俺はなる!」とでっかい夢を膨らませる「ワンピースのルフィ」タイプとも違う。
家業は炭焼き。つくった炭を担ぎ、山を下りて町で売る。父親が早くに他界してしまったため、10代でありながら、せっせと働いて家族を支えている気立てのいい少年だ。人の話をよく聞き、常に相手を思いやる性格は誰からも愛され、町の人同士のあいだで厄介ごとが起これば、しょっちゅう仲裁を頼まれている。
元来は争いごとを好まない彼が、幾多の戦いに身を投じていく理由は、徹頭徹尾「鬼にされた妹を人間に戻すため」。つまり、自分ではない誰かのためだ。
仕事から帰ると家族が血だらけになって息絶えているという衝撃的なシーンは、この世界が、優しくつつましく生きている人ほど踏みにじられる場所であることを象徴している。そんな中で、炭治郎はいかに「優しさ」を貫いていくのか。これが物語の核となる。
理不尽な運命に自らの力で抗うヒロイン禰豆子
こう説明すると、「また男が女を守るという話か」という反応があるかもしれない。実際、そのような文脈で報じる記事なども目にした。だが、あまりにも的外れだ。
禰豆子は確かに、とても困難な状況に置かれている。他の家族と共に襲撃された際、傷口に鬼の血を浴びた。ただそれだけで、自分の意思に反した形で鬼にさせられてしまう。
しかし、「男の俺が、かよわいお前を守ってやるからな!」などという威勢で切り抜けていけるほど、『鬼滅の刃』の世界は甘くない。彼女はやがて、周囲の力添えもあって「人を喰う」という鬼としての本能を抑え込めるようになる。そして、兄の炭治郎や他の人間を守るため、鬼でありながら鬼と戦う。強烈な蹴りで敵の首を吹っ飛ばしたり、鬼特有の能力「血鬼術」(けっきじゅつ)を操ったりして、時に炭治郎の命をも救うのだ。
アニメ版19話「ヒノカミ」では、炭治郎と禰豆子の互いを守りたいという思いから繰り出される大技が、圧倒的な迫力で描かれた。
禰豆子をはじめ、本作に登場する女性キャラクターたちは、理不尽な運命に自らの力で抗おうとする。少なくとも「守られるだけの存在」とはほど遠い。
描かれる多様な「強さ」
「強さ」とは何か。人はいかにして「強く」在ることができるのか。そんな問いにも、本作は多様な答えの可能性を示してくれる。
まず、ファンの間では炭治郎と合わせて「かまぼこ隊」という呼称で愛される同期の剣士、我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)、嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)。劇場版でも活躍するが、この3人だけに絞ってみても、さまざまな「強さ」の形について考えさせられる。
善逸は、極端にネガティブで臆病な性格。一見どうしようもない「ヘタレ」だが、ここぞというときにだけ本領を発揮するキャラクターが面白い。自分が信じたいと思った人を信じ抜くひたむきな一面もある。「霹靂一閃(へきれきいっせん)」という言葉と共に放たれる彼の美しい必殺技には、そのまっすぐさがにじむようだ。
伊之助は、上半身裸で猪の頭を被った風変わりな出で立ち。劇場版では一言も説明がないが、彼はとある事情で、山の猪によって育てられた過去を持つ。口癖は「猪突猛進」、相手を「自分より強いか、弱いか」という視点でしか見られなかった彼が、仲間と出会ってどのように変わっていくのか。その片鱗は、劇場版でも垣間見ることができる。
そして、本作を味わう上で外せないのが「柱」の存在だ。鬼殺隊は実力による階級制をとっており、「柱」は最も強い剣士9人のみに授けられる称号。劇場版では、この一人である煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)という人物が、炭治郎たちと戦いを共にする。
「柱」たちは非常に個性豊かであるゆえに、全員が顔を揃えた登場シーンでは「憧れの先輩」というより「近寄ると危ない変わり者たち」といった雰囲気だった。各人が、それぞれの方向にずば抜けている。ゆえに「柱」の中では序列も存在しない。
柱を含めた鬼殺隊士をまとめる「お館様」(産屋敷耀哉、うぶやしき・かがや)に至っては、病弱で剣を扱うこともままならないという設定なのも新しい。作中の描写によれば、その「声音や動作の律動」だけで相手の心をつかんでしまう不思議なカリスマ性の持ち主。隊士たちを「子どもたち」と呼び、負傷者の見舞いや戦死者の墓参りを欠かさない人格者でもある。
一方、鬼の組織は似て非なる仕組み。全ての鬼の始祖にして最強の鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)が、唯一絶対の頭領として君臨する。
鬼たちは、もともと人間だ。禰豆子のようなケースもあれば、本人自ら望むケースもあるが、いずれにしても体内に「鬼の血」が入ることで鬼になる。末端の鬼は組織化されず、一方で最強の12人の鬼は、序列1位から12位まで綺麗にナンバリングされている(ちなみに、このうち4人はアニメ26話で、不機嫌な鬼舞辻自らの手で一挙に処刑される。ここも鬼殺隊とは非常に対照的だ)。
ここには、鬼殺隊や「柱」が体現する人の論理と、鬼の論理との違いが表れている。
すでに予告編で公開されている通り、劇場版では煉獄と「上弦の参」(序列3位)の鬼が激突。観客はその戦いから、「私たちが身に付けるべき強さとは何か」を学ぶに違いない。
(加藤藍子@aikowork521 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko / ハフポスト日本版)