聴こえない人と聴こえる人が共に働くスターバックスへ
コンビニやスーパーに買い物に行くとき、お店のスタッフが「聴こえない人」である可能性を想像したことがある人はいるだろうか。
おそらく、ほとんどいないのではないかと思う。接客業に従事する人は、耳が聴こえて当たり前だ――。無意識のうちに、そんな思い込みを抱いている。
それは、聴覚障害者の両親に育てられたぼく自身も同様だった。彼らは耳が聴こえないだけだ。でも、どうしたってできないことがある。それは「聴こえる」を大前提としたことだ。
接客業もそのひとつ。聴こえない人たちにはそもそも「接客業に就く」という選択肢がほとんど与えられていない。でも、それは無自覚の偏見であり、勝手な諦めではないだろうか。そんな気持ちに気づくきっかけとなったのは、とあるお店のニュースだった。
2020年6月27日(土)、東京はJR国立駅の駅ビルに、スターバックス コーヒー ジャパンが運営する「サイニングストア」がオープンした。
この店舗で働くのは、18人の聴覚障害者と5人の聴者。そう、聴こえない人たちと聴こえる人たちが一緒に、カフェの運営を担っているのだ。
お店での共通言語は、手話。挨拶もオーダーを受ける際も、すべてのやり取りに手話が使われる。とはいえ、聴覚障害者専門のお店ではない。ろう学校は近くにあるが、改札の前にある店舗には、圧倒的に聴者の客の方が多くやってくるだろう。
衝撃的だった。同時に、知りたい、とも思った。
聴こえない人たちがどのように接客をするのか、つらいことはないのか、偏見をぶつけられたりしないのか。居ても立っていられなくなったぼくは、お店のスタッフとして働くひとりの聴覚障害スタッフに話を聞かせてもらうことにした。
音を失い、手話と出会った高校時代
その場がパッと華やぐような笑顔を浮かべ、彼女は手を動かすと「中嶋元美です」と自己紹介した。「もっちー」と呼ばれているという。ぼくも慌てて自己紹介を返そうとするが、緊張していてうまく手が動かせない。そんなぼくを見て、中嶋さんはやさしく笑った。
現在26歳の中嶋さんは、元々、難聴だったという。
「女性の高い声は聴きづらかったんですけど、男性の低い声は聴き取れる状態でした。それが高校2年生の頃、まったく聴こえなくなってしまったんです。いまは障害者手帳の二級を所持しています」
完全に聴こえなくなったとき、中嶋さんはひとつの夢を諦めることになった。
「3歳からバレエを続けていて、将来はバレリーナになりたいと思っていました。でも、聴こえなくなって夢を諦めたんです。とてもショックでした」
自身の障害によって、夢が潰えてしまう。そのときの中嶋さんの気持ちを想像した途端、「つらかったですよね」という言葉が口をついて出た。瞬間、ハッとする。
いま、ぼくは、彼女に「同情」していなかったか? 彼女のことを勝手に「可哀想」と決めつけていなかっただろうか?
正直にそれを詫びると、中嶋さんは首を振りながら話しだした。
「ショックだったのは事実ですけど、いま振り返ってみると、難聴だったときの方がもっと苦しかったんです。聴こえる人でもなく、聴こえない人でもない、微妙な立場でしたから。どちらにも合わせられず、とても戸惑ってばかりいたと思います」
「完全に聴こえなくなり、言語が手話になったことで人生が大きく変わりました。ろう者が手話で話しているのを見たとき、感動したんです。生まれた初めて“言葉を知った”感じ。それから一生懸命に手話を覚えて、積極的な自分に生まれ変わりました」
ろう者が接客業に就ける環境
中嶋さんがスターバックスで働き出したのは3年前のこと。スターバックスは多様な人たちの居場所をつくることを応援しているため、全国にさまざまな障害のあるスタッフが働いていた。もちろん、そのなかには聴覚障害者も。
「高校を卒業してからは、郵便局で裏方の仕事をしていました。本音を言えば、私もお客様と接してみたかった。でも、ろう者にはあまりそういう機会がないんです。そんなとき、ろう学校時代の友人から、スターバックスならろう者も働けることを聞いたんです。それを知ったときは本当にうれしくて、すぐに応募しました」
「当時、働いていた店舗にいたろう者は、私ひとり。同僚の聴者スタッフとは、口話や筆談でコミュニケーションを取っていました。でも、やはりすべてが理解できるわけではなかったので苦労もしました」
念願だった接客業に就くことができ、中嶋さんの胸中に少しずつ芽生えていったのは「ろう者として、もっと誇りを持って働きたい」という想いだ。そのとき知ったのが、サイニングストアのオープニングスタッフの募集だった。
「社内で募集が告知されたとき、『働きたい!』と強く感じました。手話を使って働けるのであれば、ろう者としてもっとスキルアップできると思ったんです」
実際にサイニングストアで働いてみて、いまはどう感じているのだろうか。
「以前の店舗でも、聴者スタッフが一生懸命寄り添ってくれてはいましたが、やはり手話が共通言語になるとコミュニケーション面で困ることがなくなりました。それに、お客様と手話で会話できることが楽しいです」
子どもが初めてろう者に出会った場所
サイニングストアのことをなにも知らずに訪れた聴者からは、たびたび驚かれるそうだ。
「特に高齢のお客様にはびっくりされますね。でも、みなさん、すぐにスムーズに対応してくださるんです。指差しメニューを使ってくれたり、複雑なカスタマイズはわざわざ書いてくれたり。聴者のお客様ともちゃんとコミュニケーションが取れています」
「印象的だったのは、お母さんと一緒にやってきた小さなお子さんです。私が声を出さないことが不思議だったみたいなんですが、お母さんから説明されて理解したみたいで。手話で『ありがとう』と伝えると、私を見てニコニコと笑顔を浮かべてくれました」
「その子にとって、きっと私は生まれて初めて出会ったろう者。このお店でそんな体験をしてもらえたことがうれしかった」
もしかしたら、中嶋さんらとの出会いにより、お店を訪れた人たちの聴覚障害者に対する印象も大きく変わったかもしれない。
「サイニングストアは、聴者と聴覚障害者が交流できる場所になっていると感じます。ここをきっかけに、聴こえない人たちへの見方が少しでも変わっていくとうれしい。そう考えると、とても大事な役割を担っていますし、意義がある仕事だとも思います」
障害者への差別や偏見は、「知らない」ことから生まれる。健常者にとってもサイニングストアでの経験は、差別や偏見の芽を摘む機会につながるのではないだろうか。
手話の魅力を伝える新たな夢
中嶋さんは、手話と出会ったときのことを、「生まれ変わった瞬間」と何度も口にした。
難聴児として生まれ、小さい頃から「聴こえる人」と「聴こえない人」との間を揺れ動いてきた。けれど完全に音を失い、手話と出会ったことで、初めて自分自身の輪郭が明確になったのだ。
中嶋さんは手話を使い働く日々を送るなかで、いくつも夢を持つようになったという。
「まずはもっとコーヒーについて勉強したい。サイニングストアで働くようになって、自分から積極的にお客様に話しかけられるようになりました。だから、コーヒーについて詳しくなって、一人ひとりのお客様にオススメをしてみたいんです」
「もうひとつは、手話パフォーマーとしての活動です。いま、YouTube上で手話を使った歌とダンスを披露しているんですが、もっとパフォーマンスのスキルを高めていきたいと思っています」
サイニングストアのスタッフと手話パフォーマー。ふたつには共通点がある。それは聴者に「手話の魅力を伝えられる」ということだ。
「お店に来てくれたお客様からも、動画を観てくれたファンの方からも『手話を覚えてみたい』と言われることが多いんです。いま、日本各地で手話言語条例が少しずつ成立していて、手話は福祉ではなく、言語であると認識されるようになってきました。だからこそ、聴こえる人たちにもっと知ってもらいたい」
「少しでも興味があれば、サイニングストアに遊びに来てもらいたい。知らない世界に飛び込んでみるのは、もしかしたら怖いかもしれません。でも、それ以上に楽しいと思うんです。そんな風に、私自身が手話を広げていくきっかけになれたら、ろう者になったことにもっと誇りが持てると思います」
ぼくのなかにあった障害者への偏見と向き合う
取材を終えた帰り道、中嶋さんの言葉を反芻しながら、ぼくは自分のなかに聴覚障害者への偏見が残っていたことを痛感した。
耳が聴こえなくなったときのことを振り返る中嶋さんに対し、「つらかったですよね」と口にした瞬間。紛れもなく、ぼくは偏見からその言葉を発していた。
聴覚障害者の親に育てられたぼく自身が、そう思われることを誰よりも憎んでいたのに。その場面を何度も思い出し、恥ずかしさと情けなさでどうしようもなくなる。
けれど、中嶋さんとの出会いのおかげで、自分のなかにある偏見に気づくことができた。誰にだって無知による思い込みはある。「知った」なら、更新していけばいいだけだ。
大切なのは知識をアップデートし、変わっていくこと。そう自分に言い聞かせる。ぼく自身がもっと聴覚障害について知り、広げていくために。
五十嵐大
フリーランスのライター・編集者。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。2020年10月、デビューエッセイ『しくじり家族』(CCCメディアハウス)を上梓。
(編集:笹川かおり 協力:東京手話通訳等派遣センター)