「ひまわり運動後、2人は失敗し、長いあいだ立ち上がれずにいました。私も落ち込みました」
台湾の社会運動に身を投じた学生リーダーたちをとらえたドキュメンタリー映画『私たちの青春、台湾』を手がけたフー・ユー(傅楡)監督は語る。
近年、東アジアにおける民主主義の優等生と言われる台湾。しかし、その内実は日本から見えるほど単純ではないと、この映画は明らかにする。本作は、近年の台湾の社会運動の中心となった学生たちの情熱と挫折を描き、民主主義が持っている本質的な困難さを描いている。
本作には、台湾デジタル担当大臣のオードリー・タン氏も、「運動の過程での喪失や奮闘を真摯に記録しており、民主的な社会にとって最も意義のある教訓になっていると言っていい」「困難と向き合い勇気を持って挑戦してはじめて、本当に自分の進むべき道に出ることができ、私たち自身を通して未来を呼びこむことができる、ということなのだ」とコメントを寄せる。
フー・ユー監督が「ひまわり運動」を通じて描いたものは? 台中の相互理解はどうすれば進むのか? 制作経緯と狙いについて、話を聞いた。
「ひまわり運動」を率いたスター学生の光と陰
本作の主人公となるのは、台湾学生運動の中心人物の一人、チェン・ウェイティン(陳為廷)と、中国本土からの留学生でありながら台湾の社会運動に参加するツァイ・ボーイー(蔡博芸)だ。
映画は2010年代前半の学生運動からはじまり、2014年に日本の国会議事堂に当たる「立法院」を学生が占拠した「ひまわり運動」の実態をとらえ、監督自身がカメラを持って占拠された立法院の中の様子を撮影している。
チェンは、学生が議会に突入する契機を作ったリーダーの一人。ツァイは人気ブロガーで、台湾での社会運動への参加体験などを綴った書籍を中国本土で出版しベストセラーとなった。
華々しい二人の活躍を描く前半から、映画の後半はひまわり運動以後の二人の挫折を赤裸々に見せている。チェンは立法院補欠選挙に立候補するも、スキャンダルによって失脚。ツァイは、大学自治会選に出馬したが、台湾ナショナリズムが盛り上がる中、中国国籍を理由に不当な扱いを受け、選挙そのものを骨抜きにされてしまう。
なにより、ひまわり運動の最中にも彼らは葛藤していた。占拠した立法院の中で、少数で運動の方向性を決める「政府もどき」をつくり、自分たちが批判していた政府と同じ不透明な意思決定をしてしまう。
社会運動もドキュメンタリーも一度は無力と感じた
本作は、そんな風に理想を掲げた若者たちが様々な現実に直面する様を映し出す。映画もそうした現実を反映するかのように紆余曲折を経て完成した。撮影を始めた当初、フー・ユー監督は完成作品とは全く別の構想を思い描いていたようだ。
「私は社会運動について、それほど詳しくありませんでした。むしろ少し怖いイメージを持っていたのですが、チェンやツァイを知り、社会をより良いものにするための活動なのだと理解できました。
ですので、彼ら・彼女らは決して乱暴な人間じゃない、運動は社会の様々な不平等を是正するためのものだと多くの人に知ってほしいと思ったんです。
撮影開始した当初は、若者たちが壁に直面しながらも、情熱的に活動を続ける姿を収めた作品にしようと思っていました」
しかし、その構想は、現実のあまりの複雑さの前に打ち砕かれてしまった。
「ひまわり運動後、2人は失敗し、長いあいだ立ち上がれずにいました。私も落ち込みました。何か別の語りで映画を終わらせる必要があったんです」
政府の不透明な決定プロセスを批判したひまわり運動が、少数の人間によって方向性を決められていく現実に、リーダーのチェンも「これでは政府の真似ごと」だと言う。
それでも運動は一定の成功を収めた。チェンは時の人となり、立法院補欠選挙に出馬するが、過去の性的スキャンダルで失脚する。
対策を話し合う選挙スタッフがポロッと本音を漏らす。「なんとかコネでもみ消せないかな」と。政府の不正を糾弾した側の人間が不正の誘惑に落ちそうになる。
一方のツァイは、台湾の大学の学生会長選に立候補する。しかし、彼女が中国籍であることが問題にされてしまう。
選挙管理委員のメンバーがためらいなく彼女に向かって、「彼女の持っている国籍そのものが問題だ」と言い放つ。ひまわり運動は、リベラルな価値観や若者の政治参加の意識を高めたが、同時に過剰ともとれる台湾ナショナリズムにも火を付けていた。反中感情が、民主主義の理念を吹き飛ばしてしまっている。
取材の結果が、当初思い描いた理想からどんどん遠ざかる。
監督はナレーションで「社会運動が無力だと感じるし、ドキュメンタリーも無力だと感じ始めていた」と本音を吐露している。
社会運動の全貌を知ってほしい
実際の社会運動が上手くいかなかったとしても、映画は監督の思い通りに編集できる。当初の構想通りの作品にすることもできたはずだが、フー・ユー監督は、安易にその道を選ばなかった。
「ひまわり運動の後、学生たちの運動を取り上げた短編オムニバスのドキュメンタリー映画が企画されて、私も参加しました。その短編集の結論は、この運動が大きな成功だったと持ち上げる内容で、それを見て私は虚しさを感じたんです。これは私のやり方とは違うと思いました。
私は、この作品を通じて社会運動について知ってほしいと思っていましたが、良い点だけでなく全貌を知ってほしかったんです。1つの価値だけを取り上げてそれを褒めることはやりたくありませんでした」
本作の美徳は、監督の誠実さにある。特定の立場を称揚するだけでなく、不都合な真実にも目を向けているのだ。だからこそ、この映画を見る観客も、民主主義についてより深く考えることができるだろう。
監督自身もまた登場人物の1人
フー・ユー監督は、「これは青春映画なのだ」という。それは、本作には若者たち、そして監督自身の成長が映されているからだ。
「2人の運動が失敗に終わり、どうすればいいのかわからない状態に陥ったんですが、制作会社の社長がこの作品はとても重要なものを捉えているから頑張りなさいと背中を押してくれました。
編集を重ねていくつか異なるバージョンをつくり、その中の1つを2人に見せた時、私自身もまた、この映画の制作過程で学び、成長していく登場人物の1人だったんだと気が付きました。ならば、その気持ちを観客と分かち合う作品にしようと思ったんです。
「青春」という言葉をタイトルに使ったのは、チェンとツァイの2人は実際に若い学生でしたし、社会運動を描くと同時に2人の成長物語にしたいと思っていたからです。私は2人よりも10歳近く年上ですが、思いもよらないことに私自身の成長も描かれており、私もある意味、青春のただなかにいたんです」
本作が運動の失敗と挫折を描きながらも絶望だけで終わらないのは、確かな成長が描かれているからだ。それは、他者への過度な期待と依存からの脱却という形で描かれる。
「この映画で重要な部分は、社会運動の失敗を経て成長することで、自分の力を取り戻すことができた人間が描かれることです。それは主に私のことなのですが。
私は2人が社会を変えてくれると過度な期待を寄せてしまっていました。そのことに気づけたことは、政治的問題に限らず、人間にとっての重要な本質なんだと思います」
台中相互理解は進むのか
この映画は、中国本土では公開に至っていない。
2020年現在、台湾と中国の対立は、市民感情的にも、政治的にも、撮影当時より先鋭化しているように思える。
この映画は、台中の相互理解を少しでも促進する手助けになるだろうか。
「1本の映画で相互理解を劇的に深めることはできないでしょう。
問題は非常に複雑ですし、お互いに理解しきれていないことがたくさんあります。映画をつくる前から、台中の相互理解の重要さを理解していたつもりでしたが、実際に撮影してみて、むしろいかにそれが困難なことなのかを思い知りました。
しかし、嬉しいこともあったのです。大陸から留学してきた学生や旅行者の方もこの映画を見てくれました。大陸の中にも、今、台湾で何が起きているのか知りたがっている人はたくさんいるんです。この映画を見てくれた方々の多くは、台湾に対する理解が深まったと言ってくれたんです」
民主主義も台中相互理解もあまりにも困難が多すぎる。しかし、この映画はそこから逃げない。
困難であっても少しずつでいいから前に進むことが大切だと、フー・ユー監督の誠実さが教えてくれる。
フー・ユー監督による書籍『わたしの青春、台湾』(五月書房新社)も刊行。