かつて「捜査するジャーナリスト」と呼ばれ、全国各地の事件を追い続けた一人の男性がいました。黒木昭雄さん(享年52)。
黒木さんは10年前の11月1日、自ら命を絶ちました。テレビでも活躍していたジャーナリストの自死は、当時多くの関係者に衝撃を与えました。
なぜ黒木さんは命を絶ったのか。
直前まで取材でご一緒していた私自身、いまでも答えの見つからない問いです。そして、そこまで黒木さんを追い詰めた「岩手少女殺害事件」の真実はいったいどこにあるのか。黒木さん亡き今、この問いもまた深い闇に覆われたままです。
黒木さんは20年以上警視庁に勤務し、23回もの警視総監賞を受賞した優秀な捜査官でした。しかし、41才の時、警察組織のあり方に疑問を感じ、ジャーナリストに転身。以降、丹念な独自調査をしながら警察の不正や操作ミスを追求し続けました。
「俺はやっぱり警察が好きなんだよね」
そう語る黒木さんの人懐っこい笑顔を今でも鮮明に覚えています。警察が大好きだからこそ、警察の不正を許すことができない。その警察愛が黒木さんを突き動かしていたことに間違いありませんでした。
ジャーナリスト生命をかけて黒木さんが追い続けた最期の事件。それが「岩手少女殺害事件」でした。
黒木さんがたどり着いた驚きの事実
2008年7月。岩手県の山中、冷たい川の中で少女の遺体が発見されます。被害者は宮城県に住む佐藤梢さん(当時17歳)です。
遺体発見の3日前、ある男からの電話で呼び出された梢さんがそのまま姿を消し、首を絞められて殺害されたことから警察はその男を犯人と断定。梢さんを呼び出した小原勝幸に懸賞金100万円をかけて全国に指名手配したのです。
当時、指名手配およそ1100件のうち懸賞金をかけているのはわずか8人ですから、きわめて異例の措置といえます。
「調べてみると、ろくに捜査してないんですよ。おかしいなと思いました」(黒木さん)
指名手配の懸賞はもちろん税金です。捜査をし尽くして、それでも見つからないならまだしも、小原容疑者に対する警察の捜査も措置もあまりにも不自然だと感じた黒木さんが自ら事件を調べ直すと、実に不可解な実態が浮かび上がってきました。
一つ目は小原容疑者が梢さんの死亡推定時刻の前日に手に大けがをしていたことです。実際に小原容疑者が診療を受けた病院の医師が「右手の運動機能障害がありました。あの手で人間の首を絞めて殺害することはまずできないでしょう」と話しています。
二つ目は小原容疑者のアリバイがあったことでした。死亡推定時刻の時間帯、小原容疑者は遺体発見現場から100キロ離れた岩手県田野畑村の弟の実家に泊まり、昼は友人宅にいたというのです。しかも、この友人はそのことを警察にも話しています。
それにも関わらず、警察は小原を犯人と断定しました。これはなにかある、と確信した黒木さんは執念の張り込み調査を開始。その結果、ある驚愕の事実にたどり着いたのです。
被害者と同姓同名の少女の存在
2009年5月、黒木さんは記者会見を開き、一人の少女を報道陣に紹介しました。
「この子は佐藤梢といいます。つまり、小原勝幸が殺害したといわれる被害者の佐藤梢さんと同姓同名です」
なんと、佐藤梢さんは2人いて、しかも、高校時代からの親友同士だったというのです。(以下、会見で紹介された少女を梢Aさん、被害者を梢Bさんとする)
梢Aさんはその会見で衝撃的な事実を告発しました。
「梢Bちゃんは私の身代わりになったんじゃないかって」
「小原勝幸は元彼です」
「小原と知り合ったとき、梢Bちゃんも一緒に3人で遊んでいた」
梢Aさんは言います。
「交際していた小原は先輩Zともめ事を抱えていた。とりあえず一緒に先輩のところに来てくれと」
2007年5月、小原と彼の弟と梢Aさんは、先輩Z氏の自宅にむかいました。もめ事の原因は、小原がZ氏から紹介された仕事場から逃げ出したことで、それを謝罪するためです。梢Aさんは車に残り、弟とZ氏の家にあがった小原はそこでZ氏に恐喝されたというのです。
「口に日本刀を入れられて120万払えと言われた」
120万円の借用書を書かされた小原は、小指に包丁を当てられて連帯保証人をたてろと言われ、その時一緒にいた彼女の名前「佐藤梢」と書いてしまったといいます。
「しばらく経ってから、私(梢A)の携帯にZさんから電話が来たんです。怖くなって、久慈署に恐喝事件があったと被害届を出しました」
小原と梢Aさんの2人が被害届を出したのが翌2008年6月。そのおよそ一カ月後にもうひとりの佐藤梢Bさんが遺体で発見されたのです。
梢Aさんは証言します。
「実は(梢Bさんが失踪した日に)私も小原に呼び出されていたのだけど、それまでも暴力を振るわれたり、なぜか急に被害届を取り下げたいと言い出したりしていて、小原に嫌気がさして待ち合わせ場所に行かないで実家に帰ったんです」
同じ日の夜、佐藤梢Bさんと一緒にいたという別の友人が証言しました。
「梢Bちゃんといたら、携帯に電話があって。誰? って聞いたら、小原に呼び出されたって」
梢Aさんは肩を落として言いました。
「死んだ梢さんは私の身代わりとして(小原)勝幸につれて行かれたんです」
奇妙なことはまだありました。
梢Bさんの死亡推定日時である6月30日以降も、小原容疑者は警察に何度も電話して、被害届を取り下げるよう刑事に頼んでいるのです。なかなか取り下げてくれないという内容のメールが友人たちの携帯にも残っています。これから人を殺そう、あるいは殺した後に、わざわざ自分から警察に連絡を取ろうなどと考えるでしょうか。
7月1日に梢Bさんの遺体が発見された後、泣きながら取り乱している姿を友人に目撃されたのを最後に、小原は忽然と姿を消しました。
正義のために命をかけた殉職
その後の警察の対応は不可解なことばかりでした。
遺体発見の翌朝、警察が問い合わせの電話を入れたのは、殺された梢Bさんの家ではなく、梢Aさんの家だったのです。つまり、警察は殺人事件と恐喝事件を結びつけていたということになります。
ところが一転、殺害事件から3カ月後、警察は恐喝事件の被害届を受理したことさえ否定し始めました。
黒木さんは言います。
「岩手県警久慈署が被害届を受けて、きちんと捜査をしていれば梢Bさんは殺されることはなかった可能性があります。これが発覚すれば、県警にとって大変なダメージになるわけですね。組織的に隠さなければいけなくなった」
被害届の取り下げを拒否しながら、何も対応せずに最悪の結果になってしまった。
そのことを隠蔽するだけでなく、真犯人の確証もない小原勝幸を指名手配し懸賞金をかけるとはあまりにひどすぎる、と黒木さんはほかのメディアに訴え、署名を集め、警察には自らが集めた証拠を提出して再捜査を要求しました。テレビ朝日の「ザ・スクープ」で私も黒木さんとともに現地取材をし、スタジオに黒木さんを招いてこの事件の詳細を伝えました。
しかし、県も警察も、そしてなにより黒木さんが頼りにしていた地元のマスコミ、通信社も動かず、この事件が大きく報道されることはありませんでした。
2010年11月1日。小原容疑者の懸賞金が100万円から300万円に増額されます。それは2年2カ月にわたる黒木さんの活動を全面否定するものでした。
「本日、手配中の容疑者小原勝幸の懸賞金が300万円に増額されました。税金が警察の犯罪隠しに使われています。皆さん、追及の声をあげてください。お願いします」
このツイートを最後に黒木さんは52年の人生を自ら絶ちました。ご家族は10年たった今も「なぜ」という気持ちに答えが出ないといいます。
「自分の命のかわりにこの事件を知ってもらいたいと思ったのか。今もわかりません。ただ田野畑村に取材に行くときは本当に生き生きしていました。自殺というかたちは、なぜ、どうして、という気持ちが消えませんが、家族として、正義のために命をかけた殉職だったと思っています」
黒木さんの死から10年。11月3日(祝)12、19時から、ABEMA TVにて今も未解決なままの「岩手少女殺害事件」について放送します(見逃し配信)。ぜひご覧ください。
視聴方法は以下の通りです。
<視聴方法>
初回放送、再放送の放送時間に下記のABEMA TVのサイトから左上の「ABEMAnews」をクリックしてください。