俳優の草彅剛(くさなぎつよし)さんがトランスジェンダー女性役を務めた映画『ミッドナイトスワン』のロングヒットが続いている。ショークラブで働くトランス女性と母親から育児放棄をされた中学生が親子愛を育むストーリーで、社会に蔓延るトランスジェンダーへの差別や無理解なども描いている。
高い評価を受ける一方で、主人公に降りかかるあまりにも悲劇的な結末については批判の声もあがった。性別適合手術の専門医やトランスジェンダー当事者のコメントを意見を元に、この作品をめぐる批判について考えたい。
《※物語の結末についてのネタバレ記述があります。あらかじめご了承ください。》
どんな結末を迎えるのか
『ミッドナイトスワン』は、ショークラブで働くトランス女性の凪沙が、親戚の中学生・一果を預かり、「母親」として生きていこうとする姿を描く。
9月に公開され、興行収入は6億円を超えるヒットを記録。草彅さんがトランスジェンダー女性を演じたことなどから、SNSやメディアでも話題を呼んだ。12月には台湾でも公開を迎えるという。
『ミッドナイトスワン』の脚本・監督を手がけた内田英治さんは、脚本の執筆にあたり、トランスジェンダー当事者を何人も取材したことを明かしている。草彅さんもトランスジェンダーの人と会ったことを話しており、制作段階で当事者の声を聞く機会を設けていたことが伺える。
物語の終盤、凪沙は、タイで性別適合手術を受ける。もともと性別移行を望んでおり、ホルモン治療を続けていたが、一果が実母に連れ戻されたことで「本当の母親」になりたいという思いを強くしたのだ。
手術後、凪沙は実家や親戚のもとを訪れ、一果を引き取りに行く。しかし、親戚から「化け物」扱いされ暴力を振るわれるなどし、一果を引き取ることは叶わなかった。
それから年月が経ち(小説版では「一年以上」となっている)、中学を卒業した一果は東京へ向かい、凪沙に会いに行く。
しかし、ひさしぶりに会う凪沙の姿は一変していた。
下半身にはおむつをつけており、そのおむつは、血だらけになっていた。凪沙は意識が朦朧としている様子で、目が見えなくなっていた。
凪沙は、最後の力を振り絞るように、海に連れて行ってほしいと一果に頼む。そして、砂浜でバレエを踊る一果を眺めながら、眠るように命を落としてしまう。
凪沙に何が起きたのか
手術を受けた凪沙に、何が起きたのか。
映画の中では、凪沙が「女になったはいいけど、サボったらこんなになっちゃった」と一果に告げるシーンがある。
詳しい説明は少ないが、映画を元にした小説版では、「手術部分が壊死し、常に発熱しているようになって数か月が過ぎた」と書かれている。そして、そうなった原因は、「アフター(術後)ケアをしなかった」ためなのだという。 凪沙は一果と別れた後に生きる気力をなくし、寝たきりの状態になってしまったのだ。性別適合手術を受けるために貯金を使ったのだろう、すぐに蓄えが底を尽きて貧困状態に陥り、一時はホームレスにもなったという。
そうした事情で、アフターケアを怠ってしまったのだ。
しかし、トランスジェンダーである凪沙が、手術を受けたことで悲劇的な最後を迎えてしまうという展開には、SNSでは批判を含めさまざまな声があがった。
観客の感動を誘うために、トランスジェンダーが不幸で、悲劇的な存在だという偏ったイメージに押し込められてしまっているのではないかーーといった声だ。筆者も、その点が気になった。
また、性別適合手術をめぐる描写については、手術への恐怖や誤解を植えつけてしまうのでは、とも感じた。
医学的な見解は...
実際には、凪沙のようにアフターケアを怠ったとしても、皮膚が壊死してしまい、さらに死に至るということは、現実には起こりにくいという。
岡山大学病院の産婦人科医で、GID(性同一性障害)学会の理事長を務める中塚幹也さんに詳しく話を聞いた。2001年から性別適合手術を行なっている岡山大学は、国内で公的医療保険の適用が認められている数少ない病院のうちの一つだ。
中塚さんは、「トランスジェンダーのストーリーを作っていただいたことに、まず感謝をしたい。理解が進んでいない現状で、当事者のストーリーにスポットを当てることは必要なことだと思います」と語る。
凪沙がどんな方法で手術を受けたのかは作中で明らかにされていないが、中塚さんによると、MtF(※)の性別適合手術で一般的な方法は、血管を残したまま皮膚を移植して膣を形成する「有茎皮弁」という方法だ。この方法を採用した場合、手術後に血流不足によって皮膚の一部が壊死してしまうことがあるという。
しかし、現代の手術では稀で、さらに大抵は「術後1〜2週間以内」で起きることだという。
(※)MtFとは:「Male to Female」の略で、生まれたときに男性という性を割り当てられたが、女性として生きることを望む人をさす。
「通常は、皮膚の動脈にしっかりと血が行き渡るようにデザインして膣を形成しますが、血の巡りが悪い先の部分の皮膚が壊死してしまうということはありえます。ただ、手術を始めたばかりの20年前ごろは皮膚の一部が壊死することはあったんですが、安全な手術が確実となってきた現代で起きることは稀です。あるとしても、手術後すぐの話だと思います」
「手術直後に皮膚が壊死してしまい、帰国後に何もせず放置してしまったということも考えられますが、もし皮膚が壊死したとしても、作った膣が狭くなってしまうだけで、大体はそのまま治ってしまうことがほとんどです。手術から1年後におむつを履かなければならないほどの膿や血が出たり、失明したりすることは通常は考えにくいと思います」
作品では、凪沙は「アフターケアをしなかったため」に皮膚が壊死してしまい、体調が悪化してしまった。
術後ケアとは、形成した膣が塞がらないよう棒状の器具を差し込み、一定時間固定する「ダイレーション」のことをさす。回復のペースは人によって異なるというが、ダイレーションの際に痛みを伴ったり、出血したりすることもあり、大変な思いをする人もいるという。
しかし、アフターケアをしないことによって皮膚が壊死してしまう、ということは通常は起こらないという。
「やはり皮膚なので、術後に何もせず放置していると、膣が狭くなったり、あるいは浅くなったりしてしまいます。そうならないためにアフターケアが必要です」
「手術後に合併症を発症するリスクはもちろんありますが、それは性別適合手術だけではなく、どんな手術でも起こりうることです。一方で、大変なことが全くないというわけでは勿論ありません。極々稀ですが新しく作った膣が、腸もしくは尿道と繋がってしまって再手術が必要となるケースなども起こり得ます」
「映画をきっかけに議論が広がってほしい」
性別適合手術手術をめぐっては、2018年から保険適用が始まったものの、多くの人が保険の適用外となり高額な手術費用を自己負担せざるをえないという問題もある。
ホルモン治療も受けている場合は「混合診療」とみなされ、手術も保険の適用外となってしまうためだ。
中塚さんが理事長を務めるGID学会では、こうした問題を改善するため、ホルモン療法にも保険適用を認めるよう求めている。
「タイなど海外で手術を受けることを選ぶ人が多いのは、保険適用の問題などが背景にあります。この映画をきっかけにこうした問題にも目が向けられ、トランスジェンダーの人にとって生きやすい社会になるよう、さまざまな議論が広がってほしいと思います」(中塚さん)
当事者はどう感じた? 「女性として生きることはゴールではなく、スタート」
トランスジェンダー当事者にも、この作品への受け止めを聞いた。
東京都在住の石井エバさんは、ビジネスコンサルタントやFinTech業界でコンプライアンス担当者の経験を持つ。現在はLGBTQをめぐる発信や、性別の枠にとらわれないバレエレッスンなどのイベント開催や、レディースファッション買い物同行サービスを提供する団体「irOdori〜彩り×踊り〜」のアドバイザー活動などを行なっている。
石井さんは、『ミッドナイトスワン』を「美しく残酷な物語」だと感じたという。
「一果は凪沙を失ってしまうという悲劇的な終わり方を迎えましたが、それでも、儚くも2人の”生”の希望が感じられました。本作はトランスジェンダーというラベルが貼られてますが、私は、自身の出生や性別といった領域を超え、凪沙と一果が他者や社会とのしがらみに苦痛を伴いながらも、誰かのために生きるのではなく、何が何でも自分自身に正直に生きることの重要性を教えてくれたと思います」
石井さん自身も、タイで性別適合手術を受けた経験をもつ。
映画で描かれた手術後の描写については、「少し現実味に欠けていると思いました」と前置きした上で、「違和感を覚えながらも、客観的にフィクションとして作品を見た」という。
「これはあくまで私個人が希望する展開ですが...。一果と暮らせなくなった凪沙は、その後友人達や実の母親などから精神的・経済的サポートを受けて女性として懸命に社会で生き、最終的には一果と再会して家族としての関係性を修復、一果のバレエ公演を海外まで観に行く...というようなエンディングの方が、凪沙も一果も救われた感があるのでは、と思いました」
「凪沙のように女性として生きる夢を掴み、新たなスタートを踏み出すトランスジェンダーにとっては、その方が希望が持てると思います。女性として生きることはゴールではなく、スタートですから」
一方で、「性別適合手術がトランスジェンダーにとって肉体的にも精神的にも非常にセンシティブであることは変わらない」とも強調する。
「社会が変わらない限り、追い込まれるトランスジェンダーが増えつづける」
また、手術の保険適用をめぐる問題だけではなく、当事者は戸籍上の性別変更でも高いハードルを強いられている。
日本では、「性同一性障害特例法」によって戸籍上の性別を変更できるが、変更には当事者への心身への影響が大きい性別適合手術を「必須」の要件としている。世界保健機関(WHO)は生殖機能を失わせる手術要件への反対声明を発表しており、海外の動きにあわせて日本でも「手術要件」の撤廃を求める声が高まっている。
作品をきっかけに、こうした問題にも注目が集まってほしい、と石井さんは語る。
「性別変更において手術要件や外観要件があることもそうですし、社会生活では、見た目と性別の不一致から差別や不当な扱いなどが生じます」
「トランスジェンダーの社会的共存に関して、日本はまだまだ後進国です。凪沙のような病状にはならなくとも、社会が変わらない限り、貧困、孤独、死に追い込まれるトランスジェンダーが増えつづける可能性は高く、何らかの措置が講じられていくべきだと思っています」
さまざまな意見、監督の受け止めは
映画では描かれなかったが、小説版では「性同一性障害特例法」について、登場人物が批判的に話すシーンがあった。就職活動をする凪沙がそのままの姿では採用されず、男性と偽って就職する場面もある。
『ミッドナイトスワン』は、社会に蔓延するトランスジェンダーへの偏見や差別、無理解を描いていると感じた。
一方で、実際には多くの場合安全な手術が行われているのに、誇張した悲劇的な描き方をすることは、トランスジェンダーの人々を感動のために「消費」していると言えるのではないだろうか、とも感じた。
これは、この作品に限らず、マイノリティについて描く作品の普遍的な課題でもある。
制作側への取材は叶わなかったものの、内田監督は外国特派員協会での記者会見やメディアによるインタビューなどを通して、本作をめぐる様々な議論についてこのような受け止めを述べていた。
あらゆる意見があるのは良いことですよね。僕はこれは娯楽映画であると言ったんですが、これはトランスジェンダーの境遇そのものを娯楽にするという意味じゃないです。この映画を娯楽映画として、エンターティメント作品として成立させることによって多くの人が観て、多くの人が考えるきっかけになればいいという意味なんです。先ほども言ったように、一番の問題は無知です。なので、まずは普段こういった問題に接しない人たちにも観てもらうため、メジャーな場で広く観てもらうことが重要だと思いました。
(2020年10月9日「映画board」掲載の対談「『ミッドナイトスワン』とトランスジェンダーについて 監督・内田英治×脚本監修・西原さつき」より)
作品を観て「終わり」ではなく、一歩を踏み出したい
私は、重要なことは、観客がこのストーリーをただ「消費」するだけでなく、「その先」の行動に移せるかどうかだと思う。
SNSには、この作品を見た人の感想がたくさん広がった。『ミッドナイトスワン』を観たと思われる人が、後日、トランスジェンダーに関するニュースをTwitterで感想をつけてシェアしているのも見かけた。
「この作品をきっかけに、日本社会がこれまでトランスジェンダーに関して無知だった背景や置き去りにしてきた人権問題を知り、古い価値観や先入観を捨てて、新たなかたちで共存できる社会体制を構築していければと思います。ジェンダーに関係なく、個人の一歩がそれを手助けしてくれるはずです」
石井さんはそうコメントをくれた。作品を観て「終わり」ではなく、自分自身を含め、多くの人がその一歩を踏み出すこととなってほしい、と切実に思う。