『淵に立つ』や『よこがお』などで知られる深田晃司監督の新作『本気のしるし《劇場版》』が、全国で公開中だ。
本作は、2000年から連載されていた星里もちるによる漫画作品を原作に、2019年に名古屋テレビ放送にて深田監督がドラマ化し、話題を集めた。2020年に再編集して映画化。第73回カンヌ国際映画祭の「オフィシャルセレクション2020」に選出された。
10月11日には、深田晃司監督とジャーナリスト・伊藤詩織さんのトークイベントがキネカ大森にて行われた。
トークでは、「イライラする」「主体性がない」などと批判も上がったヒロイン・浮世のキャラクターなどについて、話が繰り広げられた。
深田監督と伊藤詩織さんがトークイベント
深田晃司監督にとっては、初めての漫画原作で、初めてのテレビドラマとしてスタートした作品。この原作に惹かれた一番の理由は、主人公・辻が出会うヒロイン・浮世のキャラクターだったという。
浮世は複雑なキャラクターだ。
ある日、浮世は運転する車が線路に乗り込んで出られなくなったところを辻一路に助けられるが、命の恩人だというのに、事情を聴きに来た警察には運転していたのは辻だと言うなど言動に一貫性がない。
ドラマ放送時には、浮世に対して「イライラする」「主体性がない」などという感想もあった。
伊藤さんは、「このドラマについて検索すると、『イライラ』って言葉が出てくるんですと監督から伺って。イライラってどういうことなんだろう、と思って見始めたんです」と語る。
伊藤さん「実際に見てみると、イライラするポイントはわかるんですけど、私はイライラを感じるということはなくて。私も、破天荒でこうだ、と思ったら突き進むところがあるので、その点では主人公の浮世さんと自分に似ているところがあるのかもしれません。それでイライラしないのかもしれない、と思いました」
深田さん「浮世さんに対して『教育的な目線』を持ってイライラするときと、自分を見ているような気持ちになってイライラするときと、いろいろあるかもしれませんね。見る人のリトマス試験紙のようなところがあると思うので、いろんな方向に受け取ってもらえればと思いました」
浮世は「男性の尺度」で作られたキャラクター
辻は浮世に出会うことで多くの「トラブル」に巻き込まれるが、それでも浮世と関わることをやめない。
そうしたストーリーの展開を見ていると、浮世は、物語のモチーフとして描かれてきた典型的な「男性を破滅させる魔性の女性・悪女」のようにも見える。
しかし、その点について監督は、「男性側の一方的な思い込みである」と指摘する。
深田さん「浮世は、男性の尺度で作られたキャラクターです。男性からするとドキドキさせてくるし、誘われているのかなと思わせるところもある。さらに『隙があるからいけないんだ』とまで言われてしまう。
しかし、それは男性側の一方的な思い込みであるし、浮世は『そうとしか生きられない』というところもある。そしてそのことでどれだけ傷ついているか。それを20年前の青年誌に書かれていたことが、今の時代に見ると面白くて、そういう部分を抽出して拡大しました」
深田監督は過去のハフポストのインタビューで、いま浮世というキャラクターを描くことについて、こうも述べていた。
『確かに浮世は「ファム・ファタール」的な女性で、そもそも「ファム・ファタール」という言葉自体が差別的だと思いますが、星里もちる先生の原作はそれを批評的に描いていると思ったんです。男性にとって都合のいいヒロイン像が消費されがちな青年誌で連載されていたことそれ自体が、ある種、批評的であり自己否定的でさえありました。
浮世は男性社会を生き抜くために「擬態」せざるを得ない。本能的に擬態をしてしまうと自分は捉えたんですが、その悲しさを描きたいと思いましたし、現代に作ることにも面白さを感じました』
日本の文学における「悪女像」の問題点
深田監督によると、この映画を撮るにあたり、国文学者の田中貴子氏の『〈悪女〉論』を参考にしたという。
深田「この本は、日本の文学の中でいかにして『悪女像』が作られてきたかを書いています。
例えば、ただ『男性が女性に欲情し道を踏み外した』ということが、男性社会の尺度から見ると、『女性が政治や社会を混乱に導いた』ことになっていく。そうやって『悪女』が作られてきた、ということが書かれているんです。
男性を魅了し秩序を乱す女性を描くというファム・ファタールもののジャンルはある種の典型としてあるけれど、『本気のしるし』はそれをひっくり返す物語なんです。
『悪女』と同じことを男性がやっても、ネガティブには受け取られない。なのに、なぜ女性がやるとそうなってしまうのか。その視点をプロデューサーとも共有したくて、この本を読んでもらいました」
伊藤さんは、ある小説に描かれたジェンダー観との共通点を感じたと指摘した。
伊藤さん「ちょうど『持続可能な魂の利用』という本の作者の松田青子さんにインタビューしてきたところなんですが、この本はカギカッコつきで『おじさん』という表現を使い、日本の男性社会を描いています。
日本がいかに男性優位のシステムで作り上げられているのか、ということを書いた小説で。これもカッコつきの話だと思い、共通点を感じました。この小説では、日本社会は皆が『おじさん』化することを推奨しているけれど、そこからいかに自由になるか、ということが書かれているんです」
深田さん「その話を聞いて、『本気のしるし』が描いているジェンダーの話と通底することころがあると思いました。
男性にとって、『悪女』は秩序ある男性社会に混乱をもたらす存在として否定され、さらに日本社会の年功序列の価値観のなかで年を重ねたものがただそれだけで権力を持ちやすい。
男尊女卑と年功序列が合わさった結果、カッコつきの『おじさん』になることが推奨されるということにたどり着いていくんですよね」
「男性の辻も主体性はない。けれど浮世だけがどんどん追いこまれる」
作品は、浮世と、浮世に出会うことで人生が激変する辻、そして辻と恋愛関係にある細川先輩の3人の登場人物を中心に展開していく。
深田さん「浮世さんは周りにいかにして怒られないか、おびえながら生きている。
主体性が低いように見えますが、実は男性の辻さんも主体性が低いキャラクターです。八方美人で、たくさんの女性と付き合って回りを傷つけていく。でも、辻さんは男性社会の中で『下駄』をはいているのでそれなりの地位を得て、うまくいっています。
同じように主体性がなくても、浮世さんだけ、どんどん追いこまれる立場になっていくんです。
一方で、辻さんの会社の先輩で、辻さんが付き合っている女性の中の一人である細川先輩は、男性社会の中で女性が生きていく上での葛藤や苦悩を一新に引き受けているような役で。
彼女にとっては浮世さんですら、自由に生きているように見えている。ジェンダーだけでは語れない、いろんなレイヤーで人物が描かれている点は、原作でも面白いなと思ったところです」
伊藤さん「細川先輩が、『私、あなたに憧れていたのかもしれない』と浮世に言う場面がありますよね。自分が『できないこと』をしている浮世にかけた言葉が印象的でした」
伊藤さんは、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2020年は長期にわたって日本に滞在しているという。
「久しぶりに長い期間にわたって日本にいて、改めて感じること、息苦しさがありました。この映画を観てそのまま、そういう気持ちをキャラクターたちから感じました」と、作品への共感を語った。
トークイベントの最後には、伊藤さんが映像作家として制作中のパイロットフィルム、『ユーパロのミチ』の映像が初披露された。
高齢者の多い元炭鉱の町として知られる北海道・夕張市に5年にわたり密着したドキュメンタリーで、財政破綻や超高齢化、人口減少などの課題とともに生きる人々の姿を映し出した。
(編集:生田綾)