「性別欄を履歴書からなくして」――。
こうした動きを「大きな前進」と歓迎する声がある一方で、ネット上には「採用時に性別を把握することは企業にとって必要」などと消極的な受け止めや、「顔写真や年齢も要らない」といった意見も上がっている。
厚生労働省は、ハフポスト日本版の取材に対し、従来のJIS規格の様式例に替わる新たな記載例の作成を検討していることを明らかにした。日本の「履歴書」の主流が、大きく変わる転換点にある。
誰も不利益を受けない履歴書の形は?性別欄も顔写真もなくした企業に、デメリットはあった?専門家や、履歴書の「改革」に取り組む先進企業に尋ねた。
「性別欄なし」をスタンダードに
性別欄の削除を後押ししたのは、トランスジェンダー当事者や支援者らによる呼び掛けだ。賛同の声がネット上で広がり、1万筆を超える署名が集まった。
署名活動のサポートに当たった遠藤まめたさんは、「トランスジェンダー当事者のうち、戸籍上の性と異なる性で生活している人が、採用時の書類で性別を書くことを強いられたり、内定が出た後に企業側から嫌がらせを受けたりする問題がありました。性別欄が履歴書からなくなることで、これらの問題が起きにくくなることの意義は大きいです」と語る。
一方で、性別欄がない履歴書が発売されることには「使う人が限られているのでは、あまり意味がない」と指摘する。「採用に関係のない性別情報を当たり前のように尋ねてきたこと自体がどうなの?ということが問われています。単に性別欄のない商品が作られるだけでなく、性別欄がない履歴書がスタンダードになるべきです」
「無意識の偏見」は、ほぼ全ての人にある
性別欄がなくなることで影響を受けるのは、トランスジェンダー当事者だけなのか?
「性別欄をなくすことは、採用段階の『男女格差』を軽減することにつながります」。フェリス女学院大の潮村公弘教授(社会心理学)は、こう強調する。
潮村教授はその理由に、「ほぼ全ての人が、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)を持っている」ことを挙げる。
「私たちは生まれてから、例えば親や近所の人など身近な人たちの価値観、振る舞い、メディアからの情報といった社会環境の影響を受けて、全ての人の心の中に“社会の縮図”を自然と形成していきます」
「こうした『社会化』の過程で身につけた無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)は、人を評価する場合にも当然はたらきます。本来、採否の判断に不必要であるはずの性別情報を履歴書からなくすことで、各々が持つ性別に対するアンコンシャス・バイアスに判断を左右されるリスクは低くなります」
「カーテン1枚」で女性の採用率が7倍以上に
性別に対するアンコンシャス・バイアスは、人の判断に影響を与えるのか?それを裏付ける有名な報告がある。
アメリカの5大オーケストラでは1970年代後半、女性演奏家の割合は5%だった。演奏家の採用試験で、審査員と受験者をカーテンなどで隔てる「ブラインド・オーディション」を導入したところ、女性が採用される割合が7倍以上に増えた、というものだ。
(参考文献:「ワークデザイン 行動経済学でジェンダー格差を克服する」/イリス・ボネット著/NTT出版/2018年)
だが履歴書による書類選考を通過した後は、対面面接をすることが大半だ。この段階で、多くの場合、企業側は応募者の性別を知ることになる。面接に進んだら、やはりバイアスの影響は避けられないのではないか?
潮村教授は「アンコンシャス・バイアスを完全に取り除くことは確かに難しいでしょう」と前置きした上で、「ですが、選考が進むと人数が絞られ、採用する側は一人一人の能力や適性を正確に見極めようとします。面接時には応募者の性別を把握することになっても、性別をベースにして評価する力は弱まります」
年齢や「○○世代」で決め付ける危うさ
バイアスがはたらく要素は、性別欄の他にもある。潮村教授は、特に「生年月日(年齢)を尋ねる」ことの問題点を指摘する。
「中年以上の人など年配の応募者に対して『突破力が求められる新規事業はできない』などの否定的な見方だったり、<○○世代>とラベリングをして一方的な印象を抱いたり。年齢の情報から、アンコンシャス・バイアスの悪い影響を受ける傾向は、日本で特に強いように感じます」
「年齢や性別、人種などは『グループの属性』でしかなく、『その人個人』を表していません。グループの属性でその人自身を評価することは望ましくなく、こうした個人の評価に必要ではない情報は、可能な限り履歴書からなくしていくべきです」
「顔写真なし」は世界的な流れ
企業のダイバーシティ研修やコンサルティング事業などに取り組む「アパショナータ」代表のパク・スックチャさんは、「日本の履歴書はバイアス(偏見、先入観)が多い」と話す。
その最たるものは「顔写真」という。
「視覚情報が私たちの判断に与える影響は大きい。顔写真を見て『真面目そう、軽率そう』とか、『顔立ちが整っている』とか、その人の能力と関係ないところで誤った判断をしてしまいます」
「書類の段階で見た目を理由に落とされると、面接というスタートラインにも立てない。欧米では履歴書に顔写真を貼らないというのは主流で、日本でも顔写真欄は削除するべきです」
顔写真欄を巡っては、「写真のせいでその人が本来もっている能力や人柄が公正に評価されないのは問題だ」として、履歴書からの削除を求める署名運動も始まっている。
一方で、パクさんは「性別欄は、男・女の他に『記入しない』という選択肢をつくった上で、残した方が良い」との立場だ。
「採用結果の男女比だけでなく、『男女別で何人が受けて、何人ずつ採用したか』という割合を統計として残すことは、企業のジェンダーバランスを正確に測るために重要です。どの段階で差別が生じたかを、可視化することができるからです。そのためには、応募者の性別を企業側が把握する必要があります」
「一方で、トランスジェンダーの人などへの配慮も不可欠です。応募者を評価する採用担当者が性別のバイアスに影響されないよう、履歴書を処理する人と、採用担当者を分けて、採用担当者には性別情報を知られないように書類上では隠す、といった工夫が求められます」
性別欄をなくしたユニリーバ「良いことしかない」
履歴書から性別欄を削除する動きに対し、肯定的な受け止めばかりではない。
ネットでは、「性別欄は必要。仕事内容やチーム構成など雇用企業側の都合もある」「性別欄や顔写真がなければ、虚偽記載もできてしまう」といった意見もある。
ヘアケアブランド「LUX」などを販売するユニリーバは2020年3月、採用選考の全過程で「性別だけでなく、顔写真や下の名前という『ジェンダーに関する全ての情報』を履歴書からなくす」という取り組みで注目を集めた。「性別ではなく、個人の適性や能力のみに焦点を当てた採用をする」とのメッセージが込められていた。
導入から半年経って、実際に混乱などマイナス面はあったのか?担当者を直撃した。
「応募数が減ったり混乱が生じたりすることはなく、今のところデメリットは一つもない。良いことしかありません」
同社取締役人事総務本部長の島田由香さんは、そう言い切る。
「確かに、応募前に『性別欄やファーストネームの記入、顔写真は必要ない』と周知したり、同姓の人同士を区別できるよう社内で調整したりといった作業が生まれたことは事実です」と明かす。その上で、「良いことしかない」理由を次のように語る。
「ユニリーバはすべてのブランドがパーパス(存在意義)を持つことを大切にしています。このキャンペーンを通じて、『社会で無意識に生じる性別への先入観をなくし、女性がより自分らしく輝くためのサポートをする』というLUXのパーパスに基づき、応募者や協力企業、社会に気づきを届けることができました。これは、新しく生じた手間とは比にならないほど破格のメリットだと考えています」
最大のハードルは「思いこみ」
採用過程の「慣例」を覆す挑戦は、スムーズに実現できたわけではなかったという。
「当初は弊社の人事チームからも『良いことだと頭でわかっていても、実際には無理です』という声がありました。候補者の管理が難しくなり、人材紹介会社の手間を増やすことになるので紹介を受けにくくなってしまうリスクがある、といった懸念がありました」
状況を変えたのは、その人材紹介会社からの予想外の反応だった。
「直接ご相談してみると、思っている以上に履歴書を変える取り組みに共鳴していただけたのです。『今の日本社会に必要なことですね』と。実は、私たちが無意識に持っていた思い込みが一番のハードルだったと気がつきました」
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性別、顔写真、年齢…。
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