アメリカ最高裁で2人目の女性判事として、性差別問題を巡る数々の裁判を手掛けたことで知られるルース・ベイダー・ギンズバーグ氏。がんを患い、87歳で生涯を終えた。ギンズバーグ氏の半生を描いた映画は話題を呼び、「ポップアイコン」としてもアメリカで絶大な人気を集めていた。アメリカ社会に何を遺したのか、これまでの功績を振り返る。
肌で感じた、法曹界の「性差別」
BBCによると、ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏は1933年、ニューヨークのブルックリンで、ユダヤ人移民の子どもとして生まれた。大学時代にマーティー・ギンズバーグ氏と出会い結婚した。
ギンズバーグ氏は社会保障事務所で働いていた時に妊娠。それを理由に降格させられた。1950年代当時、妊婦差別は合法だった。
1956年にハーバード大法学院に入学。同級生500人余りのうち、女性はギンズバーグ氏を含め9人しかいなかった。転入先のコロンビア大法学院を主席で卒業したが、性別などを理由にどこの弁護士事務所からも採用を拒まれた。
当時について、ギンズバーグ氏は「私はユダヤ人で、女性で、母親であるという三つのバックグラウンドがあったから」と振り返っている。
入学や賃金格差の問題も
その後、ギンズバーグ氏はラトガース大学のロースクールで教授を務めた。アメリカ自由人権協会(ACLU)の「女性権利プロジェクト」を共同創設。弁護士として数々の性差別事件を手掛け、男女平等をめぐる6件の裁判を最高裁で争い、5件で勝訴した。
弁護士としての手腕が知られるようになったギンズバーグ氏。1993年にクリントン大統領から指名され、アメリカ史上で女性として2人目の最高裁判事になった。
判事になってからも、男女平等の問題に取り組み続けた。1996年には、バージニア州立軍事学校が女性の入学を禁じたことを違憲とした判決を主導。 2007年の男女の賃金差別問題の訴訟では、ギンズバーグ氏は女性に不利な法律の現状に異議を唱え、議会側に議員立法を促した。2年後、差別的な賃金決定への申し立てに関する「リリー・レッドベター公正賃金法案」が可決された。
半生が映画化
リベラルを象徴する判事としての功績だけでない。ギンズバーグ氏は頭文字から「RBG」の愛称で親しまれ、ポップカルチャーのアイコンともなり、若い世代からも絶大な人気を誇った。
ドキュメンタリー映画「RBG 最強の85才」(2018年)は、アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされた。若き日を描いた映画「ビリーブ 未来への大逆転」(2018年)では、「博士と彼女のセオリー」でアカデミー賞助演女優賞を受賞したフェリシティ・ジョーンズさんが本人役を演じたことでも話題になった。
ギンズバーグ氏は亡くなる数日前、孫に「私の最大の願いは、新しい大統領が決まるまで、自分が取って代わられないこと」と述べていた。死去により、定員9人の最高裁判事はリベラル派の判事が3人、保守派の判事が5人になった。
時事通信によると、トランプ氏は大統領に就任後、2人の保守派を最高裁の判事として送り出している。トランプ大統領がさらに保守派を指名すれば、今後数十年の最高裁判決の流れを左右するとも言われる。
最後までアメリカ社会の自由と平等への思いを貫いていたギンズバーグ氏。その死を悼む声が相次いでいる。
最高裁長官のジョン・ロバーツ氏は「私たちの国は、歴史的な法律家を失いました」との声明を発表。アメリカ大統領選の民主党候補者、ジョー・バイデン氏もTwitterで、「ルース・ベイダー・ギンズバーグは私たち全員の味方だった。彼女はアメリカのヒーローで、法理の巨匠で、アメリカの最高の理想を追及する容赦ない声でした」などと投稿した。