ドラマ『私の家政夫ナギサさん』における家事
この夏、最高視聴率19.6%を記録した人気ドラマ『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)で、主人公の相原メイ(多部未華子)が選んだ結婚相手は、家事シェアの問題を考えるうえで興味深いものだった。ここ数年、家事シェアを求める女性たちの声が大きくなっているが、果たして夫婦が平等に同じ量だけ家事をすることが、正解なのだろうか?
ドラマの概要を説明しよう。一部ネタバレを含むので、避けたい人は次の段落から読んでも構わない。
メイは、製薬会社の営業職、MRとして働いている。仕事は有能で速く、職場や取引先からの信頼も厚い。28歳でチームリーダーに抜擢され多忙な日々を過ごすメイには、1人暮らしの部屋で家事をする余裕がない。そもそも家事が苦手で、部屋は散らかり放題。料理も苦手だ。
そんな姉の生活を心配し、家事代行サービスの会社で働く、妹の唯(趣里)が送り込んだ家政夫が鴫野ナギサ(大森南朋)だ。メイは、完璧な家事に加えて仕事の相談にまでのってくれるナギサのおかげで、ますます仕事に精を出す。ライバル会社の有能なMR、田所優太(瀬戸康史)から告白もされる。
田所が告白したのは、メイと急接近していたことによる。やがて、田所がメイと同じく家事が苦手と判明。メイが彼を選べなかったのは、散らかった部屋が象徴する2人の同質性のためだったと思われる。
ナギサにメイの担当から外れる、と異動の報告を受けたメイは、勢いでナギサにプロポーズし、2人は結ばれる。結婚したメイは、家事に全く手を出さず、夫婦ゲンカの結果、自分の身の回りで発生する「名前のない家事」だけは参加することになる――。
パートナーと自分は違うタイプ?
さて、周りのカップル、あるいは同居するパートナーについて、改めて考えて欲しい。一緒に人生を歩んでいけるパートナーは、自分とは異なるタイプではないだろうか?
タイプの違いは、いろいろな場面で表れるが、もっとも鮮明に表れるのが家事回りである。私の周りの例を紹介しよう。男性の知り合いが以前、「奥さんがいろいろモノを散らかしていくので、ぼくがその後ろで拾い集めています」と言っていた。また最近、「夫は洗い物が得意なのに、料理はものすごく時間がかかるので、私がやっています」と話す若い女性にも出会った。料理上手な友人の夫が、食べることにあまり関心がない、という話も聞く。
わが家でも、夫は掃除をマメにし特に水回りを念入りに掃除するが、私は掃除が雑だ。しかし、料理のレパートリーは私のほうが多い。夫は片づけが苦手で、私は整理整頓が得意なほうだ。
こうした例は、マンガにもよく出てくる。家事ができても、共同生活を始める、あるいは片方の部屋に相手がしょっちゅう入り浸るようになると、やらなくなる人がいる。人気マンガの『きのう何食べた?』(よしながふみ、講談社)では、彼女ができて、家に来るようになると、自分では料理しなくなる男性が登場した。
30~40年前はマンガなどで、恋人の家にせっせと通って家事をする女性が、当たり前のように描かれていた。彼氏ができると弁当をつくる、お菓子を差し入れする高校生も、少女マンガの定番だった。彼氏の胃袋を掴む料理が、よく女性誌でも紹介されていた。
2000年代に一世を風靡した少女マンガ『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子、講談社)では、家事能力がない主人公ののだめと、家事も仕事もできる恋人の千秋が半同居生活を送っていた。2人が接近するきっかけも、のだめの部屋を千秋が片づけ、料理を食べさせたことだった。
人は欠点を補い合って生きている
タイプの違いは、ケンカの原因になる。得意不得意だけでなく、どちらかが大切にしているポイントを片方が理解できない場合もある。
『私の家政夫ナギサさん』のメイとナギサは、9月8日放送のスペシャル版では、「靴下は裏返したまま洗濯に出さないでください」「弁当箱は洗い物をする前に出してください」「ペットボトルは、一度洗ってパッケージを剥がしてからゴミ袋へ」「エアコンは出かける前に切ってください」、とメイがナギサに叱られてケンカになった。
現実には、この2人の逆で、夫の家事能力の低さを嘆く女性たちの話を聞くことが、ときどきある。それは例えば、洗濯物のシワを伸ばそうとしないまま干してしまう、調理道具を所定の場所に戻さないといったものだ。
同じタイプなら相手を理解しやすく、衝突も少なさそうだ。『私の家政夫ナギサさん』でも田所は、「家事をアウトソーシングして2人とも仕事を中心に暮らす手もある」とメイに提案していた。それでもメイが田所ではなく、ナギサを選んだのはなぜだろうか。
人は自分にない発想や行動を、ほかの人がしたときに感動することがある。相手の思わぬ言動を見て恋に落ちる人は多い。相手に思いがけない側面があるからこそ、長い同居生活を刺激のある楽しいものにすることができる。そして、自分にはない発想、自分にはない行動をする相手と、欠点を補い合い助け合って生きていく。
家事をフィフティフィフティに分担することは、必ずしもベストな選択ではないのかもしれない。もちろん、片方が疲弊するほど負担が大きい場合は、解決の道を探る必要がある。しかし、1人の家事の負担が大きくても、他の側面で家事負担の少ない方が別の何かで補っていれば、カップルの公平性は保たれるのではないか。経済的な負担を多く背負うことも、その方法の一つだ。グチや悩みごとを聞くなど会話で相手の癒しになる、支えになることもできるだろう。子どもなどほかの家族のめんどうをよくみるのも、その一つだ。知識や交友関係、趣味などで視野を広げてくれる相手でもいい。助け合う方法はいくらでもある。
人生にはいろいろな局面があり、苦しいことはいくらでもある。そんなときに支え合える相手であることが、家事シェア以前に大切なことではないだろうか。
(編集:榊原すずみ)