こんなにも身近に感じている存在を死によって失った経験がなかった。だから、「49日」なんて人生で初めて意識した。
「49日って、何だっけ」。
恥ずかしながら、自分が常識として記憶していた意味が正しいものだったかどうか自信がなく、こっそりググったくらいだ。
俳優・三浦春馬が死去して49日が過ぎた2020年9月初旬。彼の魂はもうこの世にはないとされるその時期になってはじめて、私はある映像を再生することができた。
8月26日、彼が歌手としてリリースした楽曲「Night Diver」の制作風景を収めたDVDである。
そこには、私のずっと信じていた彼がいた。
丁寧で穏やかな物腰を保ちながら、「こう表現したい」という意志は明確に主張する。誰の言葉にも真摯に耳を傾け、ひときわ元気な声で「お願いします!」などと挨拶する姿からは、よい作品を生み出す場づくりの責任は自分が負うのだという強い信念が伝わってくる。
新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、制作は進められた様子だった。彼はマスクを外してインタビューに応じ「仕事できるってほんとありがたいね」と言っていた。
「(歌手としては)新人だよ」と顔をしわくちゃにして笑ったり、スタッフから「いつか全国ドームツアーを」と振られてパチパチ瞬きしたり。「景色見たいですね」と希望も語っていた。
観ながら、なぜ自分の目から涙がとめどなく溢れているのかを考えた。
もちろん、彼の誠実で溌剌としたこの仕事姿の先にあるはずだった未来が、今はもう望むべくもないのだということに対する悔しさや悲しさはあるだろう。ここで語られた希望の全ては、もう実現しない。
でも、何より「ホッとした」という感覚があった。
自分が信じてきた「三浦春馬」は嘘ではなかった。
彼は情熱と夢を抱いて仕事をしていた。
私をホッとさせたのは、そんな発見だった。
ここまで書けば分かる通り、私は三浦春馬という俳優を「推す」者の一人だ。なぜ私は、「ずっと信じていた」はずの彼を、映像で「再確認」してホッとしてしまったのか。
自死という事実それ自体がもたらした衝撃は大きいだろう。
だがそれ以上に、過熱する報道や、そういう報道を欲しがる世の中の好奇の目が憎かった。
それらは、彼や彼を愛する人たちの誇りを傷つけて余りあった。
「ウソの笑顔」
週刊誌の吊り広告にデカデカと印刷されたその言葉が体に突き刺さったのは、8月初め、際限なく沈んでいく気持ちを紛らわせたくて乗り込んだ電車内でのことだった。
「ウソ」。それは彼の笑顔を信じ愛している人たちを、最も的確に傷つける言葉だ。
だからこそ、注意をひきつけるのに打ってつけでもある。
記事はあくまで取材に基づいて書かれたものだ。しかし、断片的な「事実」がつぎはぎされ、三浦春馬は不幸せだったという残酷な物語を奏でる。
記者は「仕事」をしただけで、特段の悪意はないだろう。
◇
「憶測だ」「プライベートを暴露している」とこうした記事はよく批判を浴びる。
センセーショナルな見出しを使わないこと、手段や場所の詳細を明確に示さないことなどを定めたWHO(世界保健機関)の報道ガイドラインに照らせば、週刊誌だけでなくテレビ局による初報にも大いに問題があった。
WHOのガイドラインは、あくまで自殺の連鎖を防ぐことが目的だ。
だが今回、直接的な関係者ではないにせよ、主観的には彼の存在をまるで「身内」のように感じていた者として、本人も報じられることを望んでいないだろう死の詳細が生々しくさらされることそれ自体のおぞましさに身を切られる思いだった。
彼の大好きだったところを思い出したいのに、「その場面」ばかりが頭に浮かぶ。報道の影響で、何日も眠れない夜を過ごしたのは私だけではないだろう。
だが、その「おぞましいもの」は、あくまで世間の多くの人が求めるからこそ存在し得ている部分がある。
事実、インターネット上にアップされている彼の動画のコメント欄やTwitterなどには、ゴシップメディアの書くことと大差ないか、それ以上に醜悪な書き込みも目立った。
彼が残した演技や作品をまっすぐに受け取るのではなく、表情や言葉の端々から「死に至る影」ばかりを探そうとする。
不確かな情報を基に彼と親しくしていた人たちを糾弾する投稿も、残念ながら後を絶たない。
◇
「才能豊かで美しい人気俳優が、実は“かわいそうな人”だった」。
そんなみじめな物語の中に本人を閉じ込めて心を痛めない人々がいる。
そういう人々にとって、私などには陳腐で短絡的にしか思えないその「物語」は魅力的なのだろう。
野次馬根性というほど生き生きした気持ちではなくても、そういう「物語」にすべてを回収させ、時には「“かわいそうな人”にした犯人」を決め打って攻撃することで、突然の悲報に混乱する自分の心が救われる感覚を得られる場合もあるのだろう。
私は、彼を推す者の一人でしかなくて、彼の尊厳を傷つける全てのおぞましいものを根絶やしにする力がない。
悔しさしかない。
だからせめて、自分にできる最大限の抵抗として、そうではないほうの、自分自身が信じていたほうの彼のことを、語り続けていきたいと思う。
俳優としての彼を一言で表現しろと無茶振りされたなら、私は「意志のある俳優」と答える。
私が完全に「沼にハマった」と自覚したのは演劇『地獄のオルフェウス』(2015年)を観たときのことだ。
だが、彼の存在が気になり、活動を追いかけるようになったのはその少し前、ヒットドラマ『ラスト・シンデレラ』(フジテレビ系、2013年)だった。
作中であまり笑えない恋愛川柳が挿入されるなどして、ラブコメディ作品としての質については個人的に思うところもあるのだが、彼が演じた佐伯広斗の魅力は凄まじかった。
とある事情で15歳年上のヒロインにハニートラップを仕掛けるが、だんだん本当に恋に落ちてしまうという役どころ。その表現の繊細さはコメディにはもったいないくらいだった。
色っぽく見えるように工夫された首筋の角度、口元に近づける指先のニュアンス。心がない序盤の笑顔と、ヒロインに惹かれるにつれてのぞき始める満ち足りた笑顔との演じ分け。
ヒロインに脱げた靴(正確には、泥酔したヒロインが脱いで投げ捨てた靴だが)を履かせようと王子様風にひざまずく場面も、なぜか異常に自然だった。
微笑んで、ちょっとラフな感じで片脚を後ろに引く。現実には有り得ない行動なのに、観る側を気恥ずかしい気持ちにさせない。
「佐伯広斗ならやるかもしれない」リアルな仕草に味付けされていたからだ。生まれ持った容姿の美しさだけで、「イケメン」は表現できない。視聴者を夢中にさせたのは、彼の技術と本気だった。
その後、自ら企画提案し、難病ALS(筋委縮性側索硬化症)の患者役に挑んだドラマ『僕のいた時間』(フジテレビ系、2014年)や、ミュージカル『キンキーブーツ』(初演2016年、再演2019年)など舞台作品でも高い評価を得た。
誉め言葉として「ただのイケメン俳優ではなくなった」などという評もよく耳に入ってきた。だが、彼の「沼」に落ちて以降、過去の仕事の数々もさかのぼって追ってきた私から言わせてもらえば、彼が「ただのイケメン俳優」だったことなど、一度もなかった。
◇
「こういう風に見せたい」「自分はこう解釈した」……。彼の所作や表情からは、演じている役柄の感情と一緒に、そんな「三浦春馬」としての強い意志が伝わってきた。
テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカル、コンサート……彼はどんな場所でも、その才能と努力で自分自身を「スター」にした。
◇
スターには「華」が不可欠だ。「華」と言われるものの核にあるのは、つまるところ演者の「意志」だと思う。
数年前、私がバレエ雑誌の編集者をしていた頃のこと。世界的ダンサーの首藤康之に「舞台を観るとき、演者のどこに注目するか」と聞いたら、間髪入れずに「目」だと答えた。
「何をどう表現したいのか」という意志がこもって初めて、一つひとつの動きは意味を持ち、研ぎ澄まされ、無限に拡張する。
それは、バレエ以外の舞台芸術にも共通すると思っている。
劇場という空間では、映像作品より自由に、観客が視線を設定できる。
容姿などの条件に恵まれていても、板の上で動くと輪郭がぼんやりして美しく見えない演者はいるし、逆に目立つ役柄ではないはずなのに、短時間で鮮烈な印象を残す演者もいる。
その、一切ごまかしの利かない空間で、三浦春馬のスター性は一層際立った。
ドラァグクイーンのローラを演じ、自身の代表作とした『キンキーブーツ』。「Just be! なりなさい 自分がなりたい人に」――。
作品のメッセージを全身で伝えきろうとするその姿は、光を発していた。
それは、視線を釘付けにして離さない強烈さと同時に、この世界に潜む偏見や抑圧を残らず溶かしてしまえそうな、温かさに満ちた光だった。
自死に至った彼の中の苦しみを、なかったことにするつもりはない。
競争の激しい芸能界に幼少期から身を置き、常に新しい表現領域に挑むなかで闘ってきた困難や重圧は、はかりしれない。
きっと、私たちの知らないところで孤独な夜を過ごしたことがあっただろう。
週刊誌が報じる通り、泣きたい気持ちのときに笑ったことだって、あったのだろう。
でも、あの光はほんとうだった。
2019年公演時のパンフレットに「『キンキーブーツ』は夢であり目標」「再演を続けて2年か3年に一度、『夢をつかみたい』と思う自分を見つめ返せる場所になったらいい」とメッセージを寄せていた彼。
彼自身が、「届けたい」というありったけの意志を込めない限り、あの舞台をつくり上げることはできなかった。
キンキーブーツ日本版のインスタグラムには今でも、2019年公演大千秋楽のカーテンコールの様子を映した動画が残されている。
割れんばかりの拍手と歓声に応える彼は、やっぱり光に包まれている。
ウソじゃない笑顔を、私たちはたくさん受け取った。
彼の見せてくれる景色はいつでも、私一人の力で辿り着けるそれより圧倒的に美しかった。
生前、一度だけドラマ『TWO WEEKS』(フジテレビ系、2019年)主演時に取材させてもらった。
撮影の合間を縫ってスケジュール調整するため、与えられたのは20分。
当時の取材音声を聞き直してみたら、演技論や役作りに関して突っ込んだ質問をするほど、ゆっくり、考え込みながら語る彼がいた。
超、マイペース。
言葉は、その演技ほどには巧みではない。
遠くから推す者として見知っていたその一面に、取材記者として翻弄される私がいて苦笑した。
でも同時に、「うん、うん」「へぇ」と初対面の記者の言葉を丁寧に受け止め、用意した言葉ではなくその場で生まれた言葉で語ろうとするさまは、やはり「信じていた三浦春馬」だった。
そんな彼の言葉を、もっとじっくり聞く機会が欲しかった。
叶わなかった、という事実を受け止められない。
でも、彼の意志は、残した作品の一つひとつに宿っている、と自分に言い聞かせている。
何度でも見返そう。
かっこよくて凄まじくて、可愛かった彼のことを語り続けよう。
三浦春馬が「見せたかった三浦春馬」に喝采を送ろう。
そうすることで、ファン一人ひとりにとっても、エンターテインメント界にとっても大き過ぎた彼の存在を、私たちは失わずにいられるのだろうと思う。
(取材・文:加藤藍子@aikowork521 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko)