第一次安倍内閣、どう「終わった」か覚えてる? 突然の辞任表明、当時を振り返る

当時、臨時代理は置きませんでした。突然の辞任から次期総理大臣の選出まで、2007年の退陣を振り返ります。
Yuriko Nakao / reuters

安倍晋三首相が8月28日、辞任の意向を表明した。世耕弘成・参院幹事長によると「前のように突然辞任して迷惑をかけることがあってはいけないから辞任の意向を固めた」という。

約1年続いた第一次安倍内閣は、臨時国会で所信表明演説をした直後、突然の辞任表明で幕を閉じた。2007年当時の辞任表明はどのように行われたのか、振り返る。

不祥事続いた第一次安倍内閣

第一次安倍内閣は、2006年9月26日に発足。小泉純一郎元首相の任期満了に伴い行われた自民党総裁選で、麻生太郎氏、谷垣禎一氏を大差で破り、初の戦後生まれの首相として就任した。政策には「美しい国」づくりを掲げた。

2006年9月26日に発足した第一次安倍内閣。
2006年9月26日に発足した第一次安倍内閣。
時事通信社

発足直後は高い支持率を得たが、閣僚らの「政治とカネ」をめぐる不祥事や辞任が相次いだ。持ち主不明の年金記録が約5100万件あることが発覚し、いわゆる「年金記録問題」も社会問題となった。

2007年7月の参院選では自民党が惨敗。安倍首相は続投し、8月27日に改造内閣で再起をかけたが、その後も農業共済組合の補助金不正受給問題で当時の遠藤武彦農水相が辞任するなどの不祥事が続いた。

第一次安倍内閣 突然の辞任表明の経緯

安倍首相が突然の辞任を発表したのは、2007年9月12日。

その2日前の9月10日には、臨時国会で所信表明演説を行い続投の意向を示しており、突然の辞任表明に政界は驚きに包まれた。

2007年9月12日、辞任を表明した安倍晋三首相(当時)
2007年9月12日、辞任を表明した安倍晋三首相(当時)
TORU YAMANAKA via Getty Images

 辞任を表明した記者会見では、テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動を続けるため、「私が辞することによって局面を転換した方がよいだろうと判断した」と辞任理由を説明している。(2007年9月13日朝日新聞朝刊より)

noboru hashimoto via Getty Images

翌日に入院、その後記者会見で謝罪

その翌13日に、首相は東京・慶応大学病院に入院した。その後、24日夕方には院内で記者会見を開き、突然の辞任を謝罪、自身の体調について説明した。

会見する安倍晋三氏
会見する安倍晋三氏
時事通信社

会見では、「この1カ月間、体調は悪化し続け、ついに自らの意思を貫いていくための基礎となる体力に限界を感じるに至りました」と説明。「もはや、このままでは総理としての責任を全うし続けることはできないと決断し、辞任表明に至りました」と理由を述べた。

担当医師団は、強度のストレスと疲労による「機能性胃腸症」と診断したという。

慶応大学病院で会見する当時の安倍首相
慶応大学病院で会見する当時の安倍首相
KOJI SASAHARA via Getty Images

臨時代理は置かず 自民党総裁選で福田康夫氏が選出

辞任表明後、臨時代理は置かず、入院中も首相の職務を行なっていた。

その理由について安倍首相は、「法律にのっとって、職務にどの程度支障を来すかどうかという判断の上に、今回は臨時代理を置かなかったということになりました」説明している

9月23日に自民党総裁選が行われ、福田康夫元官房長官(当時)が麻生太郎幹事長(当時)を破り新総裁に選ばれた。

安倍首相は24日の会見で、「自民党両院議員総会において選出された福田康夫新総裁に対し、心よりお祝いを申し上げます。私は、明日で内閣総理大臣の職を辞することになりますが、新たな総理の下で国民のための政策が力強く進められるものと信じております」と語っている。

9月26日に福田内閣が発足した。

9月23日、自民党の次期総裁に、福田康夫氏が選出された。
9月23日、自民党の次期総裁に、福田康夫氏が選出された。
Issei Kato / reuters

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