中国の強気な外交が止まらない。
ファーウェイ問題などでアメリカと正面から対立し、南シナ海には弾道ミサイルを発射。世界のあらゆる方面へ強硬姿勢を見せている。
その象徴が6月末に施行された香港の国家安全維持法だ。アメリカはもちろん、経済的な利益を優先してきた欧州も強く反発したが「内政干渉だ」として一顧だにしない。
国際社会での中国への警戒感は高まる一方だ。彼ら自身にとっても大きな代償を払う外交の理由は何か。専門家は、中国が「ウソを本当に変えるため」ブレーキを踏むことができないと指摘する。
■中国外交は「戦狼」と呼ばれるように
6月30日深夜に施行された「国家安全維持法」は国際社会から批判を浴びた。政権への分裂や転覆、それに外国勢力との結託などを違法とするものだが、具体的にどの行為を指すかが曖昧との指摘がある。
中国大陸とは異なる法体系を維持し、公正な裁判を受けられる司法制度がある香港だが、この法律によって形骸化する懸念も大きい。
アメリカのトランプ大統領は免税などの優遇措置を廃止する大統領令に署名したほか、香港政府高官のアメリカ国内の資産を凍結するなどの制裁を科した。
さらにイギリスやカナダなども、香港との犯罪人の引き渡し協定を停止した。
中国は、こうした一連の措置にも強硬姿勢を崩していない。海外からの抗議の声は「内政干渉」とはねのけ、制裁には制裁で応じる「戦狼(せんろう)外交」を徹底している。「戦狼」は人民解放軍特殊部隊出身の主人公が活躍するアクション映画のタイトルが由来だ。
香港政府は国家安全法を大胆に「活用」している。施行されてすぐに「香港独立」と書かれた旗を持つ男性を逮捕したほか、民主派の予備選(選挙に立候補する人を事前に絞り込む取り組み)には法律を盾に警告。
中国政府に批判的なメディアの創設者・黎智英(ジミー・ライ)さんや民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)さんも逮捕された。周庭さんは日本での知名度が特に高く、SNSでは抗議の声が多く上がった。
■フェイクに近いフィクションを現実に
「想像以上にスピーディーだ」国家安全法施行からの政府の動きについて、香港政治に詳しい立教大学の倉田徹教授はこのように振り返る。
「非常に極端な法律で、運用次第であらゆる反政府的な言動が罪になります。ある意味核兵器的なもので、作るだけ作って抑止に使い、実際には適用しないということもありうると薄々思っていました」
予想を裏切る形で逮捕者は続出している。倉田教授はこの逮捕の意味合いが徐々に変わってきたと指摘する。
「7月1日の逮捕者(香港独立の旗を持っていた男性)と8月の黎智英さんや周庭さんの逮捕はニュアンスが違います。前者は現行犯逮捕のような形だが、後者は捜査を積み重ねせて逮捕しています。しかも2人は著名な活動家で、民主派にとって主要な人物です。おそらく国安法の目的は、このようにリーダーを叩くことだったのではないでしょうか」
国際的な影響力を持つ民主派の人物を逮捕すれば、それだけ逆風は強まる。それでも逮捕に踏み切る理由が中国政府にはあるという。
「2019年に起きたデモにリーダーが存在しないことは、香港の人たちは皆知っています。しかし、中国政府は大陸の人たちにずっと違う説明を続けてきた。
“デモには明確なリーダーが存在し、さらにアメリカとつながって操られている。そして共産党政権を倒そうとしている”というものです。そのストーリーに合わせる形で、リーダーを叩く必要が出てきたのではと思います」
まさに、フィクションをノンフィクションに変えてしまうような話だ。
「そういうことだと思います。去年の区議会議員選挙でも議席の85%を民主派がとった。香港市民の多数派がデモを支持しているのが事実だと思いますが、中国政府は認めるわけにはいかない。自分たちのフェイクに近いフィクションを現実にするためにやっていると思います」
■中国が怒りで包まれた李文亮事件
倉田教授は、中国には“力強く、毅然と対応する姿”をアピールする必要もあると分析している。
「多くの場合、対外的に強硬になるのは内政問題を覆い隠す必要がある時です。国内が危機に陥ると、指導者は対外危機を強調して国をまとめようとします。トランプさんもそういう側面がありますよね。
中国の“戦狼”が顕著になったのはコロナの後ですが、感染が発覚した1月には隠蔽工作のために李文亮という医師が犠牲になり、中国のネットでも言論の自由が大事だというムーブメントが起きました。
経済では第一四半期は-6.8%という前代未聞の成長率に陥った。当然犯人探しが始まります。そうすると“欧米諸国が敵対的だ”と国民の視線をそらす必要が出てくると思います」
■トランプにとっても好材料
中国政府が外に敵を作る必要があるという仮説だが、本当にその必要があるかは疑問だ。中国はコロナの初動対応を誤ったとの批判もあるが、その後は抑え込みに成功。経済成長率も持ち直してきた。なにより、習近平・国家主席には目立った政敵が見当たらない。
「現時点では、明らかに習近平一強に見えるが...」と前置きしつつ、倉田教授は話す。
「中南海(共産党指導部)で何が起きているかは推測するしかありませんが、習近平自身が正念場を迎えているのではないでしょうか。2021年は共産党結党100年の節目。経済成長目標を達成しなくてはならないのに、そのシナリオが崩れている。加えて2022年には習近平の2期目が終わります。(任期を)続けることは可能でも、前例を大きく変えることになり、留任する大義名分を内外に示す必要がある。習近平をよく思わない人からすれば、引き摺り下ろすチャンスだと考える。北京の内部は緊張を迎えるタイミングではないか」
この仮説通りならば、北京は今後、香港問題で何かしらの譲歩をする可能性は低い。気がかりなのが香港人のアイデンティティだ。
かつては自らを「香港に暮らす中国人」と考える人も多かったが、ここ数年「香港人 (HongKongers)」という意識が台頭。中国政府に対抗する原動力の一つになっている。
民主派の活動が禁じられ、メディアの自己規制が進み、学校教育にも中国政府の意思が浸透した場合、こうした意識は消えていくのだろうか。
「これはなかなか予測が難しい。今、香港人意識がここまで高まったことは、中国返還以前には予想されていませんでした。少なくとも10年ちょっと前までは想像がつかなかった、と言った方が正確かもしれません。
次の世代が国安法下のメディアや教育環境で育ち“中国の香港”を既成事実として受け入れる可能性はあります。一方で、ここまで香港人のアイデンティティが強まっていると、メディアや教育が変わっても簡単に滅びることはない。むしろ抵抗を強める可能性もあります」
中国政府とすれば、自らの首を締め付けながら「強い中国」を演じる時間が続く。敵役アメリカとの対立は深まる一方。ブレーキをかけられる日は来るのか。
「中国の外交は決して順調ではありません。欧米諸国では反中感情を高める効果を生むなど、かなりコストが高いのです。また攻撃的であるがゆえに、欧米諸国からしても挑発しやすい相手になっています。トランプ大統領から見ても選挙を戦う上でのカードとなり、お互いに政治的な意図を持ってどんどん環境を悪化させる方向に慣性が向いています。
どこかで中国が冷静さを取り戻して穏健な方向に行くのかどうか。そうでなければ、今後1年くらいで制裁合戦が相当程度お互いの経済に傷をつけてしまう。だんだん心配になっています」