「男だというだけで責められるのか」「自分より恵まれた立場にある女だっている」――。性差別について話すとき、しばしばこんな反発がある。もちろん、ジェンダー以外のアイデンティティーによって弱い立場に置かれている人は存在する。けれど、現前する性差別を、強い言葉で「そんなものはない」と否定できてしまう人の多くには、共通する特徴がある。それは「知ろうとする気がない」ことだ。
弁護士の太田啓子さんが2020年8月24日に上梓する1冊には、性差別について考えるために、男性たちに最低限知っておいてほしい情報がまとめられている。
タイトルは、『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』(大月書店)。日常に潜むジェンダーバイアスが「呪い」として働くメカニズム、セクハラ・性暴力の基礎知識、広告などメディアの表現が度々問題視される理由――。全6章、260ページ以上にわたり執筆した理由を、太田さんは「男性たちと一緒に社会を変えていきたいからだ」と語る。
太田さんといえば、日頃からSNS上で性差別に関して積極的に発信している印象を持つ人も多いだろう。なぜ今、「本」を書いたのか。そして、メッセージを送る相手として「男の子たち」を選んだ理由とは――。
――太田さんご自身は、そもそもどのようなきっかけでジェンダーに関心を持つようになったのでしょうか。
何か一つ、決定的な出来事があったというわけではありません。私にとって、性差別や性暴力は身近で日常的な問題でした。
例えば、外出先で見知らぬ男性に後をつけられて怖い思いをしたことがあります。エスカレーターに乗っていたら、反対側にいた男性が突然、すれ違いざまに手を握ろうとしてきたこともありました。気持ち悪くてエスカレーターを駆け降りたときの恐怖と不快感は、今でも自分の中から消すことができません。
小学生の頃、体育の授業で女子生徒だけがブルマを履かされたり、プールの授業で水着に着替える時でさえ、男女同室での着替えが当然だったのもすごく嫌でした。嫌悪感を明確に言語化できたのは、数年経って大学生になってジェンダーについて学ぶなどした後のことですが、「自分自身の安全や権利が尊重されていない」という感覚がありました。そんな経験が少しずつ積もっていき、現在の問題意識につながっていると思います。
――直接的な性暴力を、多くの女性たちが経験しています。一方で、「女性らしくあれ」「男性らしくあれ」という抑圧的なジェンダーバイアスも、日常のコミュニケーションの中に深く入り込んでいます。ジェンダーに関心がない人からすると「何がいけないの?」と疑問を持たれがちなメディアの表現などについても、本書では丁寧に説明されていますね。
本で取り上げた一例ですが、少し前に『おしゃカワ! ビューティー大じてん』(成美堂出版)という、小学生女子向けのファッション指南書がTwitterで話題になりました。「ボクたちこんな女の子が好き トップ5」「これでカンペキ! モテしぐさ12連発」など、おしゃれするのは男子にモテるためである、という価値観で貫かれた内容が批判を浴びたのです。
ただ、性差別構造が根強い社会では、女性が男性の機嫌を取るような振る舞いをすることで、短期的には「うまくやれる」こともあります。だから「何がいけないの?」という反応も出てくるのだと思う。私自身、学生時代は、いわゆる「男ウケ」するような振る舞いでモテている女子を「うらやましいな」と感じることもありました。
ただ、それでもジェンダーや性差別の問題について学び、知識を獲得することが、プラスの力になると考えているからこそ、この本を書きました。
というのも、私は弁護士として、離婚事件を担当することが多いんです。その中で感じるのは、マクロの性差別構造が、ミクロの夫婦間関係に大きな影響を及ぼしていること。DV(家庭内暴力)の問題などはまさにそうです。例えば「女性は男性を立てるべきだ」という言葉は、それ単体では「いちいち目くじらを立てて批判しなくてもいいではないか」と考える人もいるかもしれません。でも、社会にあるそういう性差別的価値観を個人が内面化した結果として、妻が夫に対して従属的な立場に追い込まれるケースも少なくないと感じるのです。
自分を守るためにも、他の誰かを傷つけないためにも、子どもの頃からジェンダーの知識を身に付けてほしい。すぐに何かを変えることができなかったとしても、自分や社会の中に存在するバイアスに気付いたり、それに対してどう向き合っていったらいいかを考えたりするきっかけにはなると思うからです。
――今回、「男の子たちへ」と題して執筆した理由が気になりました。同じ女性に「声を上げよう」と呼びかけるのでも、男性に対して「特権を自覚しろ」と迫るのでもない。
私自身が、2人の息子を育てる母親であることが大きいです。私は3姉妹の長女に生まれ、学校でも比較的女の子が多い環境で育ちました。母親になって初めて、子どもが「どのようにして『男の子』になっていくのか」ということに直面しています。これまで「女の子だから」「男の子だから」という理由で扱いを変えるべきではない、と考えてきましたが、社会は驚くほど性別によって「違う扱い」をしてくるのです。
その「違い」の根っこをたどれば、性差別に行き着きます。男の子たち自身にも、そして周囲の大人たちにも、まずそのことに気付いてほしい。
――泣いている息子さんを、周囲の大人が「男の子でしょ!」と言いながらあやし始めてギクッとした体験や、男の子が友達に対して乱暴なことをしていても「少々のヤンチャは仕方ない」と見逃されがちな実情など、育児の「男子あるある」もたくさん紹介されています。
「男は泣くな」と言われ続けることで感情表現が苦手になったり、本来暴力にあたる行為でも「やんちゃでほほえましいイタズラ」として肯定されることで、悪気がなければ相手が嫌がることをしてもいいのだというふうに認知が歪んでしまったりすることってあると思うんです。それを放っておけば、自分の息子が将来、性暴力やセクハラの加害者になることだってあり得る、という危機感があります。親はもちろん、身近な友達や保育園の先生、メディアなどの影響はとても大きい。
私は女性であり、自分が「男の子であった経験」はないので、男の子の目線から見ると世の中がどう見えているのか、手に取るように理解することはできません。長男は、私が日ごろからジェンダーへの関心が高いことを知っているので、性差別的なメッセージを含むテレビCMなどを見かけると「お母さん、これおかしいよね!」と言ってくることがあります。でも、本当に理解しているのか、私に褒められたいがためのアピールなのか……分からない部分もあります(笑)。
ただ、確かなことは、大人が情報や視点を提供することで、家庭の中でジェンダーにまつわる問題について会話ができるようになるということです。思春期を迎えると親子のコミュニケーションのあり方も変わるので、課題も出てくるとは思いますが……。
――子どもとのコミュニケーションの仕方で、気を付けている点はありますか。
性差別について話すとして、その相手が「実際に女性を加害する言動をしている成人男性」である場合、女性である私は「マイノリティー」の立場から発言することになります。一方、相手が子どもである場合、関係性は変わりますよね。
例えば、子どもが読んでいた漫画に問題のある描写が含まれていたとしても、子どもに責任があるわけではありません。でも、子どもは単純だから、母親が怒っている顔を見たら「自分が怒られている」と感じてしまう可能性もある。決してそうではなく、怒っているのはそういう描写をする大人に対してであること、その漫画の全てを否定しているわけではないのだということは、丁寧に説明するようにしています。
今回の本の読者として念頭に置いているのは、まず親や教師など、育児に関わる大人たちです。また、中高生ぐらいになれば、男の子たちが自分自身で読んで、考えてみることができるくらい、易しい言葉で書いたつもりです。本をきっかけにして、社会のさまざまな場所で、会話が生まれていったらいいなと考えているんです。
――「差別はよくない」という認識自体は多くの人が共有している前提だとは思うのですが、現実の問題と向き合っていく際には、ケース・バイ・ケースで丁寧に議論を積み重ねる必要も出てくる。性差別に関する話題はTwitter上でもよく注目を浴びますが、なかなかそういう雰囲気が醸成されにくい現状にありますね。
そもそも、私一人で答えを出せるような問題ではないことも多いのですが、ネット上では感情的な応酬に発展していきがちで、もどかしい思いはあります。
ただ、今回「男の子たちへ」と題した本を出版するとTwitterで発表したところ、これまでには経験しなかったような好意的な反応が多かったんです。「こんな本を待っていた」など、女性だけでなく、男性からもポジティブな反響があった。みんな、本当はもっとジェンダーについて語りたいんだなと実感しましたね。
意外に感じられるかもしれませんが、実はこの本、担当編集者も、装画・挿画を担当したイラストレーターも男性なんです。女性たちだけで作った本ではない。
これはちょっとした提案ですが、この本を材料に「男性同士の読書会」などを開催する動きが生まれたらいいなと思っています。
職場や学校で、構造化されたジェンダーのステレオタイプから自由になろうとしても、個人の「勇気」だけでは難しい面もある。どうしたらいいのか、私がここで明確な答えを示すことはできませんが、みんなで良い方向へ進んでいくための方法は、おそらく一つではないんです。この本が、互いに知恵を出し合い、語り合いながらさまざまなアプローチを探っていくための「つながり」をつくるきっかけになれば嬉しいです。