あなたにとって、家族ってどんな存在ですか?
そう聞かれなら、みなさんはどう答えるだろう。
複雑な家庭環境で育ち、ブラック企業に就職し、自殺未遂。
その後も幾度か自殺未遂を繰り返し、生活保護を経験するも、現在はNPO法人で働きながら文筆家としても活躍している小林エリコさんは、私のその問いに「経済的に依存しあっている関係」と答えました。
「機能不全家族」から脱するまでを綴った『家族、捨ててもいいですか? 一緒に生きていく人は自分で決める』を上梓した小林エリコさんが考える“家族のカタチ”とは。
父親には向いてなかった人
――お酒を飲んでお母さんと喧嘩になると、怒鳴り暴力を振るう。浮気を繰り返し、自分の遊ぶお金は十分に手元に置きながら、家にお金を入れない…。そんなお父さんを「憎い」と書きながら、本全体を読んでみると、かすかな愛情みたいなものも感じたのですが、小林さんの本当のお気持ちとしては、どちらなんでしょうか。
そうですね…、確かに憎んではいますよ。ただ、子どもの頃、家族の中で父が一番、私のことをかまってくれたんです。母は父からのDVに苦労していて私に無関心。冷たくされていて、遊んでもらった記憶もありません。兄はヤンキーになって家に寄り付かなくなっていましたし。
家族の中で父だけが、映画に連れて行ってくれたり、教育上いいかどうかは別として、日曜日になると競馬・競輪場に連れて行ってくれたり…。私は子どもの頃、いじめにあっていて友だちがあまりおらず、暇をもてあましていたので、遊んでもらって助かったなという記憶はあるんです。
いわゆる“一般の人たち”の親子関係が私にはわからないから想像がつかないんですけど、やっぱりどこかで、父のことを人間的に面白いと思っていて。映画をたくさん見ている人だったし、口を開けばおもしろいことも言う。
ただ「父親」という役割を演じるには、あまりよろしくなかったなと感じてはいます。父親には向いていなかった人なんでしょう。家族みんなを仲良くさせることも、経済的に安定させることもできなかったし、何より妻に暴力を振るうなんて、言語道断ですし。
そうそう成人式の時に母親が、「エリコ、あなたも着物着て写真撮りなさいよ」と言ったんです。着物ってすごい高いし、大丈夫かなと思って父に聞いたんです。そうしたら最初は「いいじゃないか、成人式写真撮れよ」というので「お金、何十万もかかるよ」と返したら、急に「じゃあ、やめろ」って。やっぱりそういうことを考えると父への感情は複雑になりますよね。
自分の子どもの成長とか将来よりも、自分の楽しみのためのお金を優先させるところが、父のクズたる由縁と私は思いますね。
――愛情を感じるような表現の一方で、クズと思っている側面もあるんですね。
例えば、自分の友だちの子どもが、当時の私と同じ目に遭っていたら、かわいそうで泣いちゃうなと思います。
父が家に帰ってきて、「なんだビールが冷えてないのか」と言ったら、まだ私が幼い頃は、お酒を売っている自動販売機があったので、小学生の子どもが夜の8時、9時に外に出て、商店街の自販機で冷えたビールを2本買うんですよ。そして、「これを飲んだらお父さん暴れるな」と思いながら家に帰るなんてことを、してる子どもがいたら……ね。
――そんな状態で、お母様はお父様との離婚を考えなかったんでしょうか?
私、母に一度聞かれたことがあるんです。「エリちゃん、お母さん、離婚していい?」って。涙目で、真剣に。でもそのとき、もしお父さんとお母さんが離婚したらこの家に住んでいられなくなるんじゃないかとか、学校はどうなるんだろうとかいろいろ考えたら怖くなってしまって、「いいよ」って言えなかったんですよね。
「離婚したら、嫌だ」と泣いてしまって。それから母は一度も離婚のことは言い出さなかったので、耐えて、生きていたんだと思います。
だた、これには後日談があって、その後いろいろあって、母と父は別居することになったんですけど、私の知らない間に離婚していたんですよ。パスポートをとるのに住民票を取り寄せたら、母の籍が抜けていて。それで、私、初めて、両親の離婚を知ったんですよ。そんなことって、あります?
まぁ、そういう意味でも、我が家は機能不全家族なわけです。
一時は共依存関係にあった母とは今
――子どもの頃は冷たかったという、お母さんとの関係は、現在どうですか?
子どもの頃は、本当に母は私のことを可愛くなかったというのは確実に思っていますね。かわいがられた記憶はありません。
すごくよく覚えているのが、小学校低学年の時に母と一緒に絵を描いていて、私が子ども心に「お母さんの絵、へたくそ」といってしまって。でも、子どもの言うことですよ、まだ10歳にも満たないような。そうしたら母は激怒してしまって、何度も何度も「ごめんなさい」と平謝りをしたんですよね。
今、友人の子どもなど、自分が子どもと接する機会を持つようになって当時を振り返ってみると、もし自分が母の立場だったら、それぐらいの年齢の子どもが「へたくそ」っていったぐらいでは怒らないと思います。
母には結構、叩かれたりもしたし。逆に褒められたことも一切なかったですね。
そんな母と私ですが、私が21歳で自殺未遂をしたときに、共依存というか、私が生きていくためにできることはすべて母がやり、私はそれに頼って自分で生きていく力を失っていくという関係に陥ったことがありました。
ただ、その後、 実家を出て物理的な距離をとったこと、そして私は働くことによって自分に自信がつき、人間対人間として向き合えるようになったというか、それまでは母より下の人間だったけれど、ようやく同じ立ち位置に立っていると感じられるようになって、共依存関係も終わりを告げました。現在は適度な距離感で、一緒に旅行に行ったり、LINEをしたり、仲良くやっていますね。
――そんな子ども時代を過ごしながら、自分の家族と他の家族は少し違うのかもしれないと思ったりしたことはありましたか?
それはありましたね。小学校3年生か4年生のとき、学校の図工の時間に作った版画が県の展示で入賞したんです。しかも学校全体で1人か2人がもらえるようなすごい賞で、県の体育館の一番良いところに飾ってもらったんです。でも、うちの両親はそれを見にくることも、お祝いにくることもありませんでした。
私より下の賞、佳作をとった子が家族ぐるみできていて、一緒に写真をとっているのを見て、なんでウチは…と思いましたし。
一番びっくりしたのは、友だちの家に遊びにいくと、お父さんが夕方に帰ってくるんですよね。うちの父は会社から家に直帰してくることなんてなく、必ずどこかで飲んで、遅い時間にしか帰ってこなかったから。お父さんが夕方に帰ってくるのが普通だって知らなかった。
自分にとっての家族のイメージ
――本の帯文に「機能不全家族から脱し、自分の人生を切り拓いた」と書かれていますが、自分の中で「家族から脱したな」と感じたきっかけは、なんだったのでしょう?
家族と実質的に「距離」をとったというのはひとつのきっかけではありました。
ただ、私は高校生くらいの頃から精神科に通い始め、家族と一緒にいた時は鬱がひどく、睡眠もよくとれなかったんです。本当に一睡もできなくて、目を閉じても、睡眠薬を飲んでも眠れなかった。
だけど、家族と離れてみたら、睡眠薬をそんなにたくさん飲まなくても眠れる日が増えてきたり、抗うつ薬も減ってきたりしているんです。そういう部分で自分自身が変化していることからも、機能不全家族から自分は脱したんだなと感じますね。
――家族を家族たらしめているものには、コミュニケーションや互いを思いやったりなどといった要素があると思いますが…
え、そうなんですか?
思いやったりするものなんですか…。
私のイメージの中で、家族は「住居をともにしている関係」だけだったので。
そういうものなんですね。あとあるとしたら、「経済的に依存しあっている関係」だというイメージでしょうか。子どもは親に依存しないと生きていけないし、専業主婦だった母は父の経済力に依存しないと生きていけない。そんな家族でしたから、我が家は。
父が「誰のおかげで飯が食えているんだ」と言う姿を子どもの頃に何回も何回も見てきました。その言葉のイメージが強くて、家族=父の経済力のもとにつながっている関係、そして住居をともにしている関係としか思えないですね。
だから、経済的に依存している父のご機嫌をとらなきゃいけないと思って、父の背中を流したり、お父さんの靴を磨いたりしていましたもん。
――小林さんは今回の本の中で、自分の家族は「解散した」と書かれていますよね。「壊れた」とか「バラバラになった」ではなく。その意図は? 解散には、もう一度集まる、余白がある言葉だと思うのですが…。
そうですね…。でも、じぶんの中では「解散」という言葉がしっくりくるんですよね。
もう1回集まるということはさすがにないだろう、と思ってもいますし。
ただ「壊れた」とか「バラバラ」になったという言葉には、もともと強いつながりがあって、努力したけどだめだったニュアンスがあると思うんです。でも我が家の場合は、そんな強いつながりも、絆もなく、致し方なく集まっていただけなので、「解散」という言葉になったのかもしれませんね。
――ご自身の経験から、バラバラになったり、壊れてしまう家族にはどんな理由があると思いますか?
家庭内のパワーバランスが不均衡な状態がずっと続いていると、家族内に不満や憎悪がたまっていくんだと思います。
世間一般にとって多くの場合、家族は幸せの象徴なんだと思うんですけど、自分が生まれ育った家族は、ひとつの国家、父という大統領みたいな人がいて、その下に他の人がいて、はいはいと言ってお父さんの言うことに従うという感じが、すごくしていた。父にだけパワーが集中してしまっていたから、母親も兄も私も不満だったし、父を憎んでいたわけですから。
――小林さんにとって、理想の家族ってどんなものですか?
まわりの友達を見ていて、「わー、理想的な家庭だな」という家族にあまり出合ったことがないんですよね。だから、手で掴めないちょっと上の方にあって、みんなが理想としているんだけれど、現実世界には存在しない、それが理想の家族なのかもしれません。手に入らないから理想なんじゃないですかね。
『家族、捨ててもいいですか? 一緒に生きていく人は自分で決める』
小林エリコ著 大和書房刊 1500円+税