「手元にiPadがひとつあれば、テレビ番組ができちゃうなんてすごすぎる!」
新型コロナウイルスの影響で、テレビやラジオなど「芸能界」の人たちの働き方は大きく変わっています。タレントのLiLiCoさんも、その一人。外出自粛期間には、夫である「純烈」の小田井涼平との「王様のブランチ」“リモート共演”が話題にもなりました。
世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回のテーマは、いま考えたい「withコロナの働き方」です。
新型コロナウイルスによって、LiLiCoさんの働き方はどう変化したのでしょうか。リモートワークで見えた仕事についての新たな発見についても聞きました。
リモートであってもテレビらしさを追求
新型コロナウイルスの影響を受けて、多くの人の働き方が変化しましたよね。私も仕事の仕方がずいぶん変わりました。
最近まで スタジオで収録していたのは、ラジオ「ALL GOOD FRIDAY」(J-WAVE)と「ノンストップ!」(フジテレビ系)だけ。それ以外のテレビやラジオへの出演、メディアの取材などは、4月ごろからZoomなどを使ってリモートで対応するようになりました。
出演者の手元にiPadがひとつあれば、テレビ番組ができちゃうなんてすごすぎる!
あまりに画期的だったから、「絶対何かが変わる」と確信して、すぐにiPadと撮影用の大きな照明を通販で買いそろえました。
照明は、今年のベストバイになると思う。昼でも夜でも同じクオリティーの収録ができるのは大事。夜、天井の灯りで撮影すると顔に変な影ができたり、照明の種類によっては映像の色が変わったりしてしまう。これは見ている人にとって不自然でしょう?
リモート収録だからといって、いつものスタジオよりクオリティーが下がっていいわけじゃない。だから、背景にもこだわったんですよ。
研究のために、他の人のリモート出演を見ていると、背景は白壁やカーテンのことも多い。人に家の中を見られたくないという気持ちや、それぞれ家庭の事情もあると思うので、人は人! 私は私! 私の場合はやっぱりそれだと面白みに欠けると思ったんです。
テレビは、セットがあってこそ華やか。合成の背景なんて、テレビでは絶対に使いたくない。顔のまわりが不自然です。それならば、自分の家にも“セット”を作ろうと思ったんです。
もともと好きな家具や小物で家を楽しく飾るのが好きだから、自分の部屋がセットみたいなんですよ。そこに、フェイクのオスカー像を置いてみたり、季節の花を飾ってみたり、番組の内容に合わせて工夫をしています。スウェーデンの夏至祭の時期(2020年は6月24日)には、スウェーデンカラーである青と黄色の花を飾ったりしましたね。
テレビに出ている人は、ステイホーム中であってもエンターテイナーであるべきだからね。
忙しかった「自宅」での仕事
もしテレビ出演がゼロになったら、ミシンとフェルトを買って、私のウェブショップ「LiLiCoCo」で売るかごを作りたい! なんて思っていたけれど、じつはコロナ禍になって泣いちゃうぐらい忙しくなったの。
とくに、映画や絵本、生き残り方についての取材が、ありがたいことにすごく入りました。チャリティにもいくつか声をかけてもらいました。
歌で参加した「上を向いて~SING FOR HOPE プロジェクト」や「MOSHIMO Project 2020」、絵本の読み聞かせをした「子どもたちに物語を-#SaveWithStories Presented by セーブ・ザ・チルドレン」など、自宅で動画を撮らなくてはならない機会は、楽しかったけれど大変だった!
クオリティーを追求するから、100テイクぐらいしたことも。読み聞かせは丸2日かかりました。でも声をかけてもらって参加できて良かったです。
今までやったことのないことだったので日本語も磨かれました。
リモートの方が「いい働き方」の場合もある
リモートが当たり前になって、働くスタイルの幅も広がりました。
私の場合、打ち合わせや写真撮影のない媒体の取材は、リモートの方がむしろ「いい働き方」ができると感じます。
これまでは、仕事は基本的に「対面」が当たり前でした。例えば、テレビ番組の打ち合わせ。私はマネージャーがいないから、収録とは別の日にテレビ局に行って、スタッフと打ち合わせをする機会が多かったの。
ただ私もプロですし、みなさんも私を信用してくださっているから、「LiLiCoさんは、こういうロケは慣れてますよね。じゃあ本番よろしくお願いします」の一言で、打ち合わせが終わってしまうこともしばしば(笑)。「もう一つ、別の仕事を入れられたのにな」って感じることも少なくなかったんです。
それに、撮影や収録のあいだに打ち合わせに行くのは、すごく大変なんですよ。
私はヘアメイクやスタイリングを自分でしているから、衣装やメイク道具をスーツケースに入れて移動することが普通なんですね。スーツケースを持ち歩くから、タクシー移動が中心になって、移動時間が読めないし、タクシー代もかかる。
実は、今までも「その打ち合わせ、電話じゃダメかな?」と事務所に相談することはありました。でも、行かないことで「生意気だな」と思われるのも嫌で足を運んでいたんです。
今回、打ち合わせがリモートになったら、家にいながら、かつ分刻みで仕事をこなすことができるようになりました。もちろん、打ち合わせは十分成立していましたよ。
私以外にも「リモートでも大丈夫だな」って思った人はいるんじゃないかな?
もしワクチンが開発されて新型コロナウイルスを恐れる必要のない世の中になったとしても、相手がOKなのであれば、今後も積極的にリモートを活用していきたいですね。
リモートという働き方は、ほかにも可能性を秘めているんじゃない? 単行本の表紙や雑誌の写真をリモートで撮った方もいますし、ミュージシャンも会わずに曲を作りましたし!
新型コロナで実感した3つのこと
今回、働き方が変わって実感したことが、3つある。
1つめは、「夫と共演OK」でよかったなということ。
所属事務所が違うと、夫婦での共演は難しくなりがち。だけど、私は可能な限り夫婦で共演していきたかったから、結婚するときに両方の事務所とその話をしていました。
最近は、レギュラー出演している「王様のブランチ」(TBS系)に、夫がチラッと顔を出すのもおなじみになりました。“リモート夫婦”なんて呼んでくれる人もいます。
もちろんギャラなんてもらっていませんよ。私は「家にいるんだから、二人で出たら面白いじゃん!」って考えてるだけだから。ただ、そのおかげでたくさんの出演オファーをいただくことができました。
2つめは、「映画の人」でラッキーだったなということ。
今回、さまざまな媒体から「今観るべき映画」の取材が入ったんです。スポーツ映画、子どもと観る映画、人生に寄り添う映画……ジャンルって無限にあります。
映画コメンテーターになれたのは、「王様のブランチ」に出演しないかと声をかけてもらったときも、事務所に所属していなかったけど、人とのつながりがあったから。
神様からのギフトだったんです。
当時、無名時代の私にとっては夢のような仕事。きっと運命だった。
あまり知らない日本の映画を猛勉強したり、慣れない日本語で映画を紹介するアウトプットを続けてきたり、努力してよかったなと強く感じました。
そして3つめは、今までいろいろな経験をしてきて、それを語れるぐらいに日本語を使えるようになっておいて、よかったなということ。
母親との関係に悩み、いじめにあったスウェーデン時代。無名時代に車で暮らした5年間の路上生活。売れない時代も長かったし、ハーフだからって差別されることもありました。
「LiLiCoって何やってる人なの?」って理解されないときもあったけど、歌はもちろん絵本の翻訳、プロレス、「LiLiCoCo」の運営、ジュエリーデザインなど、やりたいことを口に出して、人との縁を大切にしてきてよかった。「やりたい」とだけいってないで、行きたい方向へ動いて! がまんはもう美しくないと思うから。
「グレーゾーン」で生きるのは逃げじゃない
私の人生のルールは、3つだけ。
1.wake up(起きる)、2.survive(生き残る)、3.go to bed(寝る)。
2の「survive」は、人それぞれ誰にも語らない大変なこともあるかもしれない。でも、いつもできることをやるのがすごく大事です。
こういう仕事って、やっぱりいつなくなるかわからない。
5年間、車の中で生活した日々、そして東日本大震災に続いて、今回の新型コロナウイルスは、私にそれを再確認させました。
でも、私は東日本大震災後に出演した『スタジオパークからこんにちは!』(NHK)から何かが大きく変わった。今回もリモートを通していろいろな新しいチャレンジができました。
それって、私が「今できること」を考え、実行し続けてきたからだと思う。
新型コロナウイルスとの付き合いは、まだまだ続きますよね。目に見えない新しいウイルスが敵だからこそ、元に戻ることじゃなくて、今できることを考えていかなくちゃ。
緊急事態宣言が解けたからといって、ウイルスがなくなったわけじゃないんだから、マスクつけないで歩いたり、夜中まで飲み歩いたりするのは、もう少し我慢しましょうよ。
自分や大切な人が死んでしまうかもしれない。無症状で誰かに移す可能性があるかもしれない。そこはちょっと真面目に考えた方がいい。
日本人って白黒つけたがるけど、グレーのなかでできることをして生きていかなくちゃいけない時代。グレーゾーンは逃げじゃないの。時と場合による柔軟性が大切です。
今はみんなにとって理想の状況ではない。
出来ないことも多いけど出来ることもある!
一人ひとりが今できることを積み重ねて、いつか明るく「あのとき大変だったね」と言えるようにしていきましょう。
(取材・文:有馬ゆえ、写真:川しまゆうこ、編集:笹川かおり)