新型コロナウイルスは私たちの日常からたくさんのものを奪った。
スポーツで言えば、プロリーグの中止や中断、開催の延期。再開後もしばらくは無観客で、私たちは「応援」の機会を失った。
7月10日。イベントの人数制限が緩和され、プロ野球とJリーグが、段階的に観客を入れて開催される。
東京都の新規感染者増加が懸念される中での、人が集まる大規模イベントの再開。
テレビや専門チャンネルを通じて、スポーツ観戦ができる時代。私たちはなぜ、現地に赴いて「応援」するのか。奈良教育大学の高橋豪仁教授に聞いた。
応援の役割は?
応援には、単に勝利祈願や選手のサポートといった“支援”を超えた役割があるという。高橋教授は、「選手との共感」「帰属意識」「陶酔感」を生み出す役割もあると説明する。
例えばプロ野球では、得点や活躍をした選手が次の守備についた際に、名前を連呼する応援文化があるという。
「そうしたら選手が手を挙げてくれる。自分の声援が選手に届いたなという、相互作用があるのが、スタジアムならではの楽しさ・面白さだと思います」
また、応援を通じて観戦者同士のつながりも生まれる。そのことが、ある集団やコミュニティ、地域への帰属意識を感じたり、強めたりする役割があると指摘する。国対抗の試合であれば、ナショナリズムの醸成という形にもなり得る。
「不特定多数の人たちが集まるのですが、周りの人たちが同じチームを応援する。声や身振りを合わせて応援することで、何とも言えない陶酔感が経験できます」
「人が集まるところに魅力があるのではないかと思います。そもそもスタジアムに多くの人が集まり、賑わいの時間、空間が作られる。それがとても重要ということです」
人はなぜ応援するのか
人はなぜ応援するのか。
高橋教授は「スポーツは見る人を応援させる機序(構造)を有している」と、雑誌『体育の科学』への寄稿文の中でつづっている。
その理由の一つが、スポーツに「応援する側が応援される機能」があるからだという。
そこには、「物語」(ナラティヴ)を描くスポーツの特徴が関係している。
高橋教授は、2013年のプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスのパ・リーグ優勝と日本シリーズ制覇を例に挙げる。その2年前の3月11日。東日本大震災が起き、チーム本拠地の宮城を含む東北地方は、多数の死者・行方不明者を出す甚大な被害に見舞われた。
東北の人たちにとって、未曾有の震災被害を経験し、復興がなかなか進まないという現実に直面する中で、“弱小球団”として誕生した地元楽天が苦節9年で初優勝した。日常や現実の延長線上にスポーツ上の出来事を位置づけ、ストーリーとして語ることを通じて「人々は現実を引き受けることができたのであろう」と推察する。
「おそらく、楽天ファンが本当に涙を流して喜んだ背景には、物語・ナラティブの力があるのだと思います。今生きている世の中に意義づけをして、自分の人生に価値を見出すのは、人として当然のこと。それは言葉でしかできないことですから、スポーツによって紡がれる物語、ナラティブは生きていく上で糧になるのです」
物語の弊害「スポーツは現実を覆い隠す」
その一方で、高橋教授はこうした物語に対して「スポーツは現実を覆い隠すところがある。冷静な目線も必要」と警鐘も鳴らす。
私たちも今、パンデミックという未曾有の事態に直面している。
2021年に延期された東京オリンピック・パラリンピックについて、大会組織委員会やIOCは「コロナ禍を乗り越えた人類の団結と共生」や「人類の希望や回復力」の象徴として位置付けている。
高橋教授は言う。
「メディアや情報発信する人たちは、コロナにかこつけて物語を作ろうとしているという感じがします。情報の受け手として、スポーツメディアリテラシーみたいなものも必要。コロナに打ち勝ったストーリーが作られていくこともあります」
「政治的に利用するというか、スポーツにかこつけて『コロナを封じ込めました』『ウィズコロナ時代の対応が達成できた』。そんな風に使われる。実際に正しいかもしれませんし、違っているかもしれない。発信側に対する批判的な態度や、『本当なのか』というクリティカルな見方も必要だと思います」
現地観戦なし、悪いことばかりじゃない。
無観客開催で「応援」の機会を失っていたファンにとって、現地観戦の再開は願ってもないこと。だが生観戦できないのは、決して悪いことばかりではない。
スタジアムでは見れない角度の映像や、プレーの詳細な解説。メディアを介すと、現地にはない情報も得られ、物語性も強くなる。
「テレビや雑誌、新聞は、情報が確定している。誰がどう解釈してもおそらくこの解釈しかできないという形で情報が提供されます。スタジアムでは、情報が曖昧であるからこそ、受け手が自分で解釈しないといけない。詳しくない人には分かりづらい」
「でも結局、メディアが伝える選手の物語性を知った上でスタジアムに行けば、その枠組みで見てしまう。 メディアの物語と実際のプレーは相互補完的に循環している。『やはりこの選手はすごい』と物語が強化されたり、あるいは『言われているほどではない』と修正されたりもする。そうしたダイナミズムがあります。今はコロナが続いているので、しばらくは辛抱が必要です」
無観客の中で、各球団の様々な工夫も垣間見える。
ロッテは、スマホから声援を届けるリモート応援システムを導入。歓声、拍手といったボタンをタップすると、スタジアムに設置されたスピーカーを通じて実際に音が届く。
巨人は、チャンスがきた時に応援団が奏でる「チャンステーマ」を収録し、スタジアムで流すという演出も試みている。
新型コロナはスポーツ観戦を変えるのか?
新型コロナで余儀なくされた“新しい生活様式”の影響で、企業のリモートワークのように、緊急事態宣言の解除後も“定着”しつつあるものもある。
ただスポーツに関しては、仮にコロナが終息した後も、「無観客観戦が続くとは考えづらい」と高橋教授は指摘する。
「これまでも既に“リモート”で観戦してきました。テレビやラジオ観戦など、メディアスポーツが十分に発達しているので、この部分は変わらず継続していく。新しく入ってきたとすれば、スマホをクリックしたら球場で歓声が上がる応援方法などでしょうか」
人数制限の緩和を受けて、プロ野球は10日から5000人を上限に観客を入れ、8月1日までに球場収容人員の50%までに引き上げる予定。感染予防対策として、応援団やトランペットといった鳴り物は禁止する一方、大声でない通常の応援や拍手は認める。
Jリーグでも5000人を上限に、アウェー席を設置せず、歌や手拍子、ハイタッチは禁止する。
「5000人しか入れてはダメ、間隔をあけて座らなくてはダメと言う状態が今後も続けば、これまでの応援団方式の応援はできない。むしろ、インプレー中は音を出さないテニスのように鑑賞する。でもテニスも、プレーとプレーの間は声を出していい。 それもままならないということであれば、観戦、応援の仕方は変わっていかざるを得ません」