ディズニーが展開する動画配信サービス『Disney+』で7月3日、ゲイが“主人公”の短編アニメーション『Out』(邦題:「殻を破る」)が配信された。
LGBTQのキャラクターを“主人公”に据えた作品は、ディズニーが関連するアニメーション史上で初となる。同作は「トイ・ストーリー」シリーズなどを生んだピクサーの新プロジェクト『Spark Shorts』が手掛けた。
約10分と短い作品だが、筆者は同作にこれまでのディズニー関連作品には無かった大きな「意義」と新たな「覚悟」を感じた。それは何だったのか、考えた。
パートナーの存在を打ち明けられず思い悩む主人公を描く『Out』とは?
はじめに、短編アニメーション『Out』(邦題:「殻を破る」)のストーリーを簡単に紹介しておこう。
主人公でゲイのグレッグには、大切にしているパートナーのマヌエルがいる。
2人は仲良く過ごしているが、グレッグは彼の存在を自身の両親にまだ伝えられていなかった。
ある日、グレッグの引越しの手伝いをしようと、両親がグレッグのもとを訪れる。
グレッグは予期せぬ両親の訪問に慌てふためき、マヌエルを家から追い出してしまう。マヌエルに「(2人の関係のことを)話せよ」と打ち明けるように促されるものの、その決心が出来ない。
そんな中、“ある魔法の力”が、グレッグを思わぬ方向に動かすことになる...。
同作は物語の冒頭、「BASED ON A TRUE STORY(実話に基づく)」という文言から始まる。
実は同作で監督・脚本を担当したスティーブン・クレイ・ハンター氏は、アニメの主人公と同様に自身もゲイであるとインタビューで明かしており、作品には彼の感情や経験が反映されている。
今回、LGBTQコミュニティの当事者が多様性を訴える作品を自ら手掛けたこと自体、ディズニー・ピクサーのアニメーション制作にとって、一つの大きな意味が確かにあったのだ。
LGBTQのキャラクターを脇役でなく“主人公”に。そこにどんな「意義」があるのか
近年ディズニーは、関連作品を含めLGBTQのキャラクターを登場させ始めている。
2017年公開の実写版『美女と野獣』では、劇中に登場する「ル・フウ」がディズニー映画で史上初めて登場するLGBTQのキャラクターとなった。
2019年には映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に、「サーガ」と称されるシリーズで初めて同性同士がキスをするシーンが描かれた。
このシーンについては、世界各国で対応が分かれた。
同性愛が法的に認められていないシンガポールやアラブ首長国連邦(UAE)では作品から削除された一方、映像コンテンツにおける同性愛などの描写を政府が厳しく検閲する中国ではそのまま公開された。
また、アメリカで3月に公開し日本では2020年8月に公開予定の映画『2分の1の魔法』でも、レズビアンの警察官のキャラクターが登場している。
近頃のディズニーは、作品の中でLGBTQキャラクターを積極的に描くことで時代の流れに合わせてきた。このことは、長い歴史を振り返ると画期的であり、まさに今、ディズニー・ピクサーアニメーションは「転換期」を迎えていると言える。
一方、これまでの作品で登場したLGBTQのキャラクターは物語の中ではあくまでも“脇役”の位置付けであり、ゆえに、キャラクター自体に注目が行くことはほとんど無かった。
加えて、マーケティングや広告宣伝活動でも、特にそのキャラクターをフィーチャーしていた訳でも無かった。
これらの経緯を踏まえると、今回の短編アニメーション『Out』でゲイである人物を“主人公”に据えたことには、それだけでも大きな意義があったと言える。
またそこに、今後のディズニー・ピクサーアニメーションがどのような方向性でキャラクター像を描いていくのか、その1つの「答え」と「覚悟」が感じられた。
ディズニーが、固定化されたジェンダー観から離れられなかった訳
そもそも、過去の作品を見返してみても、数々の金字塔を打ち立ててきたディズニーアニメーションの中心は、いつだって「王子様とプリンセス」だった。
白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女...。
1930年代から50年代に制作されたようなクラシックな「名作」であればあるほど、登場人物のその“構図”はお決まりのものだった。
“悲劇のヒロインを最終的に王子様が救う”という王道のストーリーは、当時の大衆に広く受け入れられた。
無論、その結果としてその後ディズニーが世に打ち出すアニメーションが世界的に揺るぎない人気を獲得していったのは事実であり、その意味で当時の製作者の功績は大きい。
だが一方で、従来の性的な役割とされてきたものに当てはめて作ったその絶対的な“構図”は、ディズニーに古いジェンダーの固定概念から離れられない作品を生み続けるという課題を長年突きつけることとなった。
世の中のジェンダー観が徐々に更新され始めても、ディズニーは長らく、それに対応しアップデートされた新たなパートナー像を反映するような作品作りが出来ていなかった。
それに対する批判の声もあり、近年では、LGBTQのキャラクターを通じて多様性を描くだけでなく、従来の王子様とプリンセスの描かれ方にも徐々変化が見られるようになった。
例えば、2019年6月に公開された実写版『アラジン』では、29年前のアニメ版と比べて、王女ジャスミンの描かれ方に大きな変化があり、そのことは筆者が以前書いた通りだ。ぜひ、こちらの記事を読んでほしい。
『Out』をジェンダー研究者はどう観たか?
同作を研究者はどう観たのか。(※ここからは一部でネタバレを含みます)
ジェンダー・セクシュアリティが専門の社会学研究者中村香住さんは、「ショートフィルムの約10分間という短い時間的制約の中で、カミングアウトをするときの当事者の葛藤や心理的ハードル、社会的な障壁を可能な範囲で描けていた」と評価する。
さらに、「従来のディズニー関連作品では、LGBTQのキャラクターは描かれないか、もしくは描かれても“脇役”としての扱いだったため、映画を観たLGBTQの当事者は、ディズニー作品に『自分はそこ(作品の中)では描かれない存在』という感覚を持ってしまっていた。しかし今回、当事者が“主人公”となり、物語の主題として当事者ならではの悩みが描かれたことで、LGBTQの人も物語に感情移入することが出来たのではないか」とその意義を語った。
一方で、物語の設定が「かなり楽観的に思えてしまう」と中村さんは指摘する。
同作は、主人公のグレッグが自身がゲイであることをカミングアウトする以前から、母親は実はそれに気づいていたという設定だが、中村さんは「物語の終盤にグレッグがマヌエルの存在を両親に紹介した際、すぐに父親の理解が得られた点にも、やや無理があるように思う」と別のシーンにも言及した。
加えて中村さんは、『Out』の邦題である『殻を破る』という表現にも違和感を感じたという。
「『殻を破る』という言葉のニュアンスには、『自分の殻を破る』などと使われるように、自分で破るか、破らないかという、自発的で自意識的な印象があります。この邦題では、“もし殻を破れなかったらそれは自分の責任”というような捉え方が、場合によっては出来てしまう。カミングアウトで問題となるのは社会的な障壁なはずなのに、自意識の問題とすり替えられかねない」として適切さを感じなかったとも語った。
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大人だけでなく、世界中の子どもたちに、その成長過程で大きな影響をもたらすディズニー・ピクサーアニメーション。
現代における愛の描き方は、もはや「王子様とプリンセス」のハッピーエンドを描くという形だけでは収まらなくなった。
その“構図”から抜け出し、時代とともに拡がる多様性を作品の中で詳細に描いていくことが、今後の制作の担い手が果たすべき大きな役割の一つとなる。
(執筆:小笠原 遥)