地面に置かれた遺影のような写真、百合の花束、何本かの蝋燭。
亡くなった人に捧げた小さな祈りの場だ。
ところがショッキングなことに、その蝋燭の炎が後ろに掲げられた星条旗の一角に燃え移っている。
次の瞬間、何がおこるか容易に目に浮かぶ。
バンクシーの最新作は、5月25日にアメリカ、ミネアポリスで起こったいわゆる「ジョージ・フロイド事件」を題材にしている。
警察による暴力的な取締りの末、通行人たちの目前でフロイドさんが死に追いやられた事件だ。
それを引き金に、社会全体にはびこる人種差別や不平等への怒りの声が急速に広がり、あっという間にバンクシーの拠点イギリスや他国に飛び火した。それは、今も同じような社会問題が世界各地で起こっている事実、何より、多くの人々が共感したからに他ならない。
一連の抗議運動は「ブラック・ライブズ・マタ−(BLM:Black Lives Matter)」と呼ばれ、現代社会を象徴する歴史的出来事となった。
もう一度、バンクシーの絵をみてみよう。
遺影はジョージ・フロイドさんだろうか、他の多くのストリートアーティストたちが外壁に描く絵のように、明白な似顔絵ではない。だが、シルエットにすることでこの問題が一個人の悲劇ではないことを示唆する。
また、一般的に、国旗というシンボルをいれることは、国家のために亡くなった人への慰霊を思わせるわけだが、国の象徴は今にも燃え落ちてしまいそうだ。
アメリカという国家の行く末を予言しているのだろうか、あるいは、社会分断がますます深刻な問題になっていること、国民としての連帯精神が危うくなっていくことを危惧しているのかもしれない。
この作品を発表した時、バンクシーは次のようなコメントを書いている。
「はじめは黙っていたほうがよいかと思った。(中略)でも、これは自分の問題なんだ」
バンクシーの出身は奴隷貿易で栄えた街、ブリストル?
覆面アーティストであるバンクシーはブリストルという大西洋に面した港町の出身だといわれる。
ブリストルは18世紀に奴隷貿易によって栄えた都市だが、近年ではその歴史を捉え直す認識が広がっている。
有色人種の人口も多い。今も人種差別や不平等が社会に横たわり、それに対する抗議運動や反乱も後を絶たない。
バンクシーが「自分の問題」という時、彼自身のそのような社会的背景が、否応なく思い起こされるのだ。
ところで、BLM運動の流れの中で、これまで偉人と評されてきた歴史上の人物の銅像が次々に倒されている。それらは、植民地化を進めた人や奴隷貿易に関与した人の像だ。
そうした行為や周囲のディベート(議論)は、公共の記念碑とは一体何かを考えさせるきっかけになっているといえよう。
ブリストルの中心地にも、奴隷貿易で財をなした商人兼政治家であり、故郷ブリストルで慈善活動を行ったエドワード・コルストン (1636-1721)の像が立っているのだが、1990年以降、像の撤去を求める運動がすでに度々起こっていた。
2019年、筆者がこの像を見た時にも、像の周囲に奴隷船上の奴隷たちを思わせる人形が並べられていた。聞けば、地元のストリートアーティストが残した作品だという。
BLMムーブメントそのものをブロンズ像に
実は、今回のことがきっかけで、ディベートに火がつき、その像もブリストル市民によって倒され、さらには、波止場から海に落とされてしまったのだ。その直後、バンクシーは自分のアイデアをスケッチにして、インスタグラムにアップした。
そこには、次のようなコメントを添えていた。
「空になっちゃった台座だけど、どうしたもんかね。ブリストルの街の真ん中にあるんだよね。
こんなアイデアはどうだろう。コルストン像がなくなったのを寂しがる人にも、そうじゃない人にも、きっといいと思うんだ。
僕らは彼の像を水の中に沈めたけど、もう一度、台座の上においてあげよう。でもって、その首にケーブルを巻いて、抗議者たちの実寸のブロンズ像を新たにつくって、ひっぱっている行為を作ってもらうよう注文するってのは?
みんなハッピーだよ。この大事な日の記念になるよ」
とてもバンクシーらしいブラックユーモアだ。
彼のアイデアが社会的に受け入れられたら、ブリストル市が当の発案者に注文するかもしれない。過去の特定の人物の記念碑ではなく、今のムーブメントそのものを記憶し、記念するという意味でも、発想の転換といえよう。
だが、そのユーモアの奥に、この運動によって社会分断が広がらないようにという静かな願いがこめられていると思うのは私だけだろうか。
吉荒夕記(よしあら・ゆうき)
ロンドン大学SOAS美学部にて博士号取得、在学中に大英博物館アジア部門にてアシスタントキューレターを務める。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。9月には著書『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』(美術出版社)を出版した。
(編集:毛谷村真木)