3月末まで所属していた事務所を退所し、藤原史織になって2ヶ月が過ぎた。
人間の慣れというものは不思議なもんで、
最初は違和感のあった「藤原さん」呼びも「史織さん」呼びも、
この2ヶ月ですっかり慣れてしまった。
私は2014年からブルゾンちえみだった。
先輩芸人「はなしょー」という女性コンビのボケ担当、はなさんが3秒で名付けてくれた。
「芸名つけてください」「ん〜...ブルゾンちえみ!」
3秒で名付けたとは思えないほどしっくりくる名前。
名付けられた瞬間からめちゃくちゃに私は気に入り、
LINEの名前やSNS、名前という名前すべてをその日のうちに変更した。
「今日から私はブルゾンちえみだ」
自分のパワーが何倍にもなる装備を手に入れたような感覚。
ワクワクした。
ブルゾンちえみという名前は最強だ。
「ブルゾンちえみです」と自己紹介すれば誰もが瞬時に覚え、私にピッタリな名前だと感じているのがわかる。
そして私自身ブルゾンちえみと名乗るたびに、素の自分ではない、もう1人の自分になれることが楽しくなっていた。
そうやってこの数年間、私は公私ともにすっかり「ブルゾンちえみ」になっていた。
だから「藤原史織」として生活するのは久しぶり。最初はぎこちなく不自然。
ずっと乗っていなかった車を久々に運転するようだった。
芸歴2年でブレイク。まだまだ未熟だと思っていた
2017年元旦「ぐるナイ!おもしろ荘」(日本テレビ)の出演をきっかけに、私はキャリアウーマンのキャラクター、そして「35億」のフレーズでブレイクした。自分の作ったものがいろんな人に喜ばれることが本当に嬉しかったし、最高の達成感だった。
ただ、そんなふうに喜びを感じたのも束の間、いつも俯瞰で見ているもう1人の自分が言う。
「よかったね。でもこれからどうなるんだろうね。」
ブレイクした時点で私の芸歴は2年目、かなり早いブレイクだったと思う。
ネタ数も少ない、場数も少ない、トークスキルもまだまだ未熟。
そんな自分が「芸人です」と名乗ることは自分の中ですごく畏れ多く感じていた。
「芸人さん」という職業をリスペクトするあまり、スキルの乏しい芸歴2年目の自分に自信なんてあるはずもなく、「最低でも7〜8年は修行しないと芸人って名乗れないな」と思っていた。
だから、「早めのブレイク」は私にとって、嬉しさよりも不安の方が大きかった。
でもそんなことも言ってられない。
ありがたいことに仕事はやってくる。
ひな壇も、ロケも、取材もイベントも...何もかも経験のないことばかり。
自信なんてもちろん無いけれど、今私のできる100%で、全力で、やるしかない。
「これからどうなるんだろうね」と傍で囁く自分の声をかき消すように、とにかく私は「今日」の仕事に集中した。余計な感情は追い払い、無心でやり切るのみだ。来た球を打ち返し、また来た球を打ち返しとまるで卓球でもしているかのように。そうして「明日」がやってくる。
もちろん、そんな日々は楽しくもあった。忙しいことは苦じゃない、むしろ好きだし、毎日の仕事は他では経験できないことばかり。そんな刺激的な日々は昔からの私の理想だった。
今だったら、認められる。ひな壇が苦手だった。
しかし、私の性格上「余計な感情は追い払い、無心で」ということを続けるには無理があった。
私は幼い頃からいつも自分を俯瞰で見て、何をしててもどこか夢中になりきれないところがある。良くも悪くもだ。「考えすぎだよ」と言われることはしょっちゅうだ。
テレビのひな壇が苦手なのもそれが大きかった。苦手だと思いたくない気持ちが強いし、言い訳みたいになるのが嫌だけど、苦手だったと今は認める。
考えすぎるあまり、言葉が出ない。好きな食べ物一つ答えるにしても、自分の本当に好きな物をただ言っても面白くないし、かといって好きでもない食べ物を言って、それがとってもウケればいいが、ウケもしないのにそれが好きなんだと日本中のたくさんの人に思われるのも嫌だ、と感じる自分がいた。いつも「本音」か「作った答え」か、どちらを言おうか迷っていた。
本音でも、作った答えでも、どちらを言っても気持ち良い結果にならないことが多い。でもこれも自分にスキルがないからだ。先輩たちはどっちの答えでも面白くできる。もっと経験を積めば、そこにストレスを感じることなくトーク出来るんじゃないか。
頑張るしかないのだ。
経験を積むしかないのだ。
そう思いながら仕事を続け、あっという間にブレイクから2年が経った。
気づけば自己肯定感はすっかりなくなっていた。
2年間 毎日毎日自分の下手なトークを反省し、もともとなかった自信は、完全に姿を消した。
街中などで「テレビで見てます!」よくそう声をかけられる。もちろん私を喜ばそうと思って言ってくれているのだろう。それはめちゃくちゃ嬉しいしありがたい。ただ心の中で「見なくていいよ〜どうせ面白くないこと言ってるから」と言う自分がいつもいた。そんな自分が嫌だった。
自分って何が得意なんだったっけ?
自分って何だったら自信が持てるんだっけ?
そろそろ自分を肯定したかった。毎日のように自分を否定する日々に限界を感じていた。
そんな頃、私にとって初となる単独ライブが行われることになった。
誰にも気を遣わず、自由に表現した単独ライブ
2019年3月、テレビに出始めて3年目の春。2日間にわたる単独ライブを草月ホールで行った。
1000枚以上あったチケットもすぐ完売した。
本当にありがたかった。
テレビで完全に自信をなくしきっている自分、あの「35億」は過去の栄光と化している自分。
そんな自分でも応援してくれてる人がいる。見たいと思ってくれている人がいる。そんな人たちのために全力で挑みたい。そして自分自身が再度自信を持つために、自分を肯定できるようになるために、私はこの単独ライブに賭けていた。
私はもともとネタを作るのに時間がかかるタイプで、3分のネタをたった1本仕上げるのにも結構な時間がかかるのに、単独ライブは一公演90分だ。気が遠くなる。
でも、まったく苦しくなかった。これは私のステージで、この90分は自由に表現していいのだ。やりたいことを、誰にも気を遣わず。私は久々に無心になれた。ブレイクしたてのあの時のような不安をかき消すような無心ではなく、夢中になって時間を忘れる無心だ。
久しぶりのその夢中になれる感覚が、私にはすごく嬉しかった。
ライブ当日。もちろん緊張したし、お客さんに喜んでもらえるか不安もあった。
自己満足な作品になっているかもしれない。お客さんはつまらないと感じるかもしれない。
でもたとえ、もしこれがつまらないと思われたとしても、自分が心から自信を持って作ったものだ。だったら良いじゃないか。自分の作品に、そして自分の発言に、自信を持てていることの方が重要だ、そう強く思った。
ライブで自分は、久しぶりに輝けた。
自信を取り戻す。そういう意味で、ライブはその時点で成功と言えた。
でもそれだけじゃなく、ちゃんとお客さんにも喜んでもらうという形でも成功を感じられた。
本当に、自分自身生き返ったようだった。
そしてライブを終えて数日考えた。私の今後の生き方について。
助手席に“ブルゾンちえみ”を乗せて
卒業しよう。
それが数日考えた私の答えだった。
極端で短絡的だと思うかもしれない。でも何度考えてもこの選択にしかならなかった。
私の中で、もう応急処置では治まらない状態だったのだと思う。
「辞めるまでしなくても少し休んで、また再開すればいいじゃないか」そんな声もあった。
でも、休むと辞めるは違う。
大学を中退する時もそうだった。その時も休学を勧められたが断り、私は辞めることを選択した。
休むのは応急処置、辞めるのはリフォーム。
「リフォームが必要なときがある。」
私は大学を中退した当時の経験から、そろそろ自分のリフォームの時期にきたことがわかっていた。
今回のリフォームにおいて重要視したテーマは「楽しいと思える時間を人生に増やす」だった。
もちろん、人生楽しいことばかりじゃない。
しんどいことだってたくさんある。
でも、しんどいことを頑張れるのは、「楽しい」や「嬉しい」や「幸せだ」と思える時間があってこそだと私は思う。
その楽しさとしんどさの割合のバランスはきっと人それぞれだけど、今の自分はそのバランスが崩れていると思った。
今ならまだリフォームで間に合う。これ以上時間が経ち、地盤から腐ってしまっては手遅れだ。
だからとっても強引な方法と思われるかもしれないけど、決断するのは今しかなかった。
「この決断をして、本当に良かったのだろうか?」
そう思ったこともあった。
でも藤原史織になった今、結論から言うと「良かった」
意地を張っているわけでも、無理をしているわけでもない。
心からそう感じている。
もちろん初めは、不安がなかったとは言わない。不安でいっぱいになる日もあった。
でも、本当にやりたいことをやったり、本来の自分のペースで生活することで、
その不安は日に日に薄れ、今ではすがすがしい幸福感で満たされている。
ブルゾンちえみとして経験したことは、かけがえのない宝物だ。
時間も、経験も、人との出会いも、すべて、すべて、宝物。
ブルゾンちえみになって、本当に良かった。
もし自分がブルゾンちえみになっていなかったらと想像すると寂しくてたまらない。
ブルゾンちえみになって見たもの、聞いたもの、体験したものがあるから、今の藤原史織がある。
「藤原史織」という車を運転するのは5年ぶりだけど、以前より乗り心地良く感じる。
それはきっと助手席にブルゾンちえみが乗っているからだ。
私はこれからたくさん迷うと思う。でもそんなとき彼女は横から私に声をかける。
「あんた、本能で生きてる?」
その声は、私の迷うハンドルをスムーズに切るよう、今後も助けてくれるだろう。
(編集:榊原すずみ)