新型コロナ「ロックダウン緩和」に「慎重」独・メルケル首相vs.「推進」各州首相

日本で確認されている新型コロナによる死者数は、ドイツの10分の1に満たない。しかし我々日本人にとっても、ドイツの苦悩は他人事ではない。
記者会見するメルケル独首相(ドイツ・ベルリン)
記者会見するメルケル独首相(ドイツ・ベルリン)
EPA=時事

「我々ドイツ人は、新型コロナウイルスとの戦いの最初の段階を乗り切ることに成功した。感染者数の伸びを以前に比べて抑え、重症者数が医療機関の限界を超える事態を避けることができた。このため、我々は少し勇気を出して、前に進むことができる」

アンゲラ・メルケル独首相は5月6日午後、16の州政府の首相たちとのビデオ会議の後、こう言って主要先進国の中で最初のロックダウンの大幅な緩和策を打ち出した。

ブンデスリーガも再開

現在は面積が800平方メートル以下の店と自動車・自転車・書籍販売店だけが営業を許されているが、今後は客、店員のマスク着用義務や最低1.5メートルの距離を保つという条件の下で、全ての商店の営業が許される。ニーダーザクセン州やバイエルン州など4つの州では、今月末までにレストランやホテルの営業が再開される。ただし、これらもマスク着用や最低限の距離に関する義務の順守が条件だ。

一部の州が他州よりも早くロックダウンを緩和できる理由は、ドイツが連邦制を取っているからだ。連邦政府は国全体の防疫政策の方向性を決めるが、感染症防止法の執行権限は州政府の首相が握っている。彼らの権限は、日本の県知事よりもはるかに大きい。ドイツ人たちは、ナチスの時代に権力を中央政府に集中させて失敗した経験を持っているので、地方分権を非常に重視している。

3月23日以来続いている接触・外出制限令は6月5日まで継続されるが、中身は大幅に緩和される。これまでは家族を除き2人以上が集ったり、一緒に外出したりすることは禁じられていた。だが今後は、2世帯の市民が一緒に食事をしたり、出かけたりすることが許される。つまり2組の夫婦が一緒に散歩することが、7週間ぶりに可能になった。

現在ドイツでは全ての学校や託児所が閉鎖されているが、夏休みまでに子どもたちが、少なくとも1度は学校などに戻れるようになる。さらに高齢者介護施設に住んでいる親類を訪問することも、許される。

児童公園、博物館、動物園、理髪店、教会のミサなどは、首相の発表に先立つ5月4日から再開された。屋外での集会も、参加者が50人までならば開催できる。

参加者が身体を接触させないスポーツも許される他、プロ・サッカー(ブンデスリーガ)も5月後半から観客なしで試合を再開できる。

全体として見ると、わずか1カ月前には考えられなかったほど、踏み込んだ緩和策である。

人間の不安に「4週間ルール」

連邦政府と州政府が、大幅緩和に踏み切る最大の理由は、ドイツが今のところ感染者の増加速度を遅くすることに成功しているからだ。

1人の感染者が何人に感染させるかを示す実効再生産数(R)は、3月の最初の週には3を超えていたが、5月6日には0.65まで下がった。ドイツは毎日約5万人に対しPCR検査を実施している。3月、4月には感染者数が毎日2000〜3000人ずつ増えていた。だが5月に入ってからは、日あたりの感染者増加数が1000人を割る日も目立ってきた。

メルケル首相は先述したビデオ会議後に、

「感染拡大のスピードが下がったのは、大半の国民が規則を守ったためだ。そして保健所職員たちがウイルス検査や感染経路の割り出しに尽力したためだ」

とも述べ、市民と保健当局に対して感謝の意を表わした。

実際、大半のドイツ市民は理性的に行動した。大半の市民は、3月23日に政府が厳しい罰則付きの接触・外出制限令を施行する1週間前から、自発的に外出を控えるようになった。あるウイルス学者は、

「3月15日頃には、ベルリンの繁華街でもすでに人通りが激減していた」

その理由は、3月中旬に、

〈イタリア北部やフランス東部の病院に重症者が殺到し、医療体制を崩壊させた。医師たちはどの患者を集中治療室に受け入れるかについて、選別を余儀なくされている〉

というニュースが流れたからだ。

麻酔で眠らされ、気管に人工呼吸器のパイプを差し込まれた患者がベッドにずらりと並んでいたり、空きベッドがないので、床に敷いたマットレスに重症患者が寝かされていたりする映像は、ドイツ人たちに強いショックを与えた。多くの人々が、「イタリアのような状態がドイツで起きないように、外出や接触を控えなくては」と感じた。

このためメルケル政権の接触・外出制限令は、3月後半には国民に強く支持された。4月2日に公共放送局『ARD』が発表した世論調査によると、回答者の93%が、「接触・外出制限令に賛成だ」と答えた。また63%が「政府の仕事ぶりに満足している」と答えている。

これは『ARD』がこの世論調査を始めてから、最高の数字だ。「強い不安感」がドイツ人たちをメルケル首相の下に結束させたのだ。

だが、不安は永遠には続かない。ゲッティンゲン大学の精神科医ボルビン・バンデロウ教授によると、人間の不安については「4週間ルール」という原則があるという。

大規模なテロや戦争、疫病の大流行などが起きると、人々は強い不安を抱き、まず食料の買いだめなどに走る。これは石器時代以来、人間の深層意識の中に組み込まれている、不安に対する反射的な自己防御行動である。

ドイツでも3月初めから中旬にかけては、保存がきく食品やトイレットペーパーが売り切れになった。そして市民は、強い指導者の下に固まって、身を守ろうとする。2015年の難民危機以来、低下していたメルケル首相に対する支持率が、コロナ危機が始まってから大幅に高まったのは、そのためだ。

しかし、人間の不安は4週間経つと弱まる。5月の第1週の時点では、食料品やトイレットペーパーの買いだめは収まっており、人々の間では「通常の生活」に対する願望が強くなり始めている。

約1000万人の就業者が自宅待機

実際に、世論調査結果が示したメルケル政権への高い支持率とは裏腹に、コロナ対策の模範国と呼ばれたドイツでも、世論に亀裂が入り始めている。そのことに対するメルケル首相の危惧は、5月6日の記者会見での言葉の端々に感じられた。

たとえば首相は、「これからも警戒を怠ってはならない」とか「コントロールを失ってはならない」という言葉をしばしば使った。そして、

「新型コロナが根絶されたわけではないので、緩和後も慎重に行動しなくてはならない」

という姿勢をはっきり示した。

実はメルケル首相は、迅速な緩和には前向きではなかった。元物理学者である彼女は、国立感染症研究機関ロベルト・コッホ研究所の専門家たちの意見を尊重することで知られている。4月中旬には、

「我々は感染者の増加速度を抑えることに成功しているが、もしも慌てて緩和したら、せっかくの成果が水の泡になってしまう」

と述べ、拙速を戒めていた。

だが一部の州首相たちは、4月の最後の週以降、迅速な緩和を求め始めていた。

その急先鋒は、ドイツで最も人口が多いノルトライン・ヴェストファーレン州のアルミン・ラシェット首相である。メルケル首相と同じく「キリスト教民主同盟(CDU)」に属するラシェット州首相は、4月14日には、

「これまで行われてきたような完全なロックダウンは、経済に大きな損害を与える。封鎖措置を段階的に緩和していくべきだ」

と述べ、連邦政府に迅速に出口戦略を提示するよう強く求めた。また彼は、

「ウイルス学者の意見は、ころころ変わるではないか」

と述べ、連邦政府が科学者の意見を偏重することについても反対する姿勢を示した。

実際ロックダウンは、ドイツ経済にとって大きな打撃となりつつある。「ドイツ小売業協会(HDE)」によると、食料品を除いて、営業禁止措置のために小売店業界が1日ごとに失う売上高は、11億5000万ユーロ(1380億円)に達していた。

「ドイツ商工会議所(DIHK)」が4月3日に発表したアンケート結果では、ドイツの企業・事業所の43%で業務が完全に停止しており、飲食店の91%、旅行関連企業の82%が全く営業していなかった。「ホテル・飲食業連合会(DEHOGA)」は、

「4月末までに、100億ユーロ(1兆2000億円)の売上額が失われる。このままでは、会員企業の3分の1に相当する約7万の企業や飲食店が倒産するだろう」

と警告していた。

経済活動の停止は、地方自治体の財政にも大きな影を落とした。5月5日にドイツ地方自治体会議は、

「営業税からの歳入が200億ユーロ(2兆4000億円)減る」

という厳しい見通しを明らかにしていた。

現在、ドイツ企業約75万社で、約1000万人の就業者がコロナ不況によって自宅待機を強いられ、最大で給料の減額分の80%(子どもがいる家庭では87%)を政府によって支払われている。企業が従業員に対して、一時的な労働時間短縮を求めた場合に補償されるこの制度は、「短時間労働(クルツアルバイト)」と呼ばれ、失業者の急増を防ぐのに一役買っているが、制度の適用者の数は2009年の金融危機の時の3倍に達する。

ペーター・アルトマイヤー経済エネルギー大臣は、4月29日に、

「ドイツの今年の国内総生産は6.3%減少し、第2次世界大戦後最悪の景気後退になる」

という予測を発表している。私もあちこちで、「一体いつになったら仕事を再開できるのか」とか「これからどうなるのか」という自営業者らの声を耳にする。人々の間で不満は沸々と高まっている。

ポピュリストが結成「抵抗2020」

ドイツ南部ではポピュリストたちがロックダウンなど政府の新型コロナ対策に抗議するために、「抵抗2020」という新しい政党を結成した。党首の耳鼻咽喉科医は、

「すでに20万人の党員を集めた」

と主張している。これ以外にもロックダウンに反対する市民のデモが、ドイツ各地で起き始めている。ラシェット州首相らは、こうした世論の動きを敏感にキャッチし、ロックダウンの早期緩和を要求したのだ。

ラシェット州首相のこうした態度の背景には、来年の連邦議会選挙がある。メルケル首相は、来年連邦政府首相の座を降りるが、彼はCDUの4人の連邦政府首相候補のうちの1人。つまりラシェット州首相は、コロナ対策で市民や経済界の要求に理解を示すことで、支持率を高めようとしているのだ。

3月23日にドイツがロックダウンを始めた時、連邦政府と16の州政府は一丸となって外出・接触制限を実行した。だがロックダウンによって小売・ホテル・旅行業界を中心に不満の声が高まるにつれて、州政府の足並みが乱れている。たとえば北部のニーダーザクセン州政府は、メルケル首相が5月6日に経済活動の緩和を発表する2日前に、

「5月11日からレストランの営業再開を許す」

と発表した。バルト海に面した観光地を持つ旧東独のメクレンブルク・フォアポンメルン州政府は、

「5月9日からレストランの営業を解禁する」

と宣言した。この背景には、北部や旧東独の州では人口密度が低いこともあり、南部の州に比べて人口10万人あたりの感染者数・死者数が少ないという事実も影響している。

南部バイエルン州のマルクス・ゼーダー州首相も、地方の独自性を重視する政治家だ。彼は、連邦政府よりも2日早い3月21日に接触・外出制限令を施行し、市民から高い評価を受けた。バイエルン州ではイタリアとオーストリアでの休暇から帰ってきた多くの市民がウイルスを持ち込んだため、感染者数・死者数が全国で最も多かったからだ。

彼はラシェット州首相に比べると、これまで緩和に慎重だった。だがそのゼーダー州首相ですら、北部の州政府が次々にロックダウンを緩和するのを見て、バイエルン州の夏の風物詩「ビアガルテン」を、5月18日に再開させるという方針を打ち出した。

バイエルンっ子にとって、マロニエの木の下で生ビールを飲むビアガルテンは、大きな楽しみの1つだ。ゼーダー州首相がビアガルテンに関する宣言を行ったのは、5月5日。メルケル首相の緩和策の発表の前日である。今回もゼーダー州首相はメルケル首相を1日出し抜いた。彼の地元での支持率は、上昇する一方だ。

日本も必要「急ブレーキ」

初夏のように暖かい日が増え、夏休みのバカンスシーズンが近づくとともに、すでに州政府の間では、「ロックダウン緩和競争」が始まっていたのだ。連邦制という大原則のために、中央政府は州政府の決定を禁止することができない。慎重派のメルケル首相は、緩和を急ぐ州首相たちに押し切られた形だ。

彼女は、先を争ってロックダウンを緩めようとする州首相たちを前に、「緩和の責任は州政府にある」という態度を打ち出し、地域の事情に応じた防疫政策を取らせようと考えた。3〜4月にドイツで見られた一枚岩の結束は緩み、今後のドイツのコロナ対策は地域ごとに異なるパッチワークとなる。

ただしメルケル首相は、大幅緩和を認める条件として「安全装置」を設けた。1つの郡で1週間の感染者増加数が、人口10万人あたり50人を超えた場合には、直ちにこれまでと同じロックダウンが施行される。

つまり州政府が、感染者の急増している地域を見つけた場合には、その地域では商店や学校の閉鎖などの措置が再び導入される。16の州政府首相たちは、連邦政府の「非常ブレーキ」に関するこの提案を受け入れた。リスク意識が高いドイツ人ならではの措置である。

州政府の緩和競争を目にして、ウイルス学者たちの間では、

「我々の仕事は政府に提言を行うことであり、政策決定の責任は政治家にある」

という冷めた見方が強い。ロベルト・コッホ研究所のロター・ヴィーラー所長も、コロナ対策におけるメルケル首相のアドバイザーの1人だ。

彼は5月6日にドイツのメディアが行ったインタビューの中で、

「秋以降、新型コロナ拡大の第2波が来るというのは、ウイルス学者の間で一致した見解である。このウイルスは人間だけではなく、動物の体内にも入っているので、天然痘のように根絶することはできない。我々はまだ何カ月にもわたって、社会的距離を保つ『新しい日常生活』を続けなくてはならないだろう」

と語っている。さらに、

「パンデミックはまだ初期の段階であり、新型コロナについてはわからないことだらけだ」

とも述べ、人類の知見がまだ限られているという見方も強調した。また彼は、

「3〜4月中旬には、ドイツのメディアの報道は、比較的冷静で客観的だった。だが2週間前から、緩和をめぐる議論のために冷静さが失われてきている」

と懸念を表明した。

ベルリン・シャリテ病院のウイルス部を率いるクリスチャン・ドロステン教授も、

「ドイツは他国に比べて早く検査体制や集中治療室のキャパシティーを拡充することにより、これまでのところ、他国で起きたような悲惨な事態を防ぐことができた。性急な緩和措置によって、せっかく稼いだ時間が浪費されるのは、残念だ。

1918年のスペイン風邪の時と同じように、我々が知らない間に再びウイルスが拡大して、ドイツが第2波に襲われる可能性がある」

と警鐘を鳴らしている。スペイン風邪の第2波による死者は、第1波よりもはるかに多かった。

ドイツには「Primat der Politik(政治の優位性)」という有名な言葉がある。最終的には、市民の代表である政治家が、政策の決定権を握るという意味だ。この原則は、新型コロナ対策においてもあてはまる。

多くの政治家たちは、コロナ問題を利用して、支持率を高めようとしている。ドイツが来年、連邦議会選挙を控えているという事実は、未知の病原体との戦いにも今後ますます影響を与えていくだろう。生命と経済の両方を守るという、ドイツ人たちの対コロナ戦略の真価が問われるのは、これからである。

今後ドイツ各地でレストランやホテルが再開されるにつれて、感染者数が再び増えることはほぼ確実だ。実際、5月6日には0.65と低い水準にあった実効再生産数が、5月11日には1.13に増加してしまった。実効再生産数が上昇し続けると、重症者の数が人工呼吸器付きの集中治療室(ICU)のベッド数を上回ってしまう可能性もある。その意味で、ドイツの状況はまだ楽観を許さない。

日本で確認されている新型コロナによる死者数は、ドイツの10分の1に満たない。しかし我々日本人にとっても、ドイツの苦悩は他人事ではない。

将来日本がどのような出口戦略を採用するにせよ、新型コロナに対して有効なワクチンが開発・投与されるまでは第2波襲来の可能性を常に意識し、万一の事態に備えた「非常ブレーキ」を導入するべきだと思う。

熊谷徹 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人』(SB新書)、『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。3月に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)を上梓した。

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(2020年5月13日フォーサイトより転載)

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