訪日外国人旅行者99.9%減ー。
日本政府観光局が発表した4月の数字だ。新型コロナを抑え込むため、他国同様に厳しい入国制限を敷いた日本。去年だけで4兆8000億円を消費した外国人観光客はほぼその姿を消し、日本の観光ビジネスは大きな打撃を受けた。
外国人が日本に来られないなら、ネット経由でモノを売ればいい。そんな発想を実現するのが「越境EC」と呼ばれる手段だ。打撃を受けた企業の救世主となり得るのか。実際に越境ECに取り組む第一線からの声を伝えたい。
■そもそも越境ECとは?
「かんざしや和菓子などのお土産を売っている会社などからは、インバウンド(外国人観光客)が壊滅的なので、早急に越境ECを立ち上げたいと話が来ています」そう話すのは、日本企業の中国向けマーケティングを手がける「トレンドExpress」の濱野智成代表だ。
越境ECは、簡単に言えば国境をまたいだ通信販売のことだ。中国の消費者は、ネット上で気に入った日本製品を選べば、早ければ数日後に手元に届く。
日本の会社には、ネット上で売りに出す商品をあらかじめ現地の倉庫に保管させておく方法などがある。ネット店舗に注文が入れば、改めて通関させて消費者の元へ届ければ良い。
「投資ファンドから、投資している会社の事業再編のために、越境ECをさせたいというご相談も増えています」と濱野代表。本来は外国人が日本に来て買うはずだった化粧品やお菓子などを、来られないならばネットで売ろうと考える事業者は少なくない。狙いは、通販が一般化していて購買意欲旺盛な中国だ。
実際、越境ECの市場規模は拡大している。中国・iiMedia Researchによると、越境EC市場はこれまで毎年20%近い成長を続けてきた。2020年は新型コロナの影響でやや下がるが、それでも10兆元(155兆円)規模をキープする見込みだ。
果たして、この世界に今、このタイミングから挑む価値はあるのだろうか。今回、濱野代表と実際に越境ECに取り組む事業者たちの対談を取材することにした。
■「神薬」をも悩ます存在
中国のネット空間には「神薬」という言葉がある。日本を訪れた中国人観光客が偶然購入したことから人気に火が付き、「絶対に買うべき商品」としてある種の殿堂入りを果たしたものを指す。
その「神薬」リストに、液体ばんそうこうなど多くの商品が並ぶのが小林製薬だ。2015年の後半から越境ECを始め、今はブレスケア商品などを販売している。
その小林製薬も、越境ECはあくまで「テストマーケティング的な意味合いが強い」という。越境ECに潜むリスクについて、中国の現地法人で責任者を務める紀本慎一郎さんは次のように解説する。
「ローカル品の模倣です。発売してすぐ模倣されるのは3年前も今も一緒ですが、最近は模倣品の品質もすごく上がってきました。同じとは言えませんが、一応使えるな、というくらいまでには。値段も半分以下なので、ローカル品に負けるリスクは出ています」
さらに、今後考えられるのは、商品を売るためのプラットフォームの問題だ。日本で言えばアマゾンや楽天市場のような存在だ。
「こうしたプラットフォームのプライベート・ブランド(自社開発製品)は絶対出てくると思います。プラットフォーム側は、粗利の高い自分たちの商品を推すでしょう。そうすると我々の勝ち目がなくなる。そうした事態を常に想定する必要があります」
日本のコンビニがお菓子やボディソープなどの商品を自分で開発し、他社メーカーの商品を追いやるのと同じ現象が、これから起きる可能性があるということだ。
紀本さんたちは、こうしたリスクに備えるため、商品開発の段階から中国でのニーズを考え、早めに投入することでファンを掴んでいるという。それでもコピー品が出回れば「模倣されるのは諦めて、新しい商品を導入することが大事」と割り切る構えだ。
■ヒアルロン酸くらいは常識
「厳しい言い方をすれば、そんなに甘くないです」と忠告するのは吉田直史さん。コスメや美容の総合サイト「アットコスメ」中国版のトップを務めた経験を持つ。
今から中国のネット空間に進出しても、いわゆる「後発組」。吉田さんは、明確な差別化要素を打ち出す必要があると話す。
「消費者にとって“品質なら日本”というイメージはあります。ただ商品によっては差があまりでないものもあるし、中国のレベルも上がっている。何ができるのか、差別化のポイントを探さないといけません。そのための情報収集や分析も必要です」
美容関係であれば、ヒントになりそうなのが「成分」だ。中国のSNSでは化粧品などの感想をシェアする場合、その具体的な成分まで分析し、解説する強者も多い。
「(例えば)ヒアルロン酸にはどういう効果があって、とかは消費者もインフルエンサーも分かっています。日本企業には開発の時点からその視点を意識したマーケティングは必要でしょう」と吉田さんは話す。
■狙いは彼らだ
150兆円市場には、それだけ高く険しい壁がある。外国人観光客が来ないなら、越境ECでしのごうという考えは、やはり甘いのだろうか。
「軽い気持ちでチャレンジするのは難しいと思います」と濱野代表は話す。すでに日本国内で実績のあるブランドならばともかく、いたずらに中国市場に挑んでもかえって赤字を増やしかねない。
では、外国人観光客が日本に戻ってくるまで耐え忍ぶしかないのか。濱野代表は、今からでも時間をかけてブランドの認知を広げるよう提案する。
「日本に住む中国人を狙うのも一つの手です。彼らの間で流通が拡大すれば、中国側から引き合いが来ます。そこで、現地のネット店舗に在庫ごと引き取ってもらう卸し契約を結ぶなどして、愚直に開拓していくことが大事です。
中国消費市場と戦う以上は、体力がないと厳しいというのが私の個人的な見解です。ただ、興味が向き始めているのは事実なので、ソリューションは開発しようがあると思い始めています」
■越境ECは救世主か
インバウンド(外国人観光客)に関わる事業者の8割が「すでに大きな影響を受けている」。「訪日ラボ」が実施した調査の結果だ。
対策には「情報収集」「テレワークの実施」などが上位に入り、「打つ手がない」も23.6%となるなど、現場の悲壮な空気が調査結果から漂ってくるようだ。
155兆円市場の越境ECも、少なくともパッと参入して売り上げが立つ世界ではなさそうだ。新型コロナの感染拡大を予見するのは不可能だったにしろ、観光客一本に頼った経営モデルの危うさが浮き彫りになっている。
「中長期的に見たら絶対にやっていかなければいけない」と濱野代表は越境ECについて語る。転ばぬ先の杖になるうえ、火がつけばさらに大規模に展開できる可能性も秘めているからだ。
小林製薬の紀本氏は「国は違っても消費者はボーダーレスだ」と話した。
中国のネット空間で人気が出れば、それを見た在日中国人が買うようになる。逆もまた然りで、「日本と中国で売り上げを上げることが、ブランド力をアップさせるキーになる」という。
越境ECはコロナ禍に苦しむ事業者の救世主とはならないかもしれない。しかし、いわゆる「アフターコロナ」の世界おいて、これまで観光客に頼ってきた事業者が時間をかけて打っていく布石になりそうだ。