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2018年にNHKで放送された、京都発のドラマ『ワンダーウォール』の劇場版がオンライン映画館「STAY HOME MINI-THEATER powered by mu-mo Live Theater」で上映されることが決定した。
本配信サイトはミニシアターで上映予定だった作品を中心に、製作者や出演者のトークショー付きのライブイベントをオンラインで上映している。入場収入は必要経費を差し引いた後、対象劇場と配給会社に5:5で分配される。
『ワンダーウォール劇場版』は4月10日より公開予定だったが、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発出に伴い、上映延期となっていた。
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老朽化による建て替えの議論が進む古い学生寮を舞台に、突如現れた“壁”によって分断される大学と学生たち。
現代社会の分断を的確に映し出し、放送時に大きな反響を呼んだ本作。脚本を務めたのは、映画『ジョゼと虎と魚たち』やNHKドラマ『カーネーション』などで知られる渡辺あやさんだ。
学生による完全自治運営、トイレは男女別なくだれもが利用できるオールジェンダー、多彩な人々が出入りする叙情豊かな場所は、なぜ壊されようとしているのか。経済合理性ばかりを求める大学と、豊かな文化を守ろうとする学生たちの想いのズレを鋭くえぐり出しながらも、温かい希望を残す作品だ。
本作をどのような想いで書いたのか、渡辺さんに胸の内を聞いた。
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※取材は、3月14日に都内で実施されました。
何と戦えばいいかわからない学生たち
100年以上存続する古い学生寮の老朽化による建て替えの議論を巡り、学生たちと学校が対立する。当初は議論によって解決しようとしてきた学生側と大学だが、ある日学生課の窓口に“壁”が出来る。
“壁”によって物理的に分断された大学と学生たち。その日を境目に対話が消滅し、ただ退寮期限の日だけが迫ってくる。戦う方法を失った寮の学生たちは焦り、葛藤しながら、それぞれの想いを抱えて大切な居場所を守ろうとする━━。
社会の分断があちこちで進んでいると感じている人は少なくないだろう。本作は、その分断を“壁”という物理的要素を象徴にして描いている。
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大学の学生課に突然壁が作られるというアイデアは大胆なものに思えるが、これは、ある京都の大学で実際に行われたことだそうだ。
「壁越しにしか大学の人と話せなくなり、部屋が狭くなったので大人数で押しかけられなくなったそうです。これをシンボリックにドラマに持ってくると、描こうとしているものが描けるんじゃないかと思いました」と渡辺さんは語る。
壁の窓口に立ち、学生たちに対応するのは派遣職員だ。当然何の決定権もなく、上から言われた通りに「今責任者がいない」を繰り返すのみ。対話のチャンネルを失った学生たちの間に焦燥感と諦めのムードが生まれ、抗議への参加も徐々に減っていく。学生たちは何と戦っているのか、敵の正体を見失い始める。
複雑なシステムに隠れて本当に戦うべき相手が見えないという状況は、社会にあちこちに存在するように感じられる。渡辺さんはこうした複雑さについて、こう語る。
「その大学を調査したところ、大学総長などは従来の教育理念通りに対話を重視したいと考えているようです。
しかし、国からの予算がどんどん削られて、大学が困窮しているという事情もある。理事会も国から出向してきた人や企業から出向いている人に周りを固められて、総長も自由に発言できないのかもしれない。
さらに、大学の上には文科省の意向があります。じゃあ、文科省が悪者なのかというと、その先には財務省の意向などもあるわけです。何と戦えばいいのか、知れば知るほど複雑で一言では言えなくなります」
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戦う相手が見えない学生たちの間には次第に不協和音がはびこり、寮の学生たちの間にも分断を生んでいく。諦めずに抗議に行く者、諦めて麻雀に興じる者、社会のシステムの複雑さに気が付き悩む者。
本作は“壁”を見つめることで現代社会に無力感が生まれるシステムそのものを見つめようと試みているのだ。
無駄を切り捨てる社会は豊かなのか
本作の舞台、近衛寮は学生たちの自治で運営されており、何かを決める時も必ず全会一致での可決を原則としている。台所のゴミ袋の取り扱い一つにも熟議を重ね、全会一致を目指して長時間議論する。徹底して話し合って決めるという姿勢は、壁を作った大学とは対照的な姿勢だが「自治寮ゆえの面倒」と作中のナレーションでは表現される。
しかし、渡辺さんはそういう一見無駄に思えるものに大切な何かがあるのではないかと語る。
「誤解されがちなんですけど、ああいう変わったところに住んでいる人たちは、ただ自分たちの居心地の良い場所を守ろうとしているだけじゃないんです。意見の異なる人たちと共同生活するのってすごく大変なことで、実際に寮に住んでいる人たちも『本当に大変です』と言いながら、全会一致なんて面倒なことをしている。
私は、それを個人の尊重とか、共同体のあり方を模索するための壮大な実験をしているんだと感じました。あの寮では、自治の精神とか、自治を続けるための胆力などを育もうとしているように見えてすごく頼もしいと感じます。
私自身はそういう努力をさぼってきた自覚があるので、社会が私みたいな人間ばかりになったら心許ないですよ(笑)。でも、そういった心構えの大切さが今、なかなか伝わりにくくなっているような気がしますね」
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予算が削られている大学も生き残りをかけて必死だ。
しかし、経済合理性にばかりとらわれて、一見無駄とも思えるものをどんどん削ってしまってよいのだろうか。無駄に長い会議、無駄に汚く老朽化の進んだ寮には、現代社会が疎かにしがちなものがあるかもしれない。
「結局、突きつけられているのは、どんな哲学を教育の土台にするのかということだと思います。もちろん、研究にはお金がかかるので選択と集中も必要ですが、今は上の人が短期で国益になりそうなものにリソースを集中させる傾向にあります。
でも、何の役に立つのかわからない研究が将来すごく役に立つかもしれない、研究って本来そういうものだと思うんです」
若者の居場所が失われている
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近衛寮は一瞥して汚く、物に溢れかえっていて、一般的には住みやすい環境とは思えない。しかし、主人公はそんな寮になぜだか惹かれ、進学先を決めた。
こんな住みにくそうな場所に惹かれる若者がいるのはなぜなのか。渡辺さんは若い人たちが社会に居場所を失くしているのではないかと言う。
「その寮では、時々全国の学生を招いて討論会のイベントを行っているんです。私もそれに参加したのですが、東京からやってきた学生たちは、街に居場所がないと強く言うんです。どこに行くにもお金がかかるし、ちょっと座っているだけでも怒られてしまうから、どこに行ってもくつろげないのだと」
近衛寮のような場所は、そんな若い人にとって居場所となりそうな匂いがあるのだろう。年上に対しても敬語禁止、トイレはオールジェンダー。変わった学生たちが多いがだれも変だなんて言わない。汚くて雑多だけど、その分懐が深く、自由がある。
「人間は本来すごく複雑で難しい存在だと思います。社会を小綺麗にしていけば健全になるかというと、決してそんなことはないんじゃないでしょうか。人間、お互いに変な部分はあるのだから、それを許容できる寛容さを育むべきだと思います」
誰もがいつかは非生産的な存在になる
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なぜ無駄なものを否定すべきではないのか。渡辺さんは、いつか誰もが非生産的な存在になるからだと言う。
「私たちも歳を重ねれば、経済的に役に立たない存在になります。社会に生きる私たちが非経済的なものを否定するというのは、いずれそうなる自分を否定して呪いをかけるようなものだと思うんです。
古いものや場所、そういうものを守っていくというのは、いずれ古くなる自分たちを守ることでもあるはずです。そういうことが認識されないまま社会から無駄が省かれていくと、私たちの社会はどんどん生きにくいものになってしまう気がします。
誰だって経済だけに育てられたわけじゃないはずです。人間とはどういうもので何が必要なのか、根っこの部分から考え直していかないと、理屈の上での合理性が常に勝ってしまうと思うんです。
こうしたことは何も今を生きる私たちがはじめて直面しているわけじゃなくて、人間が歴史の中でずっと考えてきたことのはずです。そういうことを学び、思い出していく作業が大切かもしれません」
最後に、渡辺さんは、こういう時代でも「人に希望を見出したい」という。
「相手が生産性しか考えていない場合、人間とはどういうものかを訴えてもなかなか通じないかもしれません。
でも結局、その人も人間ですので、どこかに糸口はあるはずです。問題意識を持って作品を作り、それが共有されれば、また人を信頼できるようになっていきます。そうすれば、目の前の人を私はやっぱり大好きなんだと思えてくる。そういうことをこれからもドラマで描いていきたいです」
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