4月27日月曜日の夜、(日本時間4月28日お昼頃)自分が代表を務める「一般社団法人Voice Up Japan」の学生メンバーからメッセージが届いた。
「和奈、岡村さんの発言に対して、謝罪と番組降板を求める署名活動を行ったほうがいいと思う。彼の発言はめちゃくちゃ女性蔑視だったし、『チコちゃんに叱られる!』の番組にこのまま出演続けるのはおかしいと思う。小さい子供も見る番組で、しかもチコちゃんのキャラクター設定は女の子でしょう?」
私はこのメッセージを見て、何より最初にショックだったのは岡村氏の発言よりも、「自分の感覚が麻痺をしてる」ことだった。
岡村氏に対する署名活動に賛成意見・反対意見がある中、私が思うこと、感じる危機感について書きたいと思う。
「週刊SPA!」の署名を振り返って
2019年の初めに私は「週刊SPA!」が2018年12月25日号で「ヤレる女子大学生RANKING」を掲載したことに対する署名活動を行い、「週刊SPA!」編集部と対談を行った。
正直それまでの自分は、日本社会の女性軽視に対し絶望をしていて「もうこの国に住みたくない」と諦めて、特にジェンダーに関するアクティビズムには関わってこなかった。
ただ、あの記事を見た時の恐怖感と怒り、その衝撃により始めた署名活動は数日間で4万人を超える署名が集まった。
「こんな記事が出てしまうなんてありえない」その思いが何より先を走った。
その署名活動から一年が過ぎ、毎日ジェンダーについて考えさせられ、学びながら生活をしてきた。
ただ、それと同時に私は毎日絶望するニュースや発言を聞いている。
そして自分でも気づかないうちに、いつの間にか、様々なものに対し感覚が麻痺をし始めていたようだった。
女性を蔑視、差別する発言、政治家や著名人によるセクシュアルマイノリティへの差別発言、在日外国人や日本に在住する外国人に対するヘイトスピーチ、ありとあらゆるものに毎日触れていて、自分の中でどんどんと「絶望」が「無」へと変わっていった。
だから、Voice Up Japan の学生メンバーから話をされた時は、すぐに「そうだね。何かしよう」と署名を立ち上げる準備をした。
社会が変わらないのであれば、私たちが変えないといけない
「女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しNHK『チコちゃんに叱られる』の降板及び謝罪を求める署名活動」を始めて数日経つが、私は反対意見にもきちんと目を向けている。
反対意見を述べている人の言いたいことはわからなくもない、何故そういう主張をしているのかも理解できなくもない。
ただ、その彼らの反対意見に私が一番感じるのは「危機感」である。
日本では何十年にも渡り「女性差別・蔑視発言」が横行してきた。
そして自分自身物心がつく時からテレビやラジオ、雑誌や漫画を見て疑問を抱いてきた。
私の考えや活動を応援してくださる、私より10年、20年、30年歳上の方(ジェンダー関係なく)からこんな風に言われることが時々ある。
「この状況は何十年も続いてきた。そして私たちは何もしなかった。その代償を背負わせてごめんなさい。だから、私たちはあなたたちを応援します」
上の世代を責めるつもりは全くない。
だけど、同時に女性差別や蔑視に溢れる社会をかえることができなかったという点においては、ある程度の「責任」はあるのではないか、と思う。
政治家が女性やセクシュアルマイノリティ、外国人や障害者に対して発する差別発言を何度聞いてきたか。
著名人が女性やセクシュアルマイノリティ、外国人や障害者に対して発する差別発言を何度聞いてきたか。
定型文のような「謝罪」で満足している社会
では、ここ数年で状況は良くなっているか?
私は、良くなっていないと思う。
むしろ酷くなっているのではないか、と思う事の方が多い。
「グローバリズム」「ダイバーシティー」「女性活躍」などの言葉がよく見られるわりには差別や蔑視が存在する状態は継続していると思う。(むしろジェンダーギャップランキングは下がり続けている)。
だからこそ、今回の「女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しNHK「チコちゃんに叱られる!」の降板及び謝罪を求める署名活動」には意味がある。
今まで署名人や政治家の「問題発言・差別発言」は炎上して、「不快な思いをさせて申し訳ありません」と定型文のような謝罪文で済まされてしまってきた。
そして謝罪をした次の日には、また誰かの似た発言が「炎上」して…の繰り返し。
それは社会が定型文のような「謝罪」で満足をしており、そういった発言にどんどん寛容になってきているからではないのか?
だから私は、社会として「差別や蔑視に寛容的はない」という声明を出す必要があると思っている。
そして被害者が傷つくばかりではなく、加害者がその行動や発言に責任を取る社会にならなければいけないと思う。
何より、社会やメディア、権力との戦いを、絶対に次の世代には背負わせたくない。それが、私が感じている私の「責任」だ。
それでも麻痺していく感覚
学生メンバーからメッセージが届いた時、私は自分の感覚がものすごく麻痺していることに気づいた。
岡村氏の発言に対しても「酷いこと言うな、よくこれで許されるんだな」と思った。だがその時はそれ以上の感情が生まれなかった。
何故なのか?
それは、つらいから。
様々な社会問題を知れば知るほど、人々の「靴を履いてしまう」。
英語で言う「Put yourself in their shoes」、その人の立場にたって物事を考えてみること。
その人がどういう気持ちでいるのか、どんな感情を抱いているのか、そんなことを考えて絶望のあまり寝れない日も少なくはない。
自分も性暴力にあったことがある。一度きりのことじゃない。
私も22歳なりに色々な体験をしてきた、そしてその多くは人には打ち明けてない。
だから、性暴力の事件のニュースを聞くと涙が出てくる、自分の感じた恐怖、自分の体が自分のものでなくなる感覚、絶望感、無力感、その感情が蘇ってくる。
私はきっと、自分を守るために、自分の感覚を麻痺させていたんだと思う。そして今回の岡村氏の発言に対しても「またか」で済ませようとしてしまったのだ。
私は、そんな自分に危機感を抱いた。
しかし、私と同じように感覚が麻痺してしまっている人は多いのではないか。
もう、こういった発言が日常的すぎて、「重大な問題」として捉えてない人も多いのではないか。
発言や行動には責任が伴うことは当然
「言葉は刃よりも鋭いものだから」と小さい頃母に言われた。
だから私にとってセカンドレイプ や性暴力を助長する発言、人間の人格を軽視する発言、一定のグループに対する差別発言、はものすごく重大なことだ。
それは、「言葉に刃」があるから。
だからこそ私は、「署名はやりすぎ」という人たちに伝えたい。
私は、私たちは岡村氏を芸能界から追放しようとしているわけではない。
ただ、理解をしてほしい。分かってほしい。
だから#KuToo 発案者の石川優実さんが行なっている、「岡村さんとNHKで、「今回なぜ炎上したのか」、「女性の貧困問題についての現状」、「フェミニズムとは?」をしっかりと勉強できるような番組を作って欲しいという要望する署名活動「#岡村学べ ナインティナイン岡村隆史さんを起用し、女性の貧困問題やフェミニズムについて学べる番組を制作・放送してくださいにも個人として、団体として賛成しています。
だが、それ以上に「Serious Actions have consequences」。
発言や行動には責任が伴うことは当然だと理解してほしい。
そして「署名はやりすぎ」と危機感のない発言は、私の世代やまたその次の世代をただただ絶望させていることに気づいてほしい。
(編集:榊原すずみ)