神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人を殺害し、殺人などの罪に問われた植松聖被告(30)の裁判員裁判が1月8日に始まりました。公判は16回、既に結審し、判決は3月16日に言い渡される予定です。植松聖被告が繰り返す「障害者なんていなくなればいい」という発言は、日本社会に様々な波紋を広げてきました。被害者のほとんどが匿名で審議されていることを含め、この事件が社会に投げかけたものは何か。脳性まひの障害を持ち、障害者と社会のかかわりについて研究を重ねてきた、東京大学先端科学技術センター准教授、熊谷晋一郎さんと考えます。
他者が発信しているメッセージを、どのくらい拾ってきたか
安田:まずこの事件を最初に報道で知った時、熊谷さん自身はどう受け止めたのでしょうか?
熊谷:報道で知った直後は、自分の感情を自覚できなかったのですが、そのあと数日間、体調不良が続いていました。身体が重いような感覚です。事件の3日後くらいでしょうか、急に自分の過去の経験がよみがえってくるような、そんな映像をふと思い出すことがあったんです。
安田:「フラッシュバック」のようなものでしょうか。
熊谷:そうですね、恐らく。幼少期にリハビリを受けているときの印象とか、大きな大人に対して無力な子どもだった頃の自分とか、そういった無力感みたいなものを象徴するような記憶が思い出されたんですよね。そのくらいのタイミングで、急に街が恐くなった、というのでしょうか。向かってくる人の波に恐怖心を感じる自分を自覚したのも、ちょうどその前後だったような気がします。これは体調不良や風邪ではなくて、私はかなりこの事件に触れて堪えているのだな、気持ちを折られてしまったのだな、と後から気付いた状況でしたね。
安田:事件後、実質的な恐怖を街の中で感じるようになってしまった、ということですよね。
熊谷:そうですね。ある意味では、他人や社会に対する信頼みたいなものが、壊されていくような経験というのでしょうか。
安田:事件を起こした植松被告は、津久井やまゆり園の職員として働いた経験がありましたよね。私は最初、そのことに衝撃を受けました。入居者の方と実際に触れ合っていたのに事件を起こしたのか、と。
熊谷:大切なのは、どのように出会っていたのかという文脈ですね。ただ障害を持った人と出会った、というより、どのように、どういうところでなのか。それによって大きく、障害を持つ人に対する価値観や態度というものが変わっていくと思います。私たちが研究している内容を踏まえると、障害を持つ人に対する差別心というものは、出会いによって緩和していくこともあれば、逆にある種の出会い方をすることによって、むしろ差別心が深まってしまうこともあるという、環境依存的であるということは少なくとも言えると思います。
安田:植松被告は「(障害者の)家族がかわいそう」、というような発言をしています。ただ、植松被告と面会した方の証言や、これまでの報道を見ていると、家族と深く対話した形跡がないということも指摘されています。ただ単に出会えばいいというのではなく、その内容や触れ合い方というのが、より問われてくるということですよね。
熊谷:他者が発信している言葉やメッセージをどのくらい拾ってきたか、という事に関しては、植松被告にいくつか思うところがありますね。
障害は、皮膚の内側ではなく、外側にあるもの
安田:熊谷さんが幼い頃というのは、あくまでも“健常者”に、障害者がリハビリなどで近づいていくべきだ、という社会状況があったと思います。それが少しずつ変わってきて、障害者差別解消法も導入されました。ところがその直後に、事件が起きてしまったのですよね。
熊谷:自分自身が事件に対してショックを受けているということに気付いた後、次に感じたのは、半世紀時間が、時計が逆戻りしてしまったのではないか、という感覚でしたね。というのも、この半世紀、障害を持った私たちの先輩たちが切り拓いてきたのが、障害というものは、皮膚の内側にあるものではない、皮膚の外側にこそ障害があるのだ、ということだったんです。もう少し分かりやすく言うと、階段が上れない私の体が障害なのではなくて、階段しか設置していない建物が障害なのだ、と。こういう考え方を、「医学モデル」ではなく、「社会モデル」といいます。これが80年代前後にスタンダードになっていき、それがある程度実行力を持って制度や法律として整い、その一つの到達点が2016年の障害者差別解消法だったと思うんです。まさにそのタイミングで、それを全否定するようのことが起きてしまったというショックは受けましたね。
安田:社会的な「マジョリティ(多数派)」に「マイノリティ(少数派)」が合わせていくべきだ、というところが徐々に変わり、「共に在る」ための法整備もなされてきたときに事件が起きてしまった。植松被告は「障害者なんていなくなればいい」、「障害者は不幸を作ることしかできない」という、お伝えするのも憚られる発言を繰り返してきました。
熊谷:生産性が高い人、能力が高い人には生きる価値がある、という考え方を「優生思想」ということがあります。私たちや私たちの先輩方がこの半世紀をかけて否定してきたのは、この優生思想です。能力があるかないかとか、生産性があるかないかという基準と、命に価値があるかどうかという基準は全く無関係であるということです。そういう意味でも、それを全部ひっくりかえすような犯行動機だったということですよね。それは決して認めるわけにいかないですよね。
安田:ただネット上には、植松被告の行動にある種賛同するような言動や、擁護するような発言も見受けられて気がかりでした。こうした優生思想というのは、社会の中からなくならないのか、という問題提起だったようにも思います。
熊谷:賛同する声も一枚岩ではないと思います。ただ、ことさらに、といいますか、露悪的に、といいますか、優生思想を声高に主張する人の中には、他ならぬその本人も優生思想の被害者であるという人が少なからずいるのではないか、そういう感覚は持っています。
もしかすると植松被告もそうだったかもしれませんが、多くの方々が、自分は“用ナシ”になってしまうのではないかという不安、不要とされてしまうのではないかという不安を少なからず共有している社会に、私たちは投げ込まれているのではないかな、と思うわけです。
その「不要とされるかもしれない」という恐怖心をどのように次の行動や考え方に転化していくか、ここに分岐点があると思うんです。
そこには二つ選択肢があると思います。一つは、私たちは皆、優生思想に苦しめられている、だからその優生思想が蔓延している社会そのものを変えていかなければならないという形、連帯するという方向です。ところが二つ目の選択肢は、あくまでも優生思想のゲームの上で勝負をしていこう、そして自分よりもより弱い立場に置かれていると本人が思っている人たちを、ある種排除することによって相対的な優位性を示していこう、というもの。自分は何かを成し遂げたのであるという風な、「有用性」を証明しようという方向です。
二つの選択肢のどちらを選ぶのか。勿論、私は一つ目を望むわけですけれど、それは一人ひとりに投げかけられている課題だと思うんですよね。
安田:あくまでもこれは私の実感ですが、働く同世代を見ていても、非常に高い生産性を常に求められて、精神的、肉体的に疲れ切ってしまっている人たちが気がかりです。ものさしで日々、自分自身を測られる。誰かに対する「生産性がない」といった切り捨てる言葉は、こうした社会のあり方と裏表一体に思えます。
“内なる優生思想”と、分離の根拠
熊谷:私も仕事をしている中で、どうしても競争的な場面というのがあります。お互いに能力を競い合わなくてはいけないような時にどうしても、協力するというだけではない、相手を押しのけていこうというような思いが、自分の中にもわき起こることがあります。
安田:自分自身の“内なる優生思想”みたいなものですよね。誰しもの心に、少なからずあるのかもしれませんね。
熊谷:それは根深くあると思います。ただそこでどれくらい踏みとどまれるか。先ほど挙げた二つの選択肢というのが、毎日といっていいほど実感として目の前にあって、どっちなんだと問われ続けている気がしますね。
安田:その選択肢の中で「連帯」の方を選択できるのか、というのは、小さな経験の積み重ねからなるものではないかと思います。特にその鍵を握る一つが、教育ではないでしょうか。最近になってようやく「インクルーシブ教育」(障害のある子どもと障害のない子どもが共に教育を受けること)の重要性が議論されるようになりましたけれども、障害を持っている子どもたちの学級と、それ以外の子どもたちの学級、という、分け隔てる傾向がまだまだ根強いと思います。
熊谷:最近特に感じるのが、「きめ細やかな支援をする」というロジックで分離してしまうということです。昔のように単純に分け隔てるということではなくて、ご本人に合った、カスタマイズされた方法が必要なのだから、とう論理が分離の根拠になることがある。私は小児科の臨床もやっている関係で、それをどう考えていったらいいのか、と日々直面するところはありますね。
安田:「きめ細やかな」、というのが、合理的な配慮に向くのか、それともさらなる分断に向くのかということは、大きな違いですね。
自分自身の中の「被害性」とも向き合う
安田:1月8日に行われた初公判で、植松被告は小指をかみ切る動きをしたり、出廷からわずか15分で姿を消してしまったりということがありました。
熊谷:私も限られた情報しかありませんが、一部の報道を見ると、小指をかんだ理由として、それ以外に謝罪の形がなかったからだと本人は言っているとのことでした。家族だけではなくて、被害者にも申し訳ないと思っているのだ、と。それはそうなんだろうと思うのですが、二点ほど気になることがあります。本人に詫びたというロジックとして、「このような形で命を奪ったことに」というようなことを言っているわけですよね。
安田:「安楽死ではない形で」申し訳なかったという“弁明”がついてしまった。
熊谷:つまり謝罪の気持ちが、命を奪ったことではなく、奪い方という限定だったところは容認することができないということが一点。それからもう一つ、償う、とか詫びるということをはき違えているのではないかと私は感じています。
私もちょうど今刑務所の中での回復、社会復帰のためのプログラムを学ばせていただいている関係で、人が自分の犯した罪に気付き、そしてそこから謝罪の気持ちが生じる条件というのは一体なんなのかということを、ここしばらく考えています。
これは表現が難しいのですが、加害性を自覚するだけではなくて、生い立ちも含めて、自分の中にある「被害性」に気付く、向き合う、ということが極めて加害性の自覚にとって重要な条件なのではないかと思っているんです。植松被告がどうなのかはまだ分かりませんが、もし彼の中に、加害者になる前に被害者としての経験があるのであれば、それを頑なに認めるのを拒んでいるように、私には一部の報道から感じるのですよね。
被害者としての自分を発見したときに初めて、加害者としての自分が被害者に何てことをしたのか、という気付きが生まれる。それが謝罪の最低限の条件だと思うんです。なので詫びるというのは、小指をかみ切るということではないんだと思うんです。自分の中にある加害性は勿論のこと、被害性と向き合うということが極めて重要だと感じています。
安田:例えば坂上香監督の映画『プリズン・サークル』では、「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している島根県の刑務所で、受刑者同士が対話をしながら犯罪の原因を探っていく様子が映されていました。いじめや虐待など、振り返ると苦しくなる生い立ちや、トラウマとなるほど深く傷ついた記憶を振り返ることで、受刑者たちは初めて誰かを傷つけた罪を自覚していく、そんな場面が描かれていました。
これまでの植松被告の発言は、そうするとなにか「本音」を言っているようで、自分自身の「本心」とはまだ向き合えていない面があるのではないかということですよね。
熊谷:憶測ではありますが、少なくとも彼はまだ、話すべきことを話していないのではないか、というようには思います。そしてそのためには人の話をもう少し聞く必要があります。
安田:自分の本音を受け入れてくれ、ではなく、相手がどう思っているのか、ということですよね。
匿名を選ばなければならない社会を問う
安田:この事件では、被害者の方々やご家族、殆どの方が匿名で報じられてきました。今回の傍聴席でも、ご家族の席は2mの衝立で遮られて見えないようになっています。一方で3回目の公判では、「被害者甲A」と匿名で審議されていた方が、ご遺族の要望を踏まえて、美帆さんと呼ばれるようになりました。この匿名性については、様々議論があるところだと思います。
熊谷:なぜご遺族が匿名を選ばれているのかということを見聞きする中で、改めて痛感するのが、まだこの社会が、障害を持った人や家族に対していかに差別的なのかということです。私個人としては、匿名を選ぶご家族を責めることは決してしてはいけないと思っています。そうではなく、匿名を選ばせしめた社会というものが問われているのだと、ここを見誤ってはいけないと思います。社会自体が差別的であることの帰結なんだということが非常に重要だと思っています。
ただ、社会に蔓延した差別を取り除くとき、固有名の力がやはり重要なものでもあるというのが、一方で事実なんですよね。差別というのは固有名が一緒くたにされて、カテゴリーで語られてしまうことに端を発しているからです。
安田:「大きな主語」で語ってしまう、ということですよね。
熊谷:メッセージとしては非常に矛盾した言い方になるかもしれませんが、「匿名を選ばせている社会のあり方の問題」と、「固有名の持つ力」という二つのことを感じます。
安田:実名の重要性というのは強く実感しながらも、今の社会では実名を出すことによって責められるかもしれない、叩かれるかもしれない、という状況をどうしていくのかということも同時に問われていますね。だからこそこの事件は、誰しもが決して無関係ではいられないものだと思います。
熊谷:先ほど申し上げた優生思想という考え方も、全く他人事ではないですよね。私たちの心の中にある優生思想的なものに直面したとき、常に二つの選択肢が自分たちの目の前に立ちはだかっている。その時にどっちを選ぶのかということは、極めて普遍的でリアリティのあるものだと思います。そういうことをまずは自分の日常生活の中で振り返って、私の願いとしては二つの選択肢のうち、一つ目の「連帯」を選ぶ人が増えてくれることを祈っています。
安田:大きな事件に限らず、私たちの日常というは、常にその選択の連続ですよね。自分自身の中にももしかしたら内なる優生思想があるかもしれない、けれども選択肢を前にしたときに、「連帯」というところに手を伸ばせるかというのが、今一人ひとりに問われていると思います。
(聞き手:安田菜津紀/2020年1月22日)
※この記事はJ-WAVE「JAM THE WORLD」2020年1月22日放送「UP CLOSE」のコーナーを元にしています。
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(2020年3月12日Dialogue for People 「“内なる優生思想”に気づいたとき、私たちは何を選択するべきか ―相模原障害者施設殺傷事件、判決を前に」より転載)