東日本大震災時の福島第一原子力発電所の事故現場に残った作業員たちを描く『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)。
門田隆将氏のノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(角川文庫)を原作に、事故当時、福島第一原発所所長だった吉田昌郎氏以下、現場に留まり続けた職員たちの決死の収束作業を描いた作品だ。映画のタイトルは、被害を食い止めようと現場に残り続けた約50名の作業員を称える意味で海外メディアなどが呼称したものだ。
吉田所長を演じるのは、日本を代表する俳優である渡辺謙。渡辺さんは、これまでも2012年のダボス会議でのスピーチやニューヨークでのチャリティイベント、気仙沼にカフェ「K-port」をオープン、被災地を度々訪問するなど、国内外で数多くの復興支援活動を続けてきた。
復興に対する想い、そして日本の未来について、渡辺さんに語ってもらった。
俳優として最も効果的な貢献方法
━━渡辺さんは本作のクランクアップ会見時、「役者として社会に関わるためにはどうすべきか数年来考えていた」と仰っていました。これまで個人として東北の復興に関わってこられた渡辺さんに、役者として東日本大震災、そして原発事故に向き合うことを決意させたものはなんだったのでしょうか。
渡辺:これも個人的なことなのかもしれませんが、僕はこれまで避難所を訪れたりするなど、いろいろな形で東北復興のためにできることを続けてきたつもりですが、福島の抱える問題はさすがに大きすぎてどうしたらいいのかと忸怩たる思いでいたんです。そんな時にこの映画のお話をいただきました。
福島の方々の気持ちを代弁するだけでなく、こういう映画を社会の中にきちんと残す、そして世の中に発信していくことが重要だと思っていましたし、(この映画への出演が)俳優を生業とする僕にできる、最も効果的な貢献になるだろうと思ったんです。
━━吉田元所長は実在の人物、しかも本作で唯一実名で登場する人物ですが、その点でプレッシャーはありましたか。
渡辺:この作品は一応フィクションと銘打っていますが、誰もが311のあの5日間に起こった出来事だとわかるわけですから、そういう意味では僕にだけプレッシャーが重くのしかかることはなかったです。
ただ、吉田さんは事故当時、メディアへの露出も多く、多くの方がご本人をご覧になっていますから、その意味でプレッシャーは感じました。とはいえコピーをしてもしょうがないので、いろんな文献を読むなどリサーチして、刻一刻と変化していく中で、彼が何と戦い、苦しんだのかを自分なりに表現しようと思いました。
僕にとって一番大きかったのは、事故当時吉田さんの元で働かれていた方に撮影セットにお越しいただき、色々なお話を聞けたことです。記録映像には残っていない場面で、現場でお感じになられたことなどをたくさん質問させていただきました。
━━どんなお話をされたのですか。
渡辺:事故調などのマイクや映像には写っていないところで、上層部などに対しさんざん怒っていたと仰っていましたね。吉田さんは、部下には情に厚く、上司には強くというタイプの方だったようです。
━━吉田元所長は、非常に豪胆な性格の方だったイメージがありますが、映画本編では優しさやチャーミングなところを感じさせる瞬間もありました。緊対(緊急時対策室)のメンバーに食事を促すシーンなどで笑顔を見せるシーンなどが印象的です。
渡辺:そうですね。吉田さんは関西出身者で、人を和ませながらリーダーシップを取るのが上手な方だったようです。
完成した本編には使用されなかったんですが、こんなシーンをアドリブで撮影したんです。これからベントに向かうという緊迫したシーンで、100人以上の役者がいる中で、僕が「よし、みんな、ちょっと背伸びしよう」と言ってみんなに運動を促すんです。
監督と相談して、他の役者には知らせずに言ったので、みんな戸惑いながらも所長に倣って背伸びしだしたんです。現場は張り詰めた緊張が持続していて、かなりのストレスでしたから、そのシーンをやりながら、僕はリーダーとしての心意気みたいなものを吉田さんからもらったように感じました。
この事故を教訓に、僕らは何を選択していくのか
━━本作のタイトルはアルファベットの「Fukushima」表記で、クランクアップ会見も英語の通訳つきで配信するなど、海外発信を強く意識していると思います。渡辺さんはダボス会議でスピーチをされたり、震災復興を世界に伝える活動をたくさんやってこられましたが、震災間もない頃、アメリカなどで、日本や福島はどんな風に見られていたと感じますか。
渡辺:正確な情報が世界にどこまで伝わっていたかという問題もありますが、我々日本人が考えているよりも深刻に受け止められていたと思います。原発そのものについても、事故後の処理についてもかなりシリアスに考えられていたんじゃないでしょうか。
ダボス会議では、世界各国からいろんなご支援をいただいたことへの感謝の気持ちとともに、この事故を教訓にして日本人が何を選択していくのか、さらに言えば世界が何をエネルギーにこれから選ぶのかということを僕なりにお話させていただきました。
━━映画『Fukushima 50』を通じて、当時、福島の人たちがどんな戦いをしていたのかを世界に知ってもらうことは大切ですね。
渡辺:はい。全てイコールで考える必要はないと思いますが、それは広島や長崎と同じことだと思うんです。世界の方々は「Hiroshima」という言葉に、核兵器廃絶の願いや世界平和などいろいろなイメージを持たれます。
言葉というものは、僕たちの使い方次第でポジティブにもネガティブにもなりますから、僕らがこの事故をいかに教訓としていけるのかが大事だと思うんです。
気候変動問題など、答えを出すための思考回路をつくる
渡辺:近年はグローバルという言葉を超えて世界の距離が近くなってきています。気候変動の問題なども含めて、我々は早急に答えを出すよう求められているように感じます。
そう簡単に答えを出せるものではありませんが、そのための思考回路はつくらねばならない、そのためにはオリンピックのような大きなイベントが開催される時期にこういう映画を世に送り出すのはとても大事なことだと思っています。
とはいえ、僕らはこの映画で答えを出したつもりはありません。その答えを出すのは一人ひとりの観客であり、もっと大きく言えば我々の未来が答えを出さなきゃいけない。この映画がそのための起点になってくれるといいなと思っています。
━━この映画を作って、改めて東北との関わりについて心境の変化はありましたか。
渡辺:役者として作品を1つお届けできたのは嬉しく思いますが、個人としていきなり何かが変わるということはありません。復興は地道に日々を積み重ねていくことでしかできないので、これからもできるだけ時間を作って現地を訪れ、所詮、僕らのやっていることはエンタテインメントですし、みんなと楽しい時間を作ることをこれからも続けようと思っています。
━━しかし、所詮エンタメでも、映画のようなエンタメだからこそできることもあるということでしょうか。
渡辺:もちろんです。この映画の素晴らしいところはドラマがあること。事故を検証したり、ロジカルに何かを伝えるにとどまらず、心を震えさせる何かがあるんです。それがあるから、今まで以上に広い範囲に、より深く届けることが可能になるわけですから。
それを届けることが、僕がこの映画をお引き受けする時に望んだことです。