「差別的な言動に疲れることもあった」それでも学生たちがジェンダーについて学ぶ理由

一橋大学の学生が、身近な人から受けたジェンダーに関する質問をまとめた本を出版。ドキッとするような、率直な質問に向き合った。
執筆に携わった児玉谷レミさんと前之園和喜さん
執筆に携わった児玉谷レミさんと前之園和喜さん
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ジェンダーを勉強したら、イクメンにならないといけないんでしょ?
日本はLGBTに寛容な国だよね?

一橋大学でジェンダー研究を専門とする佐藤文香教授のゼミに所属する学生たちは、こうした疑問や議論を周囲から投げかけられてきた。

「どうやって答えたらいいんだろう…」「うまく答えられない」と、ゼミ生同士で相談しながら答えを探してきた学生たちが、佐藤教授監修のもと『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問』を執筆、出版した。

この本には私たちがドキッとするような質問が詰まっている。

そしてその質問に対し、ゼミ生たちが悩みながら、時に傷付きながら、格闘しながら見つけた答えが、ジェンダー研究の知見を踏まえた上で紹介されている。

ゼミ生たちはなぜ、ジェンダーについて学ぶのか。そして、この本の執筆を通して何を感じたのか。

執筆に携わり、現在は一橋大学大学院社会学研究科に在学する児玉谷レミさんと前之園和喜さん、監修した佐藤教授に、話を聞いた。

「当たり前」だと思っていることを見直す機会に

本を出版するきっかけとなったのは、ゼミ生が毎年のように質問への返し方に悩んでいたこと。佐藤教授が「毎年同じことが起こっている。後輩のためにも『こうやって切りかえそう』という知恵を引き継いでいったら?」と提案し、これまで投げかけられた疑問をカテゴリー分け。ゼミ生が分担して回答を執筆した。

「素朴な疑問」「セクシュアル・マイノリティ」「性暴力」などの5章で構成され、ひとつひとつの質問に対し、入門編の「ホップ」、中級者向けの「ステップ」、上級者向けの「ジャンプ」と3段階に分けて説明している。

男女平等って言うけど、女性も「女らしさ」を利用しているよね?

問題は、「女らしい」とされる行動や、そのような行動をとる人ではなく、「女らしい」とされる行動が女性のみに過剰に結び付けられていることにあるのです。(ホップの一部)

※「ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた」より抜粋

ーー本では非常に率直な疑問に対して、丁寧に答えています。どういう思いで執筆したのでしょうか。

前之園さん

ジェンダーについて知識がない人でも、「なるほど、そうか」と思えるような回答を心がけました。特に「ホップ」は、短くまとめる中にエッセンスを入れるのが難しかったです。ジェンダーについて学び始めた人、そして友人たちに読んでほしい、と思って書いていました。 

児玉谷さん

「こうだ」と答えを押し付けるのではなく、今自分が「当たり前」だと思っていることをもう一度見直す機会にしてほしいと思っていました。

今の社会の言説を見ていると、きちんと理解せず偏見を持ったまま決めてかかっているような場面によく遭遇するからです。

大切なのは、相手に真摯に向き合うこと

 友達だと思ってたのに告られた…誰かに相談していい?

※「ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた」より抜粋

ーー本の中では、2015年に一橋大学で起きた「アウティング事件」も取り上げています。

一橋大学アウティング事件

朝日新聞によると、法科大学院生だった男性Aさんが、同級生の男性Bさんに告白。その後、2人を含めた7人が参加しているLINEグループで、BさんはAさんの同意なしにAさんが同性愛者であることを暴露(アウティング)した。Aさんはその後、大学に相談するなどしていたが、2015年8月に大学内の建物から転落して亡くなった。

児玉谷さん

これは、ゼミ生の強い意志でした。一橋大学でジェンダーについて学んでいるのに、アウティングに触れないのはあり得ないと思ったんです。

ネット上では「どうすればいいか知らないから仕方ない」とアウティングを正当化する意見をたくさん目にしたし、友人から「どうすればよかったの?」と直接聞かれることもありました。

何度も修正し、最終的に私たちがたどり着いたのは「カミングアウトとアウティングは異なるもので、今の日本の状況ではアウティングは絶対にしてはいけない。大切なのは相手に真摯に向き合うことだ」という答えです。相談窓口の電話番号も掲載するなど、具体策に踏み込んだ回答になりました。

ーー他に苦労した項目はありましたか?

前之園さん

「どうしてフェミニストはミスコンに反対するの?」も苦労しました。人の好みや好きなものについて触れるのはとても難しいです。

好きなものを否定された、ということで聞いてもらえなくなってしまう。ミスコンが、女性を見た目で判断する風潮を強めてしまう効果をもつ問題であることをきちんと指摘する必要がありました。

出場している個人を攻撃しない、対話をシャットダウンされるような強い言葉を使わない、ということに気を配りました。

佐藤教授はジェンダーについて多くの学生に対して講義をする中で、「何をどのように伝えても響かない学生は一定の割合いる」と話す。例えば男性は仕事、女性は家庭、といった家族が普遍的なものではない、という授業内容は、そのような家庭で育った学生にとっては、価値観を揺るがすことになる。

「あなたの培ってきたその価値観は社会的に作られたものだ、と聞いて面白く感じる学生もいれば、恐怖を感じてしまう学生もいる。そういう子に対してどう伝えるかというのは、とても難しい」

「らしさ」に振り回されて

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ーー2人はどうしてジェンダーについて学ぼうと思ったのでしょうか。

前之園さん

私は小学校の頃、男子がみんなドッジボールをしている中で、折り紙をしているような子でした。でもそうすると、「なんでドッジボールをしないんだ。女々しい」って嘲笑うような感じになって…男らしさを求めたほうがいいのかな?と思って、周りに合わせて小中学校時代を過ごしていたところがありました。

そんな中、高校の時に現代社会の授業でジェンダーについて学びました。そこで、自分が葛藤している「男らしさ」というものは社会的に作られたものに過ぎないと知り、救われたような気持ちになったんです。

児玉谷さん

高校は女子校だったのですが、そこがジェンダー教育が盛んだったのがきっかけです。ジェンダーギャップ指数や性の多様性などについて学ぶうち、自分がそれまでモヤモヤしていたことと結びついていったんです。そこから興味を持つようになりました。

ーーそういう意識を持っていると、大学生活を送る中で「おかしい」と思うことがたくさん出てきそうですね。

児玉谷さん

そうなんです。怒ってばかりの数年間でした(笑)

例えば大学には、1年の女子学生をもてはやすカルチャーがあります。「華の一女(いちじょ・1年の女子学生)、嫉妬の二女(にじょ・2年の女子学生)」などという言葉がサークルではよく使われているんです。

1年生の女の子が一番可愛がられて、2年生はそれに嫉妬する、といった意味ですが、これは「女は若ければ若い方がいい」「男に評価されるのは嬉しいだろう」という考え方が背景にあるのではないかと感じます。おかしいですよね。

女子校にいた時にすごく個性的な服装をしていた友達が、大学に入ったらごく一般的な「女性らしい姿」に収束していったことや、「すっぴんは恥ずかしい。化粧をしていないとダメ」という感覚を抱く友人が増えていったことにも、違和感を覚えました。

男性中心主義的な物の見方を内面化してしまうような状況があるな、と感じていたんです。

ーーそうした疑問を抱いた相手と、議論をすることはありますか?

児玉谷さん

毎回ではないですが、あります。ただ以前はうまく問題意識を伝えられないことも多かったです。発言の原因は個人の性格だと思っていたし、つい議論で打ち負かしてしまって相手を委縮させてしまったりもしました。

今は、そう言わせるような状況が社会にあるのかもしれないと発言の背景を考えるようになりました。それを意識して解きほぐしながら問題提起をするようにしています。

批判を受け入れて、どういう表現にできるか

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ーージェンダーについて学んできて、自分の中で変わったなと思うことや、気付いたことはありますか?

前之園さん

実は私、萌えキャラを含むサブカルチャーが好きなんです。 でも、ジェンダーについて勉強してからその好きなものを見てみると、「男性が見たいものを見るために、現実にはあり得ないような女の子が作り出されている」ということが理解できて、これはもう、言い逃れできない部分があるなと感じました。

好きで楽しんでいたものを批判されるのはもちろん悲しいけど、批判を受け流したりバカにしたりしていても仕方ない。そのような批判を受け入れて、これからどういう表現にしていけるのかということを考えていければ、と思っています。

児玉谷さん

私は、中立性・普遍性への疑いを向けられるようになったことが大きいです。

今まで「中立」的な物の見方を身につけることが重要だと思っていました。けれどそれは、「日本人」「男性」「中流階級」というような特定の立場から導き出される見解なのかもしれない、そうした一面的なものの見方が「中立」とみなされているのかもしれない、と考えるようになりました。

「下駄をはかされている人、特権を持っている人はそれになかなか気付けません」と佐藤教授は指摘する。「健常」「男性」「中流階級」…といった立場からすると、ジェンダー研究をはじめとするマイノリティの立場性に依拠した研究は「偏ったもの」に見えてしまう。

「でも、中立的・普遍的だと思われている多くの研究はポジショナリティを問われずに済んでいるというだけで、ある意味同じように一面的なのです」

傷に向き合い、主導権を握り返す 

ーー児玉谷さんは、一度ジェンダー研究から距離を置いた時期があったと本にも書かれていました。今再び、研究を続ける理由はなんでしょう?

児玉谷さん

一時期、勉強すればするほど、世の中には差別的な言動や表現が溢れていると気付き、また、ジェンダー研究やフェミニズムへの敵意を感じて、疲れてしまった時期がありました。

でもやっぱりジェンダーについて勉強したいと思ったのは、「主導権を握り返すため」です。

性別に関することでモヤモヤすること、傷つくことはたくさんあります。それに対して見て見ぬフリをしていても、傷は私の心に残ったままですよね。そうすると、ずっとその傷に振り回されてしまうと思ったんです。

私が傷つけられた背景にはどんな社会構造があるのかを勉強し、モヤモヤした気持ちに名付けをする。そうして向き合うことで、あのとき嫌だと感じた自分がおかしいわけじゃなく、社会に問題があるのだと考えられるようになる。

それが自分の人生において「主導権を握り返す」ことになると思っています。

ーー今後、どのような社会が実現することを願っていますか?

前之園さん

「当たり前」に個人が圧倒されない世界になってほしいです。

「男らしく」「女らしく」などの考え方に個人が縛られない、強要されない社会です。

私は男性なので、勉強する中で自分が責められているように感じることもありました。自分が男性として下駄を履かされることで得たものがあったのかもしれないと考えると、やるせない気持ちになることも多くあります。

でも、自分がこの社会で優位に置かれている男性の一人だからこそできることもあるはずだと、今は思っています。 

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