意欲と能力がある若者の海外留学を後押しする「トビタテ!留学JAPAN」。文部科学省が官民協働で取り組むプロジェクトで、これまでに約7,800人の高校生や大学生を海外に送り出してきた。
外の世界に触れることは、人を成長させ、その可能性を広げるきっかけになる。
一人でも多くの子どもに「留学」という選択肢を知ってもらおうと、プロジェクト・ディレクターの船橋力さんは、プロジェクトが生まれるまでの経緯と、留学を経験した学生の経験などをまとめた『トビタテ! 世界へ』を上梓した。
この本を全国すべての中学・高校約15,000校に無償で届けるために、クラウドファンディングで支援を募っている。
成績よりも情熱で選ぶ「トビタテ!留学JAPAN」
グローバル化が加速する中、行動力や発想力を持った若者の育成が求められている。こうした中、今後の日本を牽引する“グローバルリーダー”を育てようと海外留学者数倍増を掲げて立ち上がったのが、文部科学省の官民協働プロジェクト「トビタテ!留学JAPAN」。
2014年に始まった海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」は、その中核事業だ。多くの企業・団体や個人の寄附によって、「成績・英語力不問」「情熱・好奇心・独自性重視」で選ばれた若者に返済不要の奨学金を提供。海外留学を希望する高校生や大学生をサポートしている。
開始から5年後の2019年8月時点で、構想に共感した244社・団体などが約117億円を寄附し、これまで7,800人を超える高校生や大学生が世界に飛び立った。
この大規模な国家プロジェクトをスタートするきっかけになったのは、船橋さんが抱いた日本の将来に対する危機感だった。
「私は父親の仕事の都合で、幼少時と高校生時代をアルゼンチンで過ごしました。大学卒業後、総合商社に入社して発展途上国のインフラに携わり、2000年には教育プログラムを提供する会社を立ち上げました。それからずっと日本で仕事をしていたのですが、2009年のある日、世界経済フォーラムからメールが届き、ヤング・グローバル・リーダーズ(YGL)に選出されたのです」
YGLとは、専門分野における実績や社会への貢献、今後の可能性を基準に40歳以下の優秀な指導者たちを世界経済フォーラムが選出するコミュニティのこと。アーティスト、ビジネスリーダー、起業家、テクノロジーのパイオニアなど、毎年、世界各国から約100名が選ばれている。日本人では船橋さんのほかに、元Twitter代表取締役副会長の近藤正晃ジェームスさんや映画監督の河瀬直美さんらが選出されている。
「このままではいけない」。ダボス会議で抱いた危機感。
「YGLに選ばれると、世界経済フォーラムが主催する会議に参加する権利が与えられるのですが、私は2011年にスイス・ダボスでの会議に初めて参加しました。そこで世界の激変ぶりを目の当たりにし、大きな衝撃を受けたのです。
というのも、発展途上と思っていた国が先進国になっていたり、かつて日本企業の事例が数多く紹介されていたのに全く話題が出なかったり、世界市場の地図が大きく描き換えられていたからです。それ以上に突きつけられたのが、語学力やディベート力など、世界中から集まったYGLとの能力の差でした」
その当時のことを船橋さんは著書にこう記している。
「同じ島国や、ミャンマーなどの政治的に閉じた国でも、YGLに選ばれるような人は留学や海外暮らしの経験が豊富で、世界基準の教養をまとっています。それに対して、日本人の場合、自国内ですべてが完結するという特殊な環境にいるため、海外に目が開かれていません。YGLに選ばれるようなリーダーも含め、日本人だけが、井の中の蛙になってしまいがちなのです」
(『トビタテ! 世界へ』より一部抜粋)
ダボス会議で世界のトップ人材らと交流した経験から、日本と日本人のグローバル化が急務であることを実感し、より多くの若者を海外留学させる必要があるとの問題意識を持った船橋さん。「トビタテ!留学JAPAN」が発足したのは、その後のことだった。
「2013年4月に、当時の文部科学大臣だった下村博文さんとYGLの仲間などで、日本のこれからの教育について議論したのがきっかけです。ダボス会議での経験を話し、このままでは日本が取り残されてしまうこと、意欲のある学生を世界に送り出すべきだと訴えました。大臣も同じ考えを持っていたことから、プロジェクトの話が進みはじめたのです」
船橋さんはその後、自身の会社を売却し、YGLの仲間たちに推される形で文部科学省へ転身。2013年に「トビタテ!留学JAPAN」プロジェクトを統括する責任者に就任した。
この本と出会っていれば、自分の人生はもっと早く変わった。
2020年をゴールとしてきた海外留学支援制度は、多くの企業が引き続き、海外留学を経験した人材を求めていること、そして約1万人のトビタテ生コミュニティをさらに進化させたいというニーズを受け、2021年以降も継続が決まった。
新たな形での発展が予想されるこのタイミングで、船橋さんはこれまでの記録を残そうと『トビタテ! 世界へ』を上梓した。
この本には、プロジェクトを立ち上げた経緯だけでなく、「トビタテ!」留学生として海外に渡った高校生や大学生の体験談や、ソフトバンクグループ孫正義氏の留学体験や寄付に込めた思いを語ったスピーチ、プロジェクトに関わった起業家や医師らの逸話、海外へ旅立つ学生たちに語ったアドバイスなども収録されている。
プロジェクトが第2フェーズに入ろうとしている今、船橋さんは著書『トビタテ! 世界へ』を全国15,000校以上の中学校や高校に無償で届けるプロジェクトを個人として立ち上げ、有志のトビタテ生と共に取り組んでいる。
現在、クラウドファンディングで支援者を募っているが、そこにはどのような思いが込められているのだろうか?
「なぜクラウドファンディングに挑戦したか、それは情報格差や意識格差を無くしたいと思ったからです」
「情報格差でいうと、海外留学をする日本の大学生は大都市圏の大学に集中しています。本の中にも出てくるのですが、本人曰く『田舎生まれ田舎育ち』だというトビタテの卒業生がいます。彼は外国人との接点がほとんどなく、高校時代まで『海外渡航』や『海外留学』という選択肢があることを知りませんでした。大学生になって初めて留学をしましたが、それでは遅いと。『中学生や高校生の頃にこの本と出会っていれば自分の人生はもっと早く変わった』と言うのです。それを聞いて、1冊の本が人の人生を変える可能性があるのだと実感しました」
加えて、海外留学が受験や就職に不利だと思っている親や教師など、周囲の大人の存在があるという。それが船橋さんが語る「意識格差」だ。
「多くの企業から『大学生になってから海外に行くのでは遅い。多感な高校時代に海外へ派遣してほしい』とリクエストされています。それほど海外経験のある人材を求めている企業が多いにも関わらず、留学が受験や就職に不利だとして、その選択肢を狭めてしまう親や教師が存在しています」
「中でも情報格差や意識格差が大きいのが地方です。そこで地方にこの本を届けたいと思うようになりました。とはいえ、読みたい人だけが読むのでは意味がないので、全国15,000校以上ある中学校・高校の図書館に無償でこの本を確実に届けたいのです」
船橋さんが「無償」にこだわるのには理由があった。
「学校の先生は欲しい本やコンテンツがあっても、自由にお金を使うことができません。そこで、この本を無償で配り、学校に新しい教育を届ける仕組みができたらと思っているのです。たとえば、夏休みの課題図書としてこの本を全クラスに置いてもらう。その代わりに読書感想文を送ってもらうという仕組みも検討しています」
コンフォートゾーンから一歩、外に踏み出す越境体験を
『トビタテ! 世界へ』にこんな一節がある。
「居心地のいい場所(コンフォートゾーン)から一歩、外の世界に踏み出す『越境体験』は、つらいし、しんどいことも伴います。けれど、それまで得られなかった刺激をあびることになり、人を成長させ、可能性を格段に広げてくれます。今までの狭い世界とは全く違う『常識』があることを知り、イチロー選手のように自分を客観的に見つめ直すこともできるようになるでしょう」
(『はじめに』より一部抜粋)
「引きこもっていた子が留学して変わったという話は珍しくありません。海外に行く、チャレンジする、何か乗り越えて自信を持つ、切り開く力を持つ。そういう可能性を秘めた学生に『トビタテ! 世界へ』を読んでもらい、前向きに進んで行けるような一助になれたらと思っています。そのためにも、新しい教育の仕組みとして全国の中学校や高校にこの本が確実に置かれる状態を作りたいと考えています」
「もっと早くこの本と出会っていれば、自分の人生はもっと早く変わったかもしれない」
そうトビタテ卒業生が話すように、1冊の本は人の人生を変える可能性を秘めている。
船橋さんの著書『トビタテ!世界へ』に書かれたことをヒントに、ひとりでも多くの学生が、少しでも早く今いる場所とは違う世界へ飛び立てることを願って。
クラウドファンディングの支援受付は3月27日まで。プロジェクトのページはこちら。
(取材・執筆=岡本英子)