大リーグ・カブスのダルビッシュ有投手や同ヤンキースの田中将大投手が2月11日、同日に亡くなった野村克也氏の死を悼んだ。
ダルビッシュ投手は、自身のYouTubeチャンネルに動画を掲載し、野村氏について、「自分を救ってくれた」存在だったと明かし、感謝を述べた。
野村監督と、一度一緒にやってみたかった
ダルビッシュ投手が北海道日本ハムの選手として日本でプレーしていた時期、野村氏はパ・リーグのライバルチームである東北楽天の監督を務めていた。
当時のことについて、「たまに話をする機会や声をかけて頂ける時があり、その時にすごく優しい言葉をかけて頂きました」と振り返った。
動画の中盤では、「自分にはどうしても一回(一緒に)やってみたい監督が2人いる」と前置きした上で、「そのうちの一人が、野村監督なんです」と明かした。
そんな野村氏は、ダルビッシュ投手を間接的に救った存在だった。
2017年にワールドシリーズを制覇した後は故障に見舞われ、2019年前半も調子が上がらなかった時、「俺、終わったわ。こうやってみんな(調子や成績を)落としていくんだと思っていて、自信もなかった」と当時の苦悩を吐露した。
しかしそんな時、野村氏がテレビのスポーツ番組の企画で『平成のベストナイン』を発表し、投手部門にダルビッシュ投手を選んだ。
それを見た時の心境を、ダルビッシュ投手は「(野村氏の)教え子には田中将大投手や岩隈久志投手がいて、色んな投手がいる中で、自分を選んでくれたということが、本当にあの時の自分を救ってくれた」と語った。
教え子の田中将大投手、出会えたことが「僕の野球人生における最大の幸運」
野村氏が監督を務める東北楽天に2007年にドラフト1位で入団したのが、現在大リーグのニューヨーク・ヤンキースでプレーする田中将大投手だった。
野村氏が楽天監督時代、田中投手について「マー君、神の子、不思議な子」と”ボヤいた”エピソードはよく知られているが、これは、1軍での初先発から3試合連続で打ち込まれたものの降板した後に味方打線の援護に恵まれ、敗戦投手にならなかったことを受け、報道陣に対して発せられた言葉だった。
その田中投手は野村氏の訃報を受けて、Twitterを更新。
「突然の訃報に言葉が出ません」とした上で、「野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。 プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。 どんなに感謝してもしきれません。 心よりご冥福をお祈りいたします」と、野球人生の転機になったことを感謝とともに綴っていた。